書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで フェルナンド・バエス著 紀伊國屋書店 [世界史]
書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで
- 作者: フェルナンド・バエス
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2019/02/28
- メディア: 単行本
書物の破壊は、単なるモノの破壊ではない
「書物の破壊は、公的機関によるものでも個人によるものでも、必ずといっていいほど、規制、排斥、検閲、略奪、破壊という暗澹たる段階を経る」と著者はいう。本、書籍を物理的に破壊するという一連の動きは、単なるモノの破壊ではない。それは記憶の痕跡を消すことだ。著者はボルヘスを引用する。「人間が創り出したさまざまな道具のなかでも、最も驚異的なのは紛れもなく書物である。それ以外の道具は身体の延長にすぎない。たとえば望遠鏡や顕微鏡は目の延長でしかないし、電話は声の、鋤や剣は腕の延長でしかない。しかしながら書物はそれらとは違う。書物は記憶と創造力の延長なのである」。そして、書く。「書物は記憶を神聖化・永続化させる手段である。それだけに今一度、社会の重要な文化遺産の一部として捉え直す必要がある。文化は各民族の最も代表的な遺産であるという前提で物事を理解しなければならない。文化遺産そのものが伝達可能な所有物なのだという思いを人々に抱かせるだけに、領土内の帰属意識、民族アイデンティティを高める性質がある。図書館、古文書館、博物館はまさにその文化遺産であり、各民族はそれらを記憶の殿堂として受け入れている」。そしてさらに、書く。「記憶のないアイデンティティは存在しない。自分が何者かを思い出すことなしに、自分を認識はできない。何世紀にもわたってわれわれは、ある集団や国家が他の集団や国家を隷属させる際、最初にするのが、相手のアイデンティティを形成してきた記憶の痕跡を消すことだという事実を見せつけられてきた」。(以上「括弧」部分は、「イントロダクション」からの抜粋)。
本書は、そのような問題意識をもった人物による著作である。当該翻訳はその最新版。以下に、「最新版を手にした読者の皆さまへ」からも引用してみる。「私の父は『書物と図書館は無処罰特権や教条主義、情報の操作や隠蔽に対処する伏兵だ。その事実を人々はすっかり忘れてしまっているが、けっして忘れるべきではない』と強く主張していたが、彼の言い分は正しかった。抑圧者や全体主義者は書物や新聞を恐れるものである。それらが “記憶の塹壕” であり、記憶は公正さと民主主義を求める戦いの基本であるのを理解しているからだ」。「2004年に『書物の破壊の世界史』初版が刊行されると、あまりの反響の大きさに、私は自分が文明の古傷に触れたのを実感した。何よりも書物が伝える記憶の価値を大勢の読者に認識してもらえたことが嬉しかった」。
書物の破壊は、単なるモノの破壊ではない。それは、自分の、われわれの、他者の、彼らの記憶と関係し、アイデンティティの問題に繋がる。書物を破壊する一連の動きが今生じているということはないだろうか。各々のアイデンティティを危うくする事態が進展しているということは、ないだろうか。今、現在、身辺に生じている出来事を吟味する上で過去の事例はおおいに役立つ。
2019年4月13日にレビュー