歴史を応用する力 (中公文庫) 宮城谷 昌光著 中央公論新社 [文学・評論]
中国古典の読書案内として読むことも・・
講演をそのまま文章化したのだろう。平易で読みやすい。中国をテーマにした歴史文学をおおく記してこられた著者は、当然のことながら中国古典への造詣も深い。その深い(なかには私見にすぎないものもあるが、説得力ある)知識を分けてもらえる。作家として、それらをベースに創作していく際のモンダイも示され、どのように克服されたか示される。著者の文学への真摯な思いが伝わってくる。また、中国古典の読書案内として読むこともできる。以下、すこし引用してみる。
〈ですから、中国のことに詳しくないかたが、中国の歴史を生に近い形で知りたいと思われたときには、この『十八史略』をお読みになるのが一番早いと思います。・・(p24「第1章 光武帝・劉秀と呉漢」)
〈日本人には『三国志』に興味をもち、そこから中国史の勉強をはじめられるかたも多いのですが、いきなり『三国志』から中国の歴史にはいっていっても、これはいったい、なんのことをいっているのだろう、とまごつくことがたびたびでてくると思います。ところがこの湯王と文王、ふたりのおもな事績をおさえておくと、それ以降にでてくる英雄や豪傑たちの話がぞんがいたやすく腑に落ち、ああ、あのことを指しているのだな、と中国史を理解する素地ができるにちがいありません(p101「第3章 殷(商)の湯王と周の文王 中国の智慧の原点」)。
〈どうも日本人は『三国志』が一番好きなのだそうです。それも陳寿という中国人が書いた正史ではなく、最もポピュラーな吉川英治さんの『三国志』を読む。そこから興味が発展しても、岩波文庫などの『完訳 三国志』(演義)にいくのがせいぜいで、正史を読む人はなかなかいません。物語的なもので歴史を知った気分になる。『後漢書』となると日本人どころか、中国人もほとんど読みません(p170「対談 この皇帝にしてこの臣下あり 丹羽宇一郎×宮城谷昌光」)〉。
〈そんな時、日本の財界人について調べ、その人と、中国の古典をうまく絡めて、読者に紹介するという仕事がきたのです。日本を動かしている人たちは、どんな中国の古典を読んできたのかを知らなくては、何もできないだろうと思い、文学の文体研究と並行して、中国古典の勉強をはじめました。 / 政財界の人々は、学ぶことによって何かを超越してゆこうとしたのではなく、明らかにそこから何かを得、心の糧にしてゆこうとして読んだのだ、ということはよくわかっていました。しかし、そこから何を得たのかを知っておく必要が生じたわけです。それは自分の意志ではなく、むしろ仕事として、押しつけられたようなものでしたが、それが私が中国史へむかうとても重要なきっかけになったのです(p186「あとがきにかえて 文学と歴史のあいだ」)
2019年5月29日にレビュー