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『あとがき』から(『主権の二千年史 (講談社選書メチエ)』 正村 俊之著) [社会・政治]


主権の二千年史 (講談社選書メチエ)

主権の二千年史 (講談社選書メチエ)

  • 作者: 正村 俊之
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/06/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



あとがき

本書は、前著『変貌する資本主義と現代社会ー貨幣・神・情報』(有斐閣、2014)の姉妹編にあたる。前著と本書は、それぞれ資本主義と民主主義をテーマにしているが、共通の論理構成をとっている。貨幣と権力を分析の中心に据え、両者の歴史的起源に立ち返った上で、貨幣と権力の現代的なあり方を問うている。なぜ、そのような迂遠な方法をとったのかといえば、現代の資本主義と民主主義を理解するためには、既存の貨幣観や権力観を見直すところから始めなければならない、と考えたからである。

これまで資本主義と貨幣、民主主義と権力を研究してきたのは、主に経済学と政治学だった。多くの経済学理論は、貨幣を最初から商品市場の中で働く媒体として位置づけてきた。貨幣の機能として交換機能の他に価値尺度機能があることは以前から知られているが、その価値尺度機能というのは、商品交換を可能にする働きとして理解されている。貨幣は異なる商品に内在する共通の価値を計ることによって商品交換を成立させる、というわけである。一方、政治学において権力は、権力者の意志を貫徹する力とみなされてきた。近年では、権力をより広義に解釈するようになってきたが、それでも権力の主体が人間であるということは自明の前提になっている。

つまり、既存の貨幣観と権力観は、人間が自律的な存在であること、そして経済と政治が明確に区別された領域であることを前提にした上で、貨幣と権力を商品交換と政治的支配を成立させる媒体として捉えていたのである。

しかし、この二つの前提は決して歴史的所与ではなく、それ自体が社会の歴史的発展の所産なのである。貨幣と権力は、その起源まで遡ると、単に経済と政治という独立した領域の中で人間と人間を媒介していたのではないことが分かる。聖なる力としての原始権力は神と人間を媒介することで支配者と被支配者を媒介したが、それに類することは貨幣にも言える。原始貨幣は、神に捧げる諸々の供物の価値を計る尺度として、また罪を贖う手段として使われていた。

原始権力と原始貨幣は、どちらも供犠という原始的な宗教儀礼の中に登場し、神(聖なる世界)と人間(俗なる世界)を媒介する働きを通して人間と人間を媒介していた。その媒介性は、政治的・経済的な意味での媒介性に限定されない。キリスト教においてイエスは人類の罪を贖う存在として認識されているが、原始貨幣も物理的暴力に対する贖罪手段として使われた。このとき、原始貨幣は物理的暴力の連鎖を食い止める規範的な役割を果たしている。

現代の貨幣や権力は、もちろん神と人間を媒介しているのではない。それらの歴史的起源を知ることの意味は、経済と政治を峻別し、貨幣と権力を独立の媒体として捉える伝統的な理解を相対化することにある。実際、資本主義の「限界」や「終着」が囁かれる昨今、原始貨幣に注目する議論が増えてきた。そうした議論も、もっぱら経済的変化に焦点をあてているが、その変化は経済領域内にとどまるものではない。

今日、資本主義と民主主義がともに大きな変化に見舞われているのは偶然ではない。それらの変化は、両者に通底する現代社会の地殻変動の現れなのである。共通の起源をもつ貨幣と権力はのちに分離し、近代においてそれぞれ経済的・政治的な領域内で自己完結的に作動するようになったが、その関係が再び変化してきている。こうした歴史的変化を経済の側面から論じたのが前著であり、政治の側面から論じたのが本書である。

後略

2018年1月 正村 俊之
変貌する資本主義と現代社会 -- 貨幣・神・情報

変貌する資本主義と現代社会 -- 貨幣・神・情報

  • 作者: 正村 俊之
  • 出版社/メーカー: 有斐閣
  • 発売日: 2014/03/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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