「国家が人を殺すとき」 ヘルムート・オルトナー著 日本評論社 [社会・政治]
「不条理」「滑稽さ」を感じる
副題にあるように「死刑を廃止すべき理由」について記されている。しかし、そう内容は単純ではない。理由を列挙し、死刑は不合理であるので、廃止すべきであると声高に主張するという論調ではない。死刑という制度を、“正義”をもって(いわば、独善的に)暴き・裁くというのではなく、人間存在そのもののもつ闇に(同じく暗部をもつ人間のひとりとして)手を突っ込んで引き出すような仕事がなされている。
そこから引き出されたモノは、不合理というより「不条理」といった方がいいように思う。「不条理とは何よりもまず高度の滑稽である(ウィキペディア)」とあるが、「死刑」の名のもと、国家が(人を介して)人を殺すという営為に、「滑稽さ」を覚える。ばかばかしいという感情も湧いてくる。それは本書が、知に働きかけるだけのモノではないことを示している。
「この書物は文献の渉猟と調査と聞き取りの産物である」「私がとくにインスパイアされた書籍はリチャード・J・エヴァンズの『復讐の儀式ーードイツにおける死刑1532-1987』である(「出典について」)」と著者はいう。その他、多くの文献が用いられ、死刑の不条理があぶりだされる。
実質的に、本書は死刑の歴史であり、死刑の現在の本でもある。「国民の多数が国家による殺人システムを暗黙裡に了解している」民主主義国家として日本への言及もある。多くの者にとって「暗黙裡に」置かれている死刑制度に光を当てることが本書の望みと著者はいう。光は当てられ、あぶりだされたモノを読者は見ることができる。本書が、死刑制度の是非を問う有用な書籍であることは間違いない。
特別寄稿 『国家が人を殺すとき』日本語版へ 村井敏邦
プロローグ 国民の名のもとにーー最新の状況
序
1 国家が人を殺すとき――長らく待たされたトロイ・デイビス
2 アーカンソー州の薬物カクテル注射
――または、なぜ米国ではその薬物が不足するのか
第1部 儀式――太古の罰
第1章 殺害のカタログーー権力と名誉と死
第2章 神の手による殺害ーー報復と和解
第3章 最後の食事ーー和解の申し入れ
第2部 処刑器具――殺害技術の進歩
第1章 すべての権能を機械にゆだねてーーギロチン
第2章 銃弾による死ーー銃殺
第3章 身体に流される電気ーー電気椅子
第4章 「アクアリウム」での死ーーガス室
第5章 血管からもたらされる死ーー薬物注射
第3部 執行人――法の手足となって
第1章 処刑人という職ーー追放されし者
第2章 カルニフェクス(死刑執行人)--関連資料
第3章 「私はよき処刑人でした」--死刑執行人が語る
第4章 ギロチンの隣に立つ男ーーヨハン・ライヒハルト
第4部 マーケッター――殺害の値段
第1章 悪に対する米国の闘い
第5部 告知するもの――公的な演出
第1章 恐怖の劇場ーー民衆文化と死刑
第2章 最期の言葉ーー処刑された人々が遺した言葉
エピローグ
死刑についての考察――ある見解表明
展望
希望のとき?――死刑制度をめぐる世界の現状
死刑制度に抗して トーマス・フィッシャー
訳者あとがき 須藤正美
補遺
処刑方法に関する資料ーー絞首刑から薬物注射まで
1976年以降に死刑制度を廃止した国々
出典について
註
文献一覧
以下は、「私は写真集を自律言語として評価している。本書には収録されていないが、米国の女性カメラマンの卓越した写真集」として著者が紹介する書籍。「米国の処刑室を撮った」「資料価値の高い冷静な写真の数々」が掲載されているという。
2019年6月11日にレビュー
以下は「文献一覧」に紹介されている邦訳書籍