「副島隆彦の歴史再発掘」 副島隆彦著 ビジネス社 [日本史]
著者の果たした問題提起は評価したい
「歴史再発掘」というより、「歴史掘りちらし」という印象だ。たいへんな自信をもってご自身の見解が正しく真実であると主張しているが、その根拠は(自・他の既刊書を参照するよう促してはいるものの)本書中に十全に示されていない。もちろん、それなりの論拠は示されてはいるのだが、著者の論理をたどって行くと、著者のみ結論に達して、読者(少なくとも評者)は置き去りにされる感がある。著者の既刊書を読み、著者を知り、いわば弟子筋の人であれば納得するのであろうけれど、著者の本をはじめて読み、本書のみを根拠にして評価するなら、タワゴト扱いされてもおかしくないようにも思う。庭に繋ぎおかれる犬が、自分の移動範囲のなかで、そちこちに穴を掘り、その穴のなかで満足気に昼寝を楽しんでいたりするが、著者が本書でおこなったのは、そういったモノではないのかと感じた。それもあって「歴史堀りちらし」である。
もっとも評価するとは、二面性をもっている。評価する評価が評価する者の評価ともなる。評者が、著者の執筆するうえでの前提を知らないことが、本評価と絡んでもくるのだろう。論議の飛躍と感じられるところ、前提を十分に示していないところをあげるなら、たとえば以下のような陳述だ。「②陽明学は、自らも儒教のようなふりをしていたが、真実は、隠れキリスト教である。陽明学はキリスト教なのである。(p172)」。また、さらには、助詞が抜けていたり、送り仮名が変であったり、大日本帝国海軍提督井上“成美”のフリガナを「まさよし」としたりなど誤植が多く、編集者はなにをしているのかとの思いを抱いた。それもまた、著者の「再発掘」した真実の正確性・真実性を疑わせる印象を与えるものとなったように思う。
・・・と、だいぶ辛口のコメントを記したが、それでも、著者の果たした問題提起は評価したい。発掘されたモノを検証する必要があるが、オモシロイ論議ではある。著者は「あとがき」で編集長への感謝とともに「こんなに苦労するとは思わなかった」と記しているが、読者もまた苦労を強いられる。それでも、全編イライラしながらも読み通させる内容であったことはまちがいない。本当に駄本であるなら、途中で投げ出す。しかし、そうはしなかった。本来なら、掘りちらされた一つ一つの論題で一つの本ができるほどの内容なのではないかと思う。なぜに、拙速と言われかねない仕方で刊行したのだろうかと疑問に思うほどだ。それゆえにも、本書の核となるのは問題提起ということなのだろう。
目次
第1章 国家スパイが最先端で蠢く(「007」と「第3の男」から垣間見える世界支配者の“奥の院”)
第2章 外相 松岡洋右論(英米を騙そうとした松岡外相は偉かった。だが、松岡・近衛文麿首相・昭和天皇の3人はまんまと騙し返された)
第3章 映画『沈黙ーサイレンス』が投げかけるもの
第4章 江戸の遊郭、明治・大正の花街はどういう世界であったか
第5章 『デヴィ・スカルノ回想記』からわかるインドネシア戦後政治の悲惨
第6章 邪馬台国はどこにあったのか、最新の話題
2019年5月2日にレビュー
日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫)
- 作者: 岡田 英弘
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/06/10
- メディア: 文庫