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使える!「国語」の考え方 (ちくま新書) 橋本 陽介著 筑摩書房 [日本語・国語学]


使える!「国語」の考え方 (ちくま新書)

使える!「国語」の考え方 (ちくま新書)

  • 作者: 橋本 陽介
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2019/01/08
  • メディア: 新書


「物語論(ナラトロジー)」に基づく論議は興味深い

あらゆる学習能力の根幹ともいえる「国語」能力、日本語運用能力を高める点で示唆に富む本。著者の専門とする「物語論(ナラトロジー)」から多く論じられる。

著者は、高校国語講師としての経験を踏まえつつ、国語科・指導要領から、「国語」科の目指すところを解説し、実際の授業とを対照させる。「物語論」の観点から、より深く読解する方法、より理解しやすい文章作成の方法を示す。

国語力アップといっても、小手先のチマチマした内容ではなく、言語というもののクセ(出来事を示すだけでなく、その因果関係を探り、物語ってしまう、など)を示して、ニュース報道されるモノ、専門家と称する人々が学術的に語るモノなど(延いては世界)を適性に見、評価できるように助けてもくれる。

著者の(本は、はじめてだが)専門分野の既刊も目をとおしたい。

2019年3月11日にレビュー

以下、「目次」

1章 現代文の授業から何を学んだのか? 
(国語の授業はつまらない? 何をやっているのか分からない 学習指導要領では 心情中心主義と鑑賞中心主義 読書感想文の影響力 芥川龍之介「羅生門」をどう教えているのか 心情を読むとはどういうことか 原作から何が変わっているのか 説明ではなく描写がよい理由 価値判断を行うのは読者 小説文の授業について生徒はどう感じていたのか こんな否定的意見があった 解釈の押しつけが嫌だ)

第2章 小説を読むことの意味を問う
(「書かれていること」以上の読みはどうやったらできる? 「読み」のブレが起きにくい作品 作者・芥川龍之介からの解釈 「作者」から「語り手」への視点のスライド 読者はどのように読み取るのか 物語論(ナラトロジー)という別の読み方 時間を進める文と進めない文 誰の視点から書くのか 内面を書くのか、書かないのか)

第3章 教科書にのる名作にツッコミをいれる
(一方的に「味わう」ことはできない 「羅生門」って面白かったですか? 主題が明瞭すぎないか 下人に生々しさがない 『天空の城ラピュタ』にみるメッセージの込め方 「比喩」はいたるところで使われる 隠喩と直喩をわける意味はあるのか 名作「舞姫」をいま読むと 高校生には不人気な豊太郎 ライトノベルぐらい都合がよい 小説文のテストの難しさ 小説は教えるべきものなのか 文学で世界を旅する 時間を知るための道具 異なる視点を知るために 「小説」を超えて)

第4章 「論理的」にもいろいろある
(「論理的」が独り歩きしている これまでの入試でも論理は求められていた 「読む力」と「書く力」はお互いに影響を与える)

第5章 理解されやすい文章のセオリー
(どういう順番で書いていくべきか 話題にスムーズに導入するために 論じると決めた事以外は触れてはいけない 事柄の関係性に気を付けて並べる トピックセンテンスを活用する 「全体的・抽象的→具体的→
全体的・抽象的」の流れ まずは気にせず書いてみて、後に整理する)

第6章 情報を整理し、ストーリーをつくる
(どんな文章にもストーリーがある 情報の新旧の順番は間違えてはいけない 情報が錯綜する読みにくい例 細部にも読みにくさが潜んでいる 話すときにも順番とメリハリは大事 難しいことを分かりやすくするには 単純化させず、分からないことを想像する 未知のものを既知のものに置き換える)

第7章 論理ではなく、論拠を探せ!
(「論理学」の論理とは違った「論理」 「論理国語」の論理とはなにか その情報がどうやってつくられたかを読み解く 「教育勅語」をめぐるニセ情報 検証なしに「真実」にはたどり着けない 知識は知識の積み重ねによってできている 「なぜそう言えるのか」と問い続けること 課題発見は「なぜ」と問うことからはじまる)

第8章 すべての事実は物語られる
(文学的と論理的の間の日常的な文章 価値観によって物語の意味は変わってくる 書き手のバイアスと読み手のバイアス 報道の文章に潜むストーリー 先にストーリーが作られる 歴史も真実であるとは限らない 物語的イメージにとらわれる歴史 資料的根拠と解釈のあいだ フィクションと事実の連続性 引用され、断片化され、情緒的に働きかけられる)

あとがき



物語論 基礎と応用 (講談社選書メチエ)

物語論 基礎と応用 (講談社選書メチエ)

  • 作者: 橋本 陽介
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/04/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



疎外と叛逆ーーガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話

疎外と叛逆ーーガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話

  • 作者: G. ガルシア・マルケス
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2014/03/31
  • メディア: 単行本


なぜ小説文読解では心情の読みが中心となるのだろうか。/ 小説は物語の一種であるが、物語とは「時間的展開のある出来事を語ったもの」と考えることができる。つまり「水は水素と酸素からなる」は、普遍的なことがらを表しているが、一回きりの出来事を書いたものではないし、時間的な展開、状態の変化は語られていないため、物語文とは言えない。一方、「王が戦争で死んだ」は、「王が生きている状態⇒死んだ状態」へと変化しているため、物語的な文である(もちろん、さすがに王が死んだことを表すだけでは、普通は物語とはみなさないだろうが)。/ このため、小説文の第一の要素として、時間が展開していくこと、つまりは筋が展開していくことが挙げられる。面白いエンターテインメントの小説やドラマ、映画などを見ていると、先の展開が気になるだろう。これは、エンターテインメント作品において、読者や視聴者が第一に気にしている点が、筋の展開だからである。/ 小説文の第二の要素として挙げられるのが、登場人物の内面である。小説は原則として人間を描くものだが、人間はその物語の場面において、さまざまな感情を抱くし、思考する。小説によっては、一切心情を書かないものも存在しているが、登場人物が出てくる以上は何も考えていないことや、感情を一切もたないということはありえない。何が起こっているかという事実の叙述と、その場面にいる人物の内面をどのように描くのかが、近代小説において重大な要素なのである。従って、授業においても入試問題においても、最もよく訊かれるのはこの二つである。つまり、「何が起こったのか」と、それに対して人物が「どのような感情を抱いたのか、どのように思ったのか」である。<この後著者は、“近代”文学における「自我」重視について述べている> (「1章 現代文の授業から何を学んだのか?」 心情を読むとはどういうことか p028,029)

優れた芥川論を読むと、「面白い」と思ってしまいがちだが、ここでも疑問が出る。面白いのは芥川の書いたものではなくて、その芥川論の方なのではないかという疑念も出るのである。どうにもならないほどつまらない小説なのに、その批評や研究は面白いということはありうる。/ では、できるだけ芥川のラベルをはがして「羅生門」を考えた場合、どうなるだろうか。かりに私が新人賞の審査委員で、「羅生門」が送られてきたら、どう思うだろうか。たぶん落とすと思う。歴史的評価を行わず、現時点で私と「羅生門」との対話を行った場合、おろらく高い評価にならないだろうと思われる。これからその根拠を述べてみたい。(「第3章 教科書にのる名作にツッコミをいれる」 「羅生門」って面白かったですか? p078)

そこで私は、日本を離れて世界中の小説を読むことを推奨したい。幸いにして日本は翻訳大国であり、非常に多くの国の小説を日本語で読むことができる。・・略・・小説には人物がいて、出来事があり、その背後には、日常生活があり、文化がある。場面が描かれているので、客観的な報告や地理の教科書などとは異なり、生き生きとしている。つまり小説を通じて、世界旅行をすることができるのである。もちろん「百聞は一見に如かず」ということもあるが、観光旅行では表面的なところしか見ることができない。それに対して、小説では現地の人たちの目線でその生活を追体験することができ、別の魅力がある。私は小説体験と海外旅行体験をたいがい同時に行うが、それによって複合的に社会が見えてくる。<この節の後、著者は、「時間を知るための道具」として、また「異なる視点を知るために」小説を読むことができると論じる>。(「第3章 教科書にのる名作にツッコミをいれる」 文学で世界を旅する p105,106)

言うまでもないが、文章を読む力も書く力もどちらも大切である。文章がどのようになっているのかを理解すれば読む力も上がるし、書く力にもつながっていく。昔ながらの典型的な入試問題にも、実は文章の書き方のヒントは入っていたのだが、必ずしも明示的に教わったわけでもないだろう。そこで本書では、文章を「書くこと」の観点から、先ほど挙げたような項目を見ていくことにする。(「第4章 「論理的」にもいろいろある」 「読む力」と「書く力」はお互いに影響を与える p120)

以上のように、文章を分かりやすくするためには、相手が分からないであろうことを想像し、その前提を解説する必要がある。さらに、その説明にいったい何の意味があるか、根本的なところも説明できると、謎が解かれた感じがし、面白く感じられやすい。説明が下手な人とうまい人の違いは、往々にしてこの二点に求められる。/ ときどき、難しいことを分かりやすくしようとして、単純化してしまっている文章をみることがある。しかし、単純化しすぎても誤解が生じたり、深い理解にたどり着かないことが多い。真に分かりやすい文とは、単純化することではない。想定する読者の理解レベルを考えて、分かりにくいところを順序よく理解させ、その意義にまで入り込むことである。(「第6章 情報を整理し、ストーリーをつくる」 単純化させず、分からないことを想像する p174から)

 
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