「昭和史の隠れたドン―唐獅子牡丹・飛田東山」 西まさる著 新葉館出版 [自伝・伝記]
飛田東山は「弱きを扶け強きを挫く」を自らの信条とした。自身を幡随院長兵衛になぞらえ「生きた町奴」と称していた。小説『人生劇場』の吉良の仁吉、映画『唐獅子牡丹』の高倉健演じるモデルは東山である。東山を知る人は自ずと彼について書きたくなるようである。それは、本書を読んで頷くことができる。
読みながら山岡鉄舟が思いに浮かんだ。山岡は最後の将軍徳川慶喜とも明治天皇とも深いつながりをもつと同時に町火消の新門辰五郎や侠客の清水次郎長とも親交を結んだ。仏教界の重鎮とも市井の乞食とも分け隔てなくつきあった。無私の精神の持ち主だった。
これは三島由紀夫について聞いたことだが、三島は自身のシナリオの最後となった市ヶ谷駐屯地に向かう車の中で、盾の会メンバーと「義理と人情をはかりにかけりゃ~」と歌ったという。ノーベル賞候補にもなったハイブロウな作家の最後に選んだ愛唱歌が『唐獅子牡丹』というのはオモシロイ。日本人に通底する精神を知る意味でも本書は役立つように思う。
続刊を大いに期待したい。
アインシュタイン回顧録 (ちくま学芸文庫) [自伝・伝記]
アインシュタインの自伝というより自論に至る自然(物理)観の推移発展を示す内容。洗顔石鹸と洗濯石鹸の区別ができなくて奥さんから怒られたとか、相対性理論を200字でまとめたら賞をやるという新聞社の一般公募に「わたしならよすね」と言ったなどの、よく聞くアインシュタインの逸話にあるようなおもしろい話を期待する向きには向かない。ほとんど思弁的内容で数学物理がよほどお好きでないと分け入ることのできない内容である。ちなみに評者は早々に撤退した。以下「8 統一場理論の遠望」からすこし引用してみる。
私たちは、〔重力と電磁力の両方が働く〕統合的な場の方程式をぜひ見つけたい。方程式群の望ましい構造は、一般化した対象テンソルで表せるものでしょう。座標の連続変換群よりも広い群です。群の構造を複雑にしすぎると、対称テンソルの場合に比べ、方程式の姿を決める力が弱まるはず。特殊相対論から一般相対論へのジャンプに似た形で群を拡張できたとすれば、それがいちばん美しい姿だろうと思えました。/ 私自身、まずは複素座標の変換群を使おうとしたものの、あえなく失敗に終わります。空間の次元を陰に陽に増やす試みも徒労でした。次元数の増加〔四次元から五次元へ〕はもともとテオドル・カルツァ〔1885~1954〕が提案したもので、その発展版を有望とみる人はいまなおいます。ただし次に書く短い話は、「四次元空間、実座標の連続変換」にかぎりましょう。不毛な努力を何年も何年も続けたあげく、以下のような方向性がいちばんよさそうだと思うのです。・・後略・・(p094)
アインシュタイン―大人の科学伝記 天才物理学者の見たこと、考えたこと、話したこと (サイエンス・アイ新書)
- 作者: 新堂 進
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2017/09/16
- メディア: 新書
『わが青春 わが読書』コリン・ウィルソン著 [自伝・伝記]
1997年発行。昨年亡くなった立花隆と親交のあったコリン・ウィルソンの著作。立花隆同様の「本の虫」ぶりが示されている。
コリン・ウィルソンと立花隆
https://www.youtube.com/watch?v=wCzHeKmozko&list=PLE8FoiOTuihqiJtrNLtj5SRj4-bs4WB2w
同じく「本の虫」であった渡部昇一に『青春の読書』があるが、著者の人生と読書とを深く織り合わせた著作は他にないかとAmazon検索をして本書:『わが青春 わが読書』を見出した。ウィルソンの突き合った本の作品論であると同時に作家論であり、また、著者(当時:66才?)の人生観を示すものとなっている。
ウィルソンの人生観はきわめて「楽観的」である。その点において健全な精神の持ち主と言える。ウィルソンは、自ら悲観的なだけでなく、そこに安住し、そこに読者を誘いこむ作家たちに容赦ない。ノーベル賞受賞者であろうと関係ない。ヘミングウェイもサルトルもベケットも(もちろん、その著作のすべてがダメとは言わないものの)負の烙印を押している。たとえば、以下のようにである。
〔ところがサルトルは、そしてこれはグレアム・グリーンもそうだが、そこで得た叡智を悲観的な哲学によって否定し、それを長期的に生かす道を閉ざしてしまった。本書で私がくり返し強調したように、芸術家としての長期的な進歩、否定的な哲学、この両者は両立しないのである。そして私はまた、かくも多くの20世紀作家・思想家によって信じられたたぐいの否定的哲学が、“事実に即したものではない” ことも示してきたつもりである。悲観的な哲学は、すでに述べたように、怠惰と忘れっぽさが合体した産物にすぎない。客観的な正当性などありはしない。「覚醒」した状態で「事実」をきちんと客観的に眺めるならば、チェスタトンのいう「理不尽な朗報」という感覚や、生は無限の可能性に満ちているというグリーンの認識こそ正当だということが見えてくるはずなのだ(「あとがき」p495)〕。
そして、以下のように記す。〔私の著作の中核にあるのもこの点にほかならない。私が一番伝えたいのはこのことなのだ。20世紀という時代はともすれば、知性を軽んじ、直感や本能、時には行動力より下位に追いやってきた。しかし、もっとも深遠な問題の解決策は「知」のなかに、したがって、精神の力のなかにこそ存在するということを私はつゆ疑ったことがない。知性とは私たちが持つもっとも強力な道具である。だから、もし人間が進化の次のレベルに到達するとしたら、それは一瞬のまばゆい“ひらめき”を通して、すでに知っていることを突然把握し、それを「鳥の視点」で見る瞬間においてだろう。だとすれば、物事を鋭利かつ明晰に言い表わすことが、この目的にとってもっとも重要なことだということになる。そして、今世紀、このような理想を、ウィリアム・ジェイムズほど完璧に体現している人物はほかにいない。(「ジェイムズ兄弟」p347)〕。
ウィルソンの示す「覚醒」方法は、いのちの充実させるのに役立つにちがいない。巻末には本章中に取り上げられた書籍の13ページにわたるブックリストが付録となっている。
「知の巨人」立花隆の書棚に写った「殺伐」の正体 蔵書10万冊の書棚を撮り続けた話
2022.03.31 薈田 純一
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93453?imp=0
『佐藤優外伝 (紙の爆弾2009年10月号別冊)』山本 信二著 [自伝・伝記]
佐藤氏のイメージが評者のなかで確定した。
佐藤優氏の同志社大学・神学部時代の姿を知ることができます。『紙の爆弾』の出版社発行ですから、佐藤氏のメンツを傷つけ、全身にドロを浴びせかけるような内容です。ですが、基本的なところではリスペクトがあり、事実・関係を追おうとする意欲に根差していますので、読むに堪えないものではありません。
佐藤氏は若いころから、知識欲旺盛であり、また自分を取り巻く環境をコントロールしようとする熱意のすさまじい人物であったことが分かります。著者は、言わば、それに翻弄させられ辟易して逃げ出したようなものでしょう。ですが、そこにはリスペクトが感じられます。羨望と言っていいかもしれません。
本書をとおし、新島襄によって創立された同志社の精神とは何か、その神学部の社会的役割を知ることができました。また、佐藤氏在学中に、そこで演じられた「コップの中の嵐」(学生運動)について知ることもできました。佐藤優氏は暴力学生であると同時にうまく立ち回っては学内政治を動かしていました。教授たちにも影響を与えていた様子が示されます。
本書を読んで評者の佐藤氏へのイメージが確定しました。似たモノをあげるとすれば、(分かる人は分かると思いますが)勝新太郎主演の映画『兵隊やくざ』です。映画のなかでは、田村高廣演じる有田上等兵が登場します。幹部候補試験をわざと落第したインテリです。勝新演じる大宮の指導係となった有田は大宮をいさめたりしますが、大宮同様、その精神はやくざです。佐藤氏は、「兵隊やくざ」大宮と有田上等兵を一人で兼ねているかに感じます。要するに、佐藤氏は、知的やくざなのでしょう。そこがまた、氏の魅力と言えるかもしれません。キリスト者は、イエス・キリスト同様、本来アウトサイダーであり、この世に対して言わば「やくざ」ですので、”その生きざま・様態としては”、キリスト者の本道を佐藤氏は行っていると言えます。御託を並べました。失礼いたしました。
2020年5月11日にレビュー
以下は、佐藤優氏本人による自伝のような本
https://kankyodou.blog.ss-blog.jp/2019-04-06
さらに、オマケ。南方熊楠の外伝。
ドクター苫米地の 自伝 脳の履歴書 // 新・福音書 [自伝・伝記]
著者の思想の一貫性がわかる
著者の思想の拠って来たるところを、その秘密のようなものを知ることができればと目を通した。著者の思想の一貫性を知ることができた。カネ儲けのために、権力者に阿り、右往左往、右顧左眄して生きてきたのではないことを知った。自身の述べるとおり抽象度の高い生を追い求めてきたのを感じ、評者の著者への信頼感は高まった。同時代を生きる者として嬉しく思う。
自己改造の方法を高く評価したい
著者の本を、発行年の古いところから目を通してみようと手にした。たいへんな人が同時代を生きていることに驚く。たいへんな人とは、もちろん著者のことだ。アタマのイイ人はいくらでもいる。テレビに出演する方も多い。だが、著者ほどスケールの大きな人物はいないだろう。評者の知る人物のなかで、あえて名を挙げるなら運動科学者の高岡英夫氏くらいだ。本書にみる論議すべてを肯定することはできない(たとえば、進化論に関するモノ)が、スケールの大きな論議を展開してなお簡潔なその文章に圧倒されている。そして、本書の主眼である自己改造の方法も間違っていないように思う。イメージと自己変革については、故・品川嘉也日本医科大教授や故・小田晋筑波大教授の著作に親しみ啓発を受けてきたが、その具体的実践的発展形として高く評価したい。
「そのうちなんとかなるだろう」内田 樹著 マガジンハウス [自伝・伝記]
立花隆編著『二十歳のころ』にみる著名人たちの姿とダブった
内田さんのまとまった著作を読むのは本書がはじめてです。それでも、これまで新聞掲載の論評などを読むときに、オモシロイ人だなと感じてきました。視点が異色というかなんというか、フツウでないのを感じてきました。そして、そのことに新鮮さを覚えました。
本書をとおして、内田樹という異色の人物についてよく知ることができます。どうも、子どもの頃から異色であったようでありますが、その後の人間形成について知ることができます。
立花隆さんが東大の学生たちを指導して著名人にインタビューし編集した『二十歳のころ』という本があります。そこにみる多くの著明人たちの姿と内田さんがダブリました。そこでは、一般のひとびとから憧れられたり仰がれたりしている人たちに、直接その人生を問い尋ねてみると、彼・彼女たちは(変な表現ですが)「なれの果て」的に著名人・有名人に甘んじているという自覚をもっている。そんな印象です。「なるようにしかならなかったし、なるようになった結果が『今の姿』なんですから、もう仕方ナイっす・・」とでもいう感じです。
本書から学べる点は多くありますが、無駄なちからを排し、脱力することによって、人生を制していく・・そんな(ウラ)技を教えてももらえます。オモシロイ本です。
2019年8月16日にレビュー
「北沢楽天―日本で初めての漫画家」 作者: 北沢楽天顕彰会 [自伝・伝記]
北沢楽天―日本で初めての漫画家 (もっと知りたい埼玉のひと)
- 作者: 北沢楽天顕彰会
- 出版社/メーカー: さきたま出版会
- 発売日: 2019/04/20
- メディア: 単行本
楽天の生涯と漫画への思い、漫画界への貢献について知ることのできる良書
芸術は爆発だ!の岡本太郎の父:岡本一平とならび称される漫画家:北沢楽天。ただし、楽天のほうがずっと先輩格にあたる。「北沢楽天は、明治~大正~昭和初期にかけて新聞や雑誌に『漫画』を描き、日本の近代漫画界を牽引した『漫画家』です。分かりやすく言えば、『日本で初めて漫画を職業にした人』です」と(「はじめに」)ある。
本書は、「北沢楽天」伝。埼玉県大宮市とゆかりの深い、楽天の家系から説き起こされる。明治9年に生まれた楽天は、父親の期待にそって医学を学びだしたものの、絵の道へ進む。明治28年、横浜の「ボックス・オブ・キュリオス社」に入社する。「当時、横浜居留地には海外からさまざまな情報が入りました。そこで日本の伝統と出合って近代文化が形成されたように、ボックス社を通じてナンキベルと保次(楽天の本名)が出会ったことは、『日本の近代漫画』誕生の必然であったといっても過言ではないでしょう。/ 保次がナンキベルと出会い、西洋風の漫画・カリカチュアと印刷技術を学んだことは・・・」という記述がある。明治32年、「保次は新たな表現の場を求め」福沢諭吉の時事新報社に移る。「時事新報社は、50円という破格の月給を」「小学校教員の初任給が8円の時代」に出す。明治38年、「日本初!カラー漫画雑誌『東京パック』」を創刊する。それは後に、英・中・日の3カ国表記となる。などなど、その画業とともに、時系列で、交友、師弟関係など綴られていく。漫画界だけでなく、政財官界のビッグネームもでてくる。
楽天の生涯と漫画への思い、漫画界への貢献について知ることのできる良書である。定価:本体1200円+税。
2019年6月26日にレビュー
***(以下「漫画の力」p57から抜粋)***
〈漫画を志す人たちには、こんな言葉を贈っています。
「漫画を描くためには漫画の技法だけでなく、日頃細心の注意と観察を怠らず、一寸した出来事にも構想の機縁を捉え、暗示を摑むようにしなければならない」
「本当の漫画家たるには充分の教育を受けて、情操を洗練しなければならない。教育の程度が低ければ、したがって低級卑調な漫画より出来ないのは素より当然なことである」
楽天が描こうとする質の高い「漫画」、目指そうとする「漫画家」の姿がそこに示されており、楽天自身もまた、常に努力の人であったことを物語っています。〉
***抜粋ここまで***
上記部分を読んだときに、木原武一先生がチャップリンについて書いていることを思い出した。
『天才の勉強術』木原武一著
https://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2016-12-24
「こんな家に住んできた 17人の越境者たち」 [自伝・伝記]
毒となるか薬となるか・・
本書は、『週刊文春』に「新・家の履歴書」として連載されたインタビューの集成。安住の家をあとにして「越境」してきた方々が、過去をふりかえりつつ、思い出の「家」と自分の人生について語る内容だ。
タイトルを見ると「家」が赤い文字で強調されているが、内容的には、副題の「越境」の方に重きがある。自分の家の敷居から外へ出る。外国に渡る。異文化を受け入れる。階級を越える・・・。
本書中、すごいなあ、かなわないなあと感嘆したのは、主に女性「越境者」たちだ。井原慶子さん、田中未知さん、ベニシア・スタンリー・スミスさん、それに佐々木美智子さん。
とりわけ、佐々木美智子さんには、その「越境」力に惚れ惚れする。新宿ゴールデン街でバーを営む方だ。人間として他者とふかく関わるというのも、ある意味「越境」といえるだろう。自分を越えないとそれはできない。難なく軽がると「越境」しているように語られるが、その実、たいへんなものがあったであろうことは確実だ。そうして得たものは人間的な深さといったものかもしれない。
「越境者」の精神とふるまいは、「家」に安住することを願う人間には脅威であるにちがいない。本書はその点、ある意味において毒物といえる。毒物は、時に薬にもなる。さて、あなたにとって、毒となるか薬となるか・・・。
●水俣で
石牟礼道子(作家) 魂のひっとんだ子
●物語が生まれるとき
角野栄子(児童文学作家) 玄関を飛び出して
東山彰良(作家) いつか祖父のように
●新宿に流れ着いて
リービ英雄(作家) 日本語を書く部屋
佐々木美智子(新宿ゴールデン街バーのママ) 屋台を引いた日々
●アメリカから日本へ
マーティ・フリードマン(ミュージシャン) 輝いていたJポップ
アーサー・ビナード(詩人、エッセイスト) 日本語に導かれて
●人生の原点
ベニシア・スタンリー・スミス(ハーブ研究家) 京都の古民家
高中正義(ミュージシャン) 雀荘とバハマ
鷺巣詩郎(作編曲家) 父のスタジオで
●ヨーロッパへ
田中未知(作曲家) ここが約束の地
原田哲也(元オートバイレーサー) モナコの海の見える家
井原慶子(レーシングドライバー) セナが住んでいた部屋
●崩壊する国で
金平茂紀(キャスター) テレビの力を信じたい
中村哲(医師、ペシャワール会現地代表) 蝶を追いかけて
●科学のフロンティア
江崎玲於奈(物理学者) エジソンになりたい
利根川進(生物学者) 研究者の本来の姿
2019年4月25日にレビュー
「評伝 小室直樹(上):学問と酒と猫を愛した過激な天才」村上篤直著 ミネルヴァ書房 [自伝・伝記]
この先、こんな人物でてくるだろうか・・・
「過激な天才」、小室直樹の過激さはどこから来ているか。その過剰なまでの学問へのパッションの秘密に迫る本だ。それは、どうも母親の期待の言葉から来ているようだ。母親はフロイトを学んでいたという。意図して、息子の深層心理に働きかけたのだろうか。当の本人も、それを信じる。大言壮語し、大風呂敷を広げ、一途に進む。しかし、大言壮語などと本人は思ってもいない。周囲の人々も、小室の大風呂敷に取り込まれる。いつのまにか、世話を焼いている。喜んで世話を焼くはめになる。
その思い込みの激しさはすさまじい。「豚もおだてりゃ木に登る」というが、小室直樹は、とどまるところなく学問の世界を登りつめる。ところが、登りつめた留学先アメリカで、行き詰まってしまう。学問の世界は、そこに住む住人は、割と料簡が狭いのだ。アメリカで追われ、日本でも片隅に追いやられ、「過激な天才」は料簡の狭い世界からはじき出される。そして、あいつの料簡はいけねえと小さん師匠から言われた立川談志と仲良くなるのは、ずっと後のことだ。
「過激な天才」は、アメリカで挫折を経験する。「自殺騒動」を起こす。その顛末が記される。しかし、それが、あったお蔭で、一般庶民は小室直樹の学問の成果を知ることができた。ソ連崩壊の予言など、一般書で読むことができた。賀とすべきではないか。本人も、挫折のお蔭で、「進んだ学問分野の成果をもって、遅れた学問分野を発展させ」「社会科学を統合する」ビジョンを得る。そうして、経済学一辺倒から救われたのだ。その方法を一言で言えば、「学問落差論」。
日本に戻って後の、貧乏生活。東大田無寮で午後11時以降、誰でも食べていい夕食の残りをガツガツ食べるので「ハイエナ」と揶揄されたことなどなど、大笑いする逸話も記される。アルバイトでカネを稼ぐより、時間を稼いで学問に打ち込んだのだ。原稿用紙1000枚の博士論文が成り、博士号を取得。そして、その副産物として「急性アノミー(acute anomie)」を得たこと。さらには、東大で開かれた小室ゼミの様子。ゼミ生との関わり方、ゼミ生のプロフィール。執筆に際してインスピレーションを得るための断食によって瀕死となったことなど記されていく。なんと、「その血中のイオン濃度は死んだ人間よりも低かった」のだ。
この先、こんな人物でてくるだろうか・・・。とにかく、空前絶後きわめつけの学者と学問、その方法論を知ることのできるきわめてオモシロイ本だ。
2019年2月26日にレビュー
「鶴見俊輔伝」 黒川 創著 新潮社 [自伝・伝記]
「一人の個人の歩みのなかに、明治から現在にかけての日本の歩みを見る思いがして、ひたすら感動」
心理療法家:河合隼雄は、かつて鶴見との対談後、「短時間のお話のなかで、私は一人の個人の歩みのなかに、明治から現在にかけての日本の歩みを見る思いがして、ひたすら感動していた。鶴見少年が日本の幹部候補生であるという母親の直観は、やはり間違ってはいなかったのだ。(『あなたが子どもだったころ』 楡出版 1991)」と記した。
その対談を読んだだけでは河合のコメントの意味をよく把握できなかった。しかし本書で、はっきり理解できたように思う。鶴見の祖父後藤新平をはじめとして、評者から見れば“歴史上の人物”たちが綺羅星のように登場する。戦前アメリカに留学した関係で、その中には外国人も加わる。ハーヴァード大で「クワインが(鶴見の)テューター(個人教師)とな」る。そして、本人の口から「ものと言葉を区別できている論理学者は、いま世界に三人しかいない。ポーランドのタルスキ、ドイツのカルナップと、アメリカの自分だ」と鶴見は直接聞く。「ほんとうかな、と疑わしくも思ったが」、後日バートランド・ラッセルの講演に際し、「この問題についてはクワインさんのほうが知っている」とラッセルが言ったので、「さらに驚いた」とある。そうした、“歴史上の人物”たちと鶴見は直接関わり、なんらかの影響を受けてきたのだ。驚きである。
2009年、NHK・ETV特集で、「鶴見俊輔 戦後日本 人民の記憶」という番組が放映された。そこで本書の著者黒川創がインタビュー役を担っている。鶴見の生い立ち、アメリカ留学、アメリカとの戦争が始まって交換船で日本に戻り、軍属となること、敗戦後の日本での活動など、関係し連帯した人々のことが語られる。(それは、『鶴見俊輔みずからを語る(テレビマンユニオン)』と題してDVDになってもいる。)そこで、放映された内容を大はばに補足、上書きする内容といえる。巻末に年譜、人名索引も付されている。
2019年2月20日にレビュー
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2009/0412.html