「明治礼賛」の正体 (岩波ブックレット): 斎藤 貴男著 [日本史]
天皇・皇后両陛下のお気持ちが分かるような・・・
「過ちは人の常・・・」と諺にもある。だから、ただの人間が、やたら持ち上げられ賞賛されたりすると首をひねらざるをえない。その人物が、個人的に知っている人間であればなおさらだ。それは、時代についても言えるだろう。所詮、人間がつくりあげたものである。不完全な人間が織りなした時代が完全であろうはずがない。それは、「明治」という時代についても、同じのはずだ。
著者は、今日、「礼賛」の対象となっている「明治」の正体を暴く。礼賛したいと願う人、礼賛していた人にとっては、たいへん興ざめにちがいない。それでも、事実は事実である。こうした、視座、視点があるから、世の中バランスが取れるのであろう。
最近、「明治150年記念式典」があった。ひとつのニュースを見て、思わず苦笑した。天皇・皇后両陛下がその式典に出席しなかったという記事だ。象徴天皇は政治に巻き込まれることを嫌ったのであろうと勝手に解釈した。それが、本来の立場だからである。しかし、それ以上に、老骨に鞭打って各地に慰霊の旅に足しげく通ってこられた戦中派天皇・皇后は、十分すぎるほどに〈「明治礼賛」の正体〉をご存知であるからのことであるようにも思った。これもまた勝手な解釈であるが・・・。
いずれにしろ、今日、国家的に、「明治」が「礼賛」される背後にはソレなりの意図があること。そして、実際の明治は、それほどのしろものではなかったことが記されて興味深い。
2018年10月31日にレビュー
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当該書籍には、作家・司馬遼太郎が映像化を禁じていた『坂の上の雲』についての論述もある。それもまた、興味深い。
司馬遼太郎没後10年
https://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-04-23
引用されているソウル出身の知識人の言葉が興味深い。というより、胸に刺さる。(p35)
「日清戦争でも日露戦争でも、日本は欧米列強のサロゲート(代理人)として戦い、彼らのアジア侵略の先兵として機能しました。明治維新以来の“脱亜入欧”の旗の下で同じアジア人を売ることで峠を上り、“名誉白人”として振る舞うことで民族の矜持とアイデンティティを維持してきた国です。その白人様に裏切られ、峠から転がり落ちたのが太平洋戦争であったけれども、戦後は再び、同じように行き続けていますね」