『愛読の方法 (ちくま新書)』 前田 英樹著 筑摩書房 [読書法・術]
うつくしい音楽を聴くような
林望先生の本に、『役に立たない読書(インターナショナル新書・集英社)』がある。そこでは、単に読書量を誇ることなどないよう戒められ、自分の興味にしたがって愛読書を見出し、よく考えて、心の栄養とするように、「ペダントリーではなくインテリジェンスへの道を行くよう」勧められている。
本書は、より深いところを行っている。多読によって知識をひけらかす浅はかな道を行くことのないように勧める点では、同じだが、本書はもっと哲学的である。文字という人間の発明した道具の功罪についての論議を、著者は自身の教師生活から語りはじめる。そして、もっぱらの内容は、著者自身の愛読書についてである。それはプラトンの『パイドロス』であり、中島敦『文字禍』であり、ショーペンハウエル『読書について』であり、デカルト、アラン、吉川幸次郎の著作であり、伊藤仁斎、荻生徂徠、本居宣長の著作である。それら自分の愛読する本について語るなかで、「愛読の方法」を示していく。
ビジネス書によくあるように、箇条書きで方法①・・、②・・という具合にはなっていない。本書全体が、「愛読の方法」について謳(うた)っている。愛読とは、魂の共振と言っていいのだろう。それは、文字を介して、作者の魂とよぶべきモノに触れて、こちらも共振することだ。それはアタマの問題というより、生き方の問題となってくる。そのことを著者はくりかえしくりかえし語っていく。
では、本書は「老いの繰り言」のようにツマラナイものか。そうではなく、うつくしい音楽を聴いているようである。どうぞ聴いてみてほしい。愛するものについて語るのを聴くというのは、なんと魅力的なことだろう。そう思われるにちがいない。もっとも、そう感じるのは、著者の魂に共鳴できる人だけか。そうではないように思う。哲学的ではあるが平易に記されている。誰もがきっと、自分の読書生活を吟味するよい機会ともなるし、愛読書をもつことを願うようになるにちがいない。
2018年11月21日にレビュー