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THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語 ナディア・ムラド著 東洋館出版社 [外交・国際関係]


THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―

THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―

  • 作者: ナディア・ムラド
  • 出版社/メーカー: 東洋館出版社
  • 発売日: 2018/11/30
  • メディア: 単行本


超1級のノンフィクション

マイノリティー・弱者に対する不当な扱い、差別、権威の乱用は、古来ある。著者は、その直接体験者である。しかも、その不当さは甚だしい。自分と異なる宗教であるというだけで、モノとして扱われ、売買され、所有物として監禁され、また他に譲り渡された。「性奴隷」としてである。

本書で、ISISのイスラム教がニセモノであることが明らかにされる。イスラムの教義と称しながら、自分の都合のいい解釈のもと、犯罪を実行して止まない。それには大量殺人も含まれる。著者は、それを告発し糾弾する。そして、その矛先は、それを見聞きしながら平然とふつうに暮らす者たちにも向けられる。その中には、イラクから遠くにあるものの、ニュースを見聞きした日本人読者の多くも入るにちがいない。評者も例外ではない。

本書・副題に「私を最後にするために」とあるが、今でも、その不当さの大小にかかわらず、マイノリティー・弱者に対する不当な扱いは続いている。その小さなもの微小なものも含めるなら、「私」も現に差別され不当な扱いを受けているにちがいない。人間のかざす権威とは、ただそこにあるだけで、時に暴力的で不当なものになるものである。著者と異なるのは、「私」は声をあげていない、「私」は告発し糾弾していないというそのことだけかもしれない。

本書をとおし、若い女性の立場から見たイラク戦争後のイラク内部の情勢、そこでの出来事、ISISの犯罪を知ることができる。そして、それだけでなく、家族への愛情と豊かな感性をもった著者の語りは、昭和のむかしの大家族の姿や地域社会を髣髴とさせる。それを知る方なら、外国のことでありながら懐かしい思いをされるにちがいない。その思いが強ければ強いほど、心動かされるにちがいない。翻訳も読みやすい。

2019年1月24日にレビュー

説教したがる男たち

説教したがる男たち

  • 作者: レベッカ ソルニット
  • 出版社/メーカー: 左右社
  • 発売日: 2018/09/07
  • メディア: 単行本


イラクでもシリアでも、私たちが拷問を受け、レイプされているあいだ、人々は普通の暮らしを送っていた。そして、私たちのような女性たちが、所有者となった戦闘員に連れられて街を歩くのを眺め、処刑されるのを集まって見ていた。そのひとりひとりが何を感じていたかは、私にはわからない。

2016年の後半にモースルの解放が始まると、人々はISIS支配下で暮らすことの苦難について語りはじめた。あのテロリストたちがどれほど冷酷か、自分たちの家に爆弾が落とされるのを想像しながら頭上を飛ぶ飛行機の音を聞くのがどれほど恐ろしかったか。充分な食べ物を得ることもできず、電気も止められていた。子供たちはイスラム国の学校に行かなければならず、男の子たちは戦わなければならなかったし、それにやることなすことすべてに罰金か税金が課されると。人々は路上で殺される、と彼らは言った。生きる道がなかったと。

けれど、私がモースルにいたころ、人々は普通の暮らしを送っているように見えたし、そこに住む人々にとって良くなっているようにさえ思えた。そもそもその人たちはなぜ街を出なかったのか?ISISに同調して、彼らの言うカリフ制国家がいいものだと思ったのだろうか?2003年のアメリカによるイラク侵攻から続いた宗派間の抗争からの当然のなりゆきに見えたのか?もしもISISが約束していたとおり、暮らしが良くなり続けていたとしたら、あのテロリストたちがやりたい放題に人を殺すのを黙って見ているだけだったのだろうか?

そうした人たちに対して、同情心を持とうとはしてみた。だって、彼らの多くは怖かったわけで、はじめはISISを歓迎した人々でさえも、モースル解放後、最終的にはISISを憎んでおり、自分たちはいいなりになるしか選択肢がなかったと言っているのだから。でも、ほんとうのところ、選択肢はあったと私は思っている。・・後略・・
(p310,311)
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