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『ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝 (岩波文庫)』 今枝由郎訳 岩波書店 [宗教]


ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝 (岩波文庫)

ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝 (岩波文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/12/16
  • メディア: 文庫


今の生活をより幸福なものとできるかも

タイトルにある「瘋狂聖」と表紙・案内文から、日本における一休禅師を思い浮かべた。たぶんにトリックスターの役割をもつものとして描かれているであろうように想像し、本書を手にした。トリックスターとは、以下のように説明される。「神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者。往々にしていたずら好きとして描かれる。善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴である。(ウィキペディア)」 。

それで、読み始めたが、猥褻文学と言っていいような内容である。「陰茎」など性表現が多々出現し、女と酒が主要な位置を占める。それでも、価値観を覆す、あるいは、見直させるという意味で、トリックスター的であり、身に染み込んでいる既存の価値を考えなおさせるという意味で貴重に思う。

次のような応答がある。ドゥクパ・クンレーを卑しめる言葉が語られる。「高名な修行者ドゥクパ・クンレーも 富もなく、物乞いするだけで 無意味な下世話をする輩でしかなく 何が偉大と言えるのか。 礼拝も供物も捧げるものか」。それに対してドゥクパ・クンレーは(理由・価値を付加して)答える。「修行者クンレーの名声は この世の帰依者なるがゆえ。 富なくして物乞いするは 心底貪りを捨てたがゆえ。 口から出まかせに語るのは 偽善を語らないため。 常軌を外れるのは瘋狂の行い。 すべては解脱に至る道」。(p115-6)

『解説』で訳者(今枝由郎氏)は「瘋狂」の意味について、ブータン人の血を引いた唯一のダライ・ラマ(6世)のこと、一休和尚のことを記し、結婚を迫られた日本とブータンの僧侶の対応から、その仏教の違いを照らしだす。

また、本書巻頭「序」として、ブータン王国皇太后の挨拶文が載っている。「日本語訳を日本の読者に紹介するのは私にとって大きな喜びです」とある。ブータンは「幸福度」をもって国の豊かさの指標とする国である。「瘋狂」と「幸福」との関係を本書から考えるなら、今の生活をより幸福なものとできるかもしれない。

2018年2月10日にレビュー

ブータンに魅せられて (岩波新書)

ブータンに魅せられて (岩波新書)

  • 作者: 今枝 由郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2008/03/19
  • メディア: 新書



ブータン、これでいいのだ (新潮文庫)

ブータン、これでいいのだ (新潮文庫)

  • 作者: 御手洗 瑞子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/05/28
  • メディア: 文庫


以下、『解説』から

ドゥクパ・クンレー(1453-1529)は、チベット、ブータンを中心に活躍した型破りの遊行僧である。チベット仏教の主要教派の一つであるドゥク派の大本山ラルン寺の歴代座主を輩出したギャ氏の傍系に生まれた彼は、住まいを一ヶ所に定めず諸国を歩き回り、人の眉をひそめさせるような常軌を逸した行いを憚らず、「瘋狂(ニョンパ)」と称された。瘋狂というのは、一般的な風狂、すなわち「風雅に徹する、精神的な平衡を失っている」といった意味ではなく、チベット・ブータン仏教においては、普通の宗教者のレベルを超えた、凡人の常識では計り知れない境地に達した聖人を指す。彼らは、戒律に囚われることなく、あえて社会規範に反した行いをし、それによって形骸化した既成教団を弾劾し、仏教の本質を思い起こさせようとする者である。

日本の政治家はブータン国王に見習うとイイ 
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-03-30

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