『あんた、ご飯食うたん? 子どもの心を開く大人の向き合い方』 中本忠子談 カンゼン [教育・学び]
あたまが下がります
ほんとうに頭が下がる。中本忠子さんは、たいへんな「ばっちゃん」だ。
本書は、ひょんなことから保護司になった「ばっちゃん」のこれまでと今とが記されている。保護司になったいきさつ、本来そうする必要など無い「ご飯」の提供をなぜ始めるようになったか、なぜ40年近く続けることができたか、「ばっちゃん」の子どもたちとその親たちへのまなざし、接し方、つきあい方、その点での試行錯誤・・・。
「ばっちゃん」の話が、そのまま本になっている。その息づかいまでが伝わってくる。目次をみればだいたい中身を推しはかることができるが、その話から予想以上の得がたいものを得ることができる。その体験の濃さは読んでみないとわからない。40年ちかい実践からでる話は、へたな宗教家の話を聞くより、はるかに心に響くものがある。
そもそも、書籍タイトルにある「子ども」の多くは児童図書館に遊びにくるような子どもではない。ネグレクト、薬物依存、アルコール中毒、窃盗癖などで刑務所を往復し、出所すると児童扶養手当をとるために、子どもを引き取り、受け取ったカネをパチンコやアルコールに使って、子どもの世話はしない、そうした親を持つ子どもたちである。「ばっちゃん」はときに、そうした子どももその親も自分の「子ども」のように世話をする。しかし、ただ甘やかしているのとは違う。更生を、「負の連鎖を断ち切るためにできる」ことを期待してそのようにしている。
「大人」(とりわけ保護者、教育に携わる方、ボランティアを望む方など)は、その責任を自覚させられ、また多くの啓発を得ることができる。
2018年2月15日にレビュー
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以下は、『41 人生寄り道した人ほど、あったかい』から引用
ときどき、いろいろ知識はお持ちのはずなのに、屁理屈ばかり言ってこちらの話が伝わらないという方がいます。そういう方は、子どもたちに対しても、上から目線での話し方をするので気になります。これまでの人生スムーズに来て、あまり苦労していないタイプの方に多いように思うんです。
それに対して、小さいときにやんちゃをして、人にめいわくをかけて、だれかに世話になる形で人に接してきたような人は、会話にも、行動にも、あったかみがあります、人間的に。
警察のお世話になったり、どこかへ行ってしまったり、さんざん心配させられ、やんちゃでほんとうに手を焼いた、という困った子ほど、成長するにつれて優しさを見せてくれる。
私が倒れたときにはおかゆをたいたのを言づけてくれたり、あれこれといろんなお世話をしてくれるのはそういう子たちなんです。
その中の一人は、
「おれ、養老院に勤めるけんね」
と言うので、それは今の職業とは180度違うの、と言うと、
「ばっちゃんの準備せな。そろそろ養老院入るやろ、ばっちゃんのことはおれが見てやるけん」
なんて、そんなことを言ってくれる子もいるんです。
何度も転んだ経験のある人は、あったかい。人に対する真の優しさを持っているように感じています。
苦労をして、失敗して、人生いろいろと寄り道しても、延長戦をしてがんばっている。そんな子たちの人間味といったら、大きいですよ。