「字幕屋のホンネ」 太田直子著 光文社(知恵の森文庫) [日本語・国語学]
5 「引退後の話」が聞けなくなった。残念である。
本書は「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (2007年 光文社刊)」を加筆・修正して文庫化したもの。字幕翻訳者としての苦労や日本語について著者の思うところが記されている。翻訳、日本語、映画に関心ある方にとって、たいへん興味深いものであるにちがいない。
ユーモアのセンスがあって、辛らつな批判をオブラートに包む。苦労話もたのしく読める。しかし、映画会社の下請として、締め切りの制約、字幕文字数の制約の中での苦労、字幕作りに理解のない担当者との間の軋轢、またコスト削減を迫られるなかでイイ仕事をしたいがための苛立ち・・・、それらが災いしたのだろう。著者は、2016年に癌で亡くなられたという。評者と同世代でもあり共感するところも多く、同級生がガンバッテイルように感じたので、ネットを調べて愕然とした。(以下、少し引用してみる)。
「こうして1週間ほどで1作品の字幕原稿が出来上がる。/ たった1週間で? / と驚かれるかもしれないが、1週間あればいいほうで、ときには3~4日でやってしまうこともある。字幕翻訳は、字数制限も厳しいが、それに劣らず時間制限(締め切り)もハードなのだ。いつも、「一刻も早く早く!」と尻を叩かれている(p23)」
「個人的な好悪の問題にすぎないかもしれないが、「(笑い)」の有無は文章力のバロメーターのひとつなのではないかと密かに思っている。(p50)」
「おそらくどんな世界でも、いちばんおもしろい話は公の場では聞けないのがふつうだろう。オフレコの「ここだけの話」がいちばんおいしいのだ。/ わたしもほんとうは実名をばんばん挙げて激白したいのだが、それは引退後の話。(p202)」
「引退後の話」が聞けなくなった。残念である。
2019年4月15日にレビュー
ひらけ! ドスワールド 人生の常備薬ドストエフスキーのススメ (AC BOOKS)
- 作者: 太田 直子
- 出版社/メーカー: ACクリエイト
- 発売日: 2013/10/28
- メディア: 単行本
以下、「字幕屋のホンネ」・「あとがき」から抜粋
(前略)
この仕事を続けてよかったなと思える効用のひとつは、さまざまな価値観が世界に存在することを、理屈ではなく体感として経験できたことだ。要するに、世の中なんでもありだとわかり、少々のことには動じなくなる。離婚や中絶や死や心の病や一家離散などあたりまえ、戦争もテロも宗教対立も死後の世界もクーデターも弾圧も暴力もマフィアの抗争も天災も、日常茶飯事。
もちろん「動じなくなる」というのは、感覚がまひするということではない。
平和で小さな日常に充足し、外の世界へあまり目を向けずに暮していると、なにかが起きてもそれが他人事である限り、想像力が働きにくくなる。優雅にお紅茶などいただきながら少しだけ眉をひそめ、「まあ、かわいそうに」「怖いわねえ」「世の中おかしくなっちゃったのかしら」などと、ありきたりなコメントを述べるのみ。当然その話題はそれ以上展開せず、空気を読むのに長けたマダムが適当なころあいを見計らって舵を切る。
「ところで、すごくいいサプリメントを見つけちゃったの。これがすごく効くのよ!」
なにが「ところで」か。平和である。
字幕をやっていると、そう脳天気にしてはいられない。もちろん劇映画はフィクションであり疑似体験に過ぎないが、字幕をつくるためには、せりふを精読し映像を凝視し、それぞれの人物がなにを言いたいのかを必死で探らなくてはならない。字数制限がなければ単なる翻訳機と化して直訳でお茶を濁すこともできるかもしれないが、制限字数内に要約するには心情を読まねばならないのだ。ゆえに、たとえ架空の話でも、凄惨な悲劇に見舞われた人物に深く感情移入し寄り添うことになる。
テレビのニュースや新聞で事実を知り、知識人や学者のコメントを聞いて理屈を知るのも大切だ。だが、さらにもう一歩踏み込んで「もしこれがわが身のことだったら」と想像し感じるには、映画や小説が力を発揮するのではないだろうか。
もちろん、気分転換や暇つぶしでもかまわない。笑って泣いてすっきりするのも効用だ。「映画はわたしの人生の教科書です」などと言うのはやめておこう。気紛れに手に取る副読本でいい。
(p229~230)
(後略)