SSブログ

『ブランデーの歴史 (「食」の図書館)』 原書房 [食生活]


ブランデーの歴史 (「食」の図書館)

ブランデーの歴史 (「食」の図書館)

  • 作者: ベッキー・スー エプスタイン
  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 2017/11/20
  • メディア: 単行本


それとなく上品に薀蓄を傾けたい向きには格好の書籍

2014年英文発行の書籍。「本書ではワインを蒸留して造られる蒸留酒だけをブランデーとして扱っている」。使われる原料によって、ブランデーは3種類に分かれるが、ブドウ以外の果実から造られるもの、ワインを造ったときの搾りかすから造られるもの、は取り扱わない。

ブランデーの語源、その蒸留方法、コニャックのこと、アルマニャックのこと、その流通の歴史、世界のブランデー文化・産業、本書発行時におけるブランデーの流通・流行状況、ボトルの選び方、飲み方、レシピなどなど、盛りだくさんである。以下、そのうちのいくらかを引用してみる。

〈蒸留したワインは、最初はオランダ語でbrandewijn(ブランドウェイン、すなわち火を通した「焼いた」ワイン)と呼ばれ、この言葉が後に短縮されて「ブランデー」になった〉(第1章 ブランデー誕生)

〈できたてのブランデーは無色である。たいていのブランデーは木製の樽で熟成されるので、木の色が溶け出して無色の液体が琥珀色になり、その色が年とともに深まっていく。しかし無色であれ琥珀色であれ、ブランデーであることに変わりはない。実際、ヨーロッパやアメリカのカクテルで最近人気がある蒸留酒は、ピスコと呼ばれる無色のブランデーだ。ピスコはペルー産のブランデーである。・・略・・しかしピスコは通常オーク材の樽で熟成しないので、色がつかないのである〉。(第2章 ブランデーを造る)

〈コニャックの町の小さな美術館を訪れると、およそ500年前にこの町で生まれて王位についたフランス国王フランソワⅠ世に拝謁することができる。肖像画でも彫像でも満面の笑みを浮かべている。そして国王がご満悦なのは、ちゃんと理由がある。フランソワⅠ世の治世に、川沿いの町コニャックはすでにこの地方の輸送の中心地であり、ブランデー産業が花開きつつあったからだ。オランダ人商人はこの地方で活動を広げ、取り引きする新たな商品を探し求めていた。 / コニャックの「発明」に関してもっとも広まっている説は、オランダ人商人がこの地方の・・・〉(第3章 世界に広まるコニャック)

〈1945年のヤルタ会談で、スターリンはイギリス首相ウィンストン・チャーチルにアルメニア産ブランデーを自慢したと言われている。チャーチルはその味がいたく気に入ったようで、以後、スターリンは自分が死ぬまでチャーチルに毎年1ケースのアルメニア産ブランデーを送り続けた〉。(第5章 ヨーロッパとコーカサスのブランデー)

〈上質な蒸留酒の謎めいた世界に足を踏み入れるとき、つい安価なものや熟成期間の短いものから手を出したくなるが、コニャックの場合、それはやめたほうがいい。最初に飲むコニャックには、まずVSOPを勧めたい〉。(第9章 コニャックについて語り尽くそう)

〈日本の消費者は、西洋の蒸留酒といえばスコッチ・ウイスキーを選ぶが、中国人やその他のアジア人はブランデーの熱烈な消費者だ。・・略・・2012年、中国のコニャック市場はそれまで1位を誇っていたアメリカ市場を売上金額で上まわった。この途方もない成長ぶりを見て、コニャックメーカーの視線は数年前からアジアに集まっている〉。(第10章 コニャックのカクテルと最新の流行)

原書房「『食』の図書館」シリーズからは、対象食(材)の広汎な知識が得られる。その文化・歴史等を知って、食事をしながら、家族に友人に、それとなく上品に薀蓄を傾けたい向きには格好の書籍。

2018年2月7日にレビュー

バーボンの歴史

バーボンの歴史

  • 作者: リード ミーテンビュラー
  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 2016/01/27
  • メディア: 単行本



ウイスキーの歴史 (「食」の図書館)

ウイスキーの歴史 (「食」の図書館)

  • 作者: ケビン・R・コザー
  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 2015/05/25
  • メディア: 単行本


蒸留の知識は中東からペルシャ帝国に伝わり、発展しつつあった薬草に関する学問の進歩に貢献した。6世紀には、ペルシャ帝国の君主ホスローⅠ世がジュンディシャープルーという都市に医療学院を創設した。学院の周辺にはハーブや花など、多様な植物で埋め尽くされた庭園があった。アルコールの蒸留はあらゆる薬の抽出に用いられたため、学校では重要課題のひとつとして教えられた。 / イスラム教は飲酒を禁じているが、ムーア人(アフリカ北西部のムスリム)がイベリア半島を征服していた間も、ブドウはワインを造り、それを蒸留して香水や化粧品を造るために必要だったので、スペインのブドウ畑は破壊されなかった。「アルコール」という言葉は、アラビア人の女性が目元の化粧に用いる「コール」(硫酸アンチモンの粉末)という黒い粉に由来する。蒸留器の名前である「アランビック」もアラビア語に語源があるが、これはもともとコップを意味するギリシャ語の「アンビックス」から来ている。「アランビック」という言葉は、1265年にはすでにフランス語の文献に登場している。p20

蒸留技術はスペインからヨーロッパを北上し、おそらく13世紀にはスペイン北西部の都市サンティアゴ・デ・コンポステーラから帰国した十字軍によって、ガスコーニュ地方(現在のフランス南西部)に伝えられた。教皇クレメンス5世のおかかえ医師だったアルノー・ド・ヴィルヌーヴが、1299年に蒸留したワインで作った薬で教皇を治療したという記録が残っている。彼はその薬を命の水、ラテン語でアクア・ヴィエタと呼んだ。フランス語で命の水を意味する「オー・ド・ヴィ」という言葉は、現在も蒸留酒を意味する一般的なフランス語として使われている。

それから間もなくアルマニャック地方(ガスコーニュ地方の中央部に位置する)で、ワインの蒸留物が樽で保存(熟成)されるようになり、新しいブランデーの時代が幕を開けた。1310年、アルマニャック地方は最初の熟成したブランデーにその土地の名前を与えてアルマニャックと命名した。p23 (第1章 ブランデー誕生)


(蒸留の技術は、ブランデーを)誰もが知る商品になる前から中世の錬金術師たちによって利用されていた。「スピリット」(十流酒と霊魂や精神というふたつの意味がある)という言葉が、酒類に関する話と哲学や宗教に関する話の両方で、生気にあふれた強い物質やエキスを指すのはおそらく偶然ではないだろう。蒸留技術が中東からヨーロッパに伝わった道筋をたどり、この技術が世界各地でどのようにブランデー生産に使われるかを見てみれば、きっと面白いに違いない。(第2章 ブランデーを造る)
nice!(1) 
共通テーマ:

nice! 1