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『多田富雄 からだの声をきく (STANDARD BOOKS)』 平凡社 [エッセイ]


多田富雄 からだの声をきく (STANDARD BOOKS)

多田富雄 からだの声をきく (STANDARD BOOKS)

  • 作者: 多田 富雄
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2017/12/10
  • メディア: 単行本


科学者(免疫学者)であると同時に、「能楽」にたいへん造詣が深かった人物によるエッセイ

STANDARD BOOKSは、「科学と文学の双方を横断する知性を持った科学者・作家を1人1冊で紹介する随筆シリーズ」。これまでも、岡潔、牧野富太郎など発行されてきた。多田富雄は、科学者(免疫学者)であると同時に、「能楽」にたいへん造詣が深かった。それゆえ、STANDARD BOOKSシリーズに、取りあげられるに足る人物である。

多田の刊行物としては、藤原書店から『多田富雄コレクション』(全5巻)が出ているが、本書にはそのエッセンスが収められているといっていいのだろう。評者は、はじめて本書で多田の著作に触れる機会を得たが、大学時代「能楽堂にいりびたり」「ひどく人生に悩んで」「かけもちで一日二ヵ所のお能を見たこともあった」人物、しかも後に「鼓方大蔵流の達人の稽古を受けるようになった」方ならではの、能楽評(舞台、鼓、面など)を知ることができる。本書収録の「能を観る」には、観能に出かけ、客席に座をしめ、シテ方の出を待つあいだから終演に至るまでのことが、たいへん魅力的に記されている。実際、これは見にいかねばなるまい、と思わせるだけの力がある。記す本人が、それだけの魅力を実感していなければ到底書けない文章である。

『能』への多田の関心は、専門の医学や社会事象にも反映されている。「能」が死や「亡心(亡霊)」と深くかかわるように、本来「生」を取りあつかい「死が否定されていた医学生物学の世界」にあって、多田の死への(それはつまり「生」への、と即言いかえることができるが)眼差しは深い。その点、「アポトーシス」に関する論議は興味深い。〈アポトーシスは、外力によって細胞が殺されるのではなくて、細胞が自ら持っている死のプログラムを発動させて死滅していく自壊作用による死である。「自死」というような訳語もしばしば見られる。〉と説明したのち、具体例などあげながら、結びで次のように述べる。〈したがって、細胞の利他的な死があったからといって、集団の中での個人の生死や、組織の中での人間の生き方に安易に投影してはいけない。そこには、もっと上の階層の問題としての哲学的な死の概念があり、それは下の階層である細胞の死と同じ平面では扱えない。(「死は進化する」)〉。そのことは、別のエッセイ(「超システムの生と死」)で、平明にこう論じられる。〈同様に、細胞のアポトーシスに見られたルールを個体の生命にまで広げて、ことに人間社会における適者と不適者の選別に投影するなどというのは、生命の階層性を無視した論理である。会社組織において一握りのエリートは以外は、不況下では脱落してゆけばよいなどという論理は、科学の仮面を被った愚かな俗論である。〉

本書では、多田がスペイン、軍政下のミャンマー、イタリアを訪問したときの経験・考察も記されている。それもまた、興味深い。

(以下目次) 科学者の野狐禅 / 手の中の生と死 / 人間の眼と虫の眼 / 甲虫の多様性、抗体の多様性 / 風邪の引き方講座 // ファジーな自己(行為としての生体) / 超(スーパー)システムの生と死 / 死は進化する // 能を観る / キメラの肖像 / 記憶を持つ身体 / 里のカミがやってくる / 面を打つ / 裏の裏 / 春の鼓 // からだの声をきく / ビルマの鳥の木 / ゲノムの日常 / インコンビニエンス・ストア / 鳴らない楽器 / 日本人とコイアイの間 / 老いの入舞 // オール・ザ・サッドン / 新しい人の目覚め / 理想の死に方 // 生命と科学と美 (理科が嫌いな中学生の君へ) // 著者略歴 / もっと多田富雄を知りたい人のためのブックガイド

2018年2月14日にレビュー

『牧野富太郎 なぜ花は匂うか (STANDARD BOOKS)』 平凡社
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2016-09-28

牧野富太郎 なぜ花は匂うか (STANDARD BOOKS)

牧野富太郎 なぜ花は匂うか (STANDARD BOOKS)

  • 作者: 牧野 富太郎
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2016/04/11
  • メディア: 単行本



日髙敏隆 ネコの時間 (STANDARD BOOKS)

日髙敏隆 ネコの時間 (STANDARD BOOKS)

  • 作者: 日〓 敏隆
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2017/10/13
  • メディア: 単行本


以下、「からだの声をきく」から抜粋

*********

堤(可厚ヨシアツ)先生は、もう二十年余りもケニア、ザンビア、ジンバブエなどの国々を廻りながら、伝染病対策の仕事をしている。私はこの訪問の際、アフリカでの先生の活動を根掘り葉掘り聞いた。私にとって先生の姿は、みな新鮮で驚きに満ちたものであった。

堤先生は、ケニアのマサイ族と暮らしたときのことを話してくれた。彼らがようやく心を開いて先生を迎え入れてくれるようになったとき、先生は部族の長老に次のように質問した。

「人間にとって一番大切なものは何だと思うか」

長老は堤先生を見下すようにして言った。

「お前はドクターだろう。しかも、その年になってそんなことも知らないのか」

そして続けた。「それは胃袋だ。胃袋がダメになれば人間は死ぬ。その証拠に、人間が死ぬときには食べ物が入らなくなるだろう。また、森で死んだ動物の腹を切り開いてみると胃袋に必ず血が入っている。だから胃袋が一番大事なのだ」と。

ついで長老が堤先生に質問した。「お前はどうして眼がこの高さについているかわかるか」あっけにとられている堤先生に、マサイの長老は言った。「こんなことも知らないのか。その年をして。眼がここにあるのは、立って遠くを眺めたとき、「一日で歩き着ける地点を見るためなのだ。誰でも、立って自分の眼のとどくところまでは歩いてゆくことができる」

「でも身長が高い人もいるし、低い人もいるでしょう」と抗弁すると、また軽蔑するように長老は言った。「背の高い人は脚も長い。見える所も遠いが、歩ける距離も長くなる。そんなこともわからないのか、その年をして」と。

堤先生のこんな話を聞いていると、私たちがいかに人間の体についての実感を失っているかを思い知らされる。アフリカの過酷な自然の中では、体はまさに自然との関係で存在している。体の部分それぞれが具体的な役割を主張しているのだ。だからここでは、文明国ではとうに忘れられてしまった体のナマの声を聞くことができるのだろう。

近代的医療や臓器移植などが進むにつれて、それぞれの臓器や組織は単なる部品のように扱われるようになった。病気にでもならなければ、実感をもって臓器を考えることは少ない。その一つひとつが生命という全体を支え、また生命に支えられながら動いていることを忘れがちである。私は、マサイの長老の話に深く教えられるところがあると思った。(1997年 63歳)
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