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ドイツ文学者でエッセイストである方の自伝のような本から [エッセイ]


記憶の海辺――一つの同時代史

記憶の海辺――一つの同時代史

  • 作者: 池内 紀
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2017/12/01
  • メディア: Kindle版


今(2018-04-05)読んでいる本から、以下に引用してみたい。ドイツ文学者でエッセイストである方の自伝のような本だ。その方は、ウィーン留学時の経験を興味深く記している。

しばらく前に、天才を輩出した都市をとりあげた『世界天才紀行』という本を読んだ。その本では、ウィーンに2章を当てていた。たしかに凄い面々が出ているのである。
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2016-12-23-1

いま、それを思い出しつつ読んでいるところ。

(以下、引用)

同じ生年だから同時代に生きたとはかぎらない。それを同窓でむつみ合うのは、ぬくろみの残ったトイレに腰を下ろすような不快感がある。11

学校では民主主義をおそわったが、まわりの社会では戦前からの制度と習わしがゆるぎなく支配していた。30

当時ゲーテなど眼中になかった。それは叔父のような旧制高校出の時代遅れの知識人にふさわしい、古色蒼然とした古典作家にすぎなかった。71

1967年、はじめて私はウィーンへ行った。オーストリア政府奨学金という制度があって、運よくそれにありついた。・・・ウィーン大学の窓口で、奨学生は授業に出なくてはならないのかとたずねると、窓口係の若い男は肩をすくめた。それから、「お好きなように」と言った。・・・それで安心して、授業には出ないことにした。知りたければ本を読めばいい。考えるためには頭がある。せっかく遠い異国の古都に来て、古ぼけた大学の机にしられていることはない。81

後日、私は友人に、その男のことをたずねた。、ウィーン・フィルのメンバーで、・・・エッセイの名手で、新聞に匿名で書いている。本はない。書く楽しみが満たされればそれで十分、「なんぞおのが恥を千載にのこそうぞ」とか。友人はつけ加えた。 / 「この手の変わり者は、ウィーンにどっさりいるね」90

図書館の常連たちであって、おおかたが白髪の老人だった。一般にヨーロッパにはアカデミズムとは一線を画して民間学者の伝統があるが、名を知れば、それにつらなる人たちだったと思われる。101

日本を立つ前、若気のいたりで薄っぺらな詩集を詩集専門の出版社から出していた。・・・あとになって恥じらいのあまり、一冊のこらず処分した。108

(フラウ・ブロノルドは)その能力からして、もっと広い世界で華やかに活躍できる人なのに、貧乏な詩人や作家の面倒をみる小さな組織で苦労していた。111

そのころ(エリアス・)カネッティを知ったばかりで、典型的な辺境の子の異質性に呆然とする思いだった。・・・文学にかぎらず、何らかの新しい思想や試み、また新しい人間タイプは、おおかたの場合、辺境からきたのではあるまいか。116

饒舌が、そして饒舌のみが幅をきかせる20世紀に、みごとな沈黙のスタイルを商品化した。この現代にあっては、沈黙のスタイルほど雄弁なものはないことを、よく知っていたからにちがいない・・・。138

小林太市郎はたぐいまれな学者だった。にもかかわらず、ほとんどといっていいほど知られていない。 / この解説者によると、小林太市郎は「一種の自己韜晦者」であって、晩年には神戸の大学に職を奉じたが、教授会には一度も出てこなかった。134

諷刺の歴史をつづってみてもつまらない。やたらに名前と作品名が並ぶだけで、そんなものを誰が読みたいと思うだろう。たとえ古典ギリシアや中世にさかのぼるとしても、とりあげた対象が何らかのかたちで現代とかかわりをもたなければ意味がない。162

シーザー暗殺事件のあと、キケロは気にして訊ねたという。巷の喜劇役者がこの事件をいかにとりあげ、民衆がそれにどのような反応を示しているか。このエピソードはいかにもキケロの鋭敏な政治的本能を伝えている。あきらかに彼は政敵よりも民衆を恐れた。笑いにこめられたエネルギーが、いつ何どき行動に転化するかもしれないことをよく知っていた。163

カリカチュアによる諷刺は見えないものを見せるわけではない。ちゃんと見えているのに、人が見ようとしないものを見せるものだ。166

ペーター・アルテンベルク 市民社会の落ちこぼれだったが、かたわら、ともてステキな散文を書いた・・カメラマンがスナップ写真を撮るようにして印象深いシーンを目の底にやきつけ・・ありあわせの紙にそそくさと書きとめた。 / そんなペーターのポケットからくしゃくしゃの紙を取り出し、新聞社や雑誌社に持ち込むのが、若いエゴン・フリーデルの役目だった。のちに浩瀚な『近代文学史』を著した文明史家で、ウィーン大学卒の大読書家。彼もまた畸人の一人といえただろう。・・ウィーンの世紀末をいろどったディレッタントの一人である。181

世紀転換期のウィーンに、おびただしい才能が輩出した。さまざまな分野にわたり、特異な個性がひしめいている。それは奇怪なながめですらあるだろう。183

ウィーンの世紀末における才能の輩出には、東洋の島国から見るとお伽噺のような、およそケタ外れの多言語国家と多言語人間が介在している。187

文明は爛熟すると、異種変種を生み出してくるものだ。「中心」の人物たちはまた、その身にひそかな「辺境」をかかえていたようなのだ。カール・クラウスは仮借のない文明批評家であると同時に、おそろしく達者な俳優であって、シェーンベルクは・・・、ホフマンスタールは・・・、ヴィトゲンシュタインは・・・188

カール・クラウスはこう言いさえした。「言葉遊びから思想が生まれる」227

クラウスによれば、ジャーナリズムこと、この大戦をひき起こし、四年余の長きにわたって引きのばした張本人だった。232



人類最期の日々[普及版](上)

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  • 作者: カール・クラウス
  • 出版社/メーカー: 法政大学出版局
  • 発売日: 2016/11/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



人類最期の日々[普及版](下)

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  • 作者: カール クラウス
  • 出版社/メーカー: 法政大学出版局
  • 発売日: 2016/11/25
  • メディア: 単行本



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