『リプトン自伝』翻訳:野口結加 論創社 [自伝・伝記]
リプトンといえば「紅茶のリプトン」しか思い浮かびませんので、表紙写真の人物が起こした会社の歴史、無味乾燥な社史、もしくは、その自慢話めいたツマラナイものに思えました。それで、いま一つ読む気持ちにならなかったのですが、ぱっとページを開きましたら、ヨットの写真や船乗りの帽子をかぶったリプトン氏の写真が目に飛び込んできました。それで、読み始めましたら、意外や意外、おもしろいことおもしろいこと。
リプトンは1848年の生まれです。西部劇に登場する名保安官ワイアット・アープも同年の生まれです。日本では、江戸時代の嘉永元年にあたり、三井物産の設立にかかわり「千利休以来の大茶人」といわれた益田孝もその年の暮れに生まれています。リプトンより15年先輩になる福澤諭吉の『福翁自伝』も面白いですが、それに匹敵するように思います。たぶん、その面白さは、人生に生じた振幅・落差の大きさと、そうした中にあって、いつも快活な気分と運は開けるという自信が全編を覆っているところから来ているように思います。要するに、ユーモアです。
スコットランド、グラスゴーの貧家の子は、十代にアメリカに渡ります。難しい状況に遭遇しますが、不思議に運が開けていきます。スコットランドに戻った後、親の開いた食料品店を大きくしていきます。イギリス国内にどんどん出店し、品質の良いものを安く顧客が入手できるよう、創意工夫を発揮します。紅茶の販売もはじめ、仲買をとおして入手するのをやめただけでなく、セイロンの農園を取得いたします。富を蓄えてのち、王侯貴族ともつきあうようになります。そうでありながら、一消費者からの手紙に自らきちんと応答します。人と接するに、分けへだてがありません。ヨットの写真は、アメリカズカップに参戦したときのものです。善戦しますが、カップを奪取することはできませんでした・・。
翻訳者:野口結加さんの長い「あとがき」があります。それを読み始めてすぐ、これは野口さんが出版社に企画を持ち込んだのだろうと思いました。力の入りようがちがうのです。野口さんは、食文化研究者であり、その関係で本・原書を読み始めたそうですが、以下のように書いています。〈実は当初、それは大富豪の自慢話であろうと期待せずに頁をめくっていたが、すぐにその先入観とはまったく正反対に充実した内容の貴重な書物であることを悟って、是非とも日本に広く紹介したいと願うようになった。翻訳にあたっては、「リプトン本人が日本語で書いたように訳したい」という意図で作業を進めてきた。もしこの願いが少しでも叶っているならば、一世紀近い年月を経た今、「事実が誤って伝えられることを好まない」リプトン自身が語った生涯が初めて日本語で出版されることをリプトンも喜んでくれることと信じたい〉。
いい意味で期待を裏切られる本です。たいへん読みやすく、リプトン同様、読者もみな喜ばれるに違いありません。