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序文『わが師・先人を語る 3』 上廣倫理財団  弘文堂 [自伝・伝記]


わが師・先人を語る3

わが師・先人を語る3

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 弘文堂
  • 発売日: 2017/02/09
  • メディア: 単行本


薫陶を受けた人物の語りをとおして知る「師」「先人」の姿

上記書籍は、講演会で話されたものを、書籍化したもの。著名な方がたが、“自分の”恩「師」・について語っている。それゆえ、単なる伝記・評伝とは異なり、本書にはふたつの楽しみがある。ひとつは、薫陶を受けた人物の語りをとおして・のみ得られる(しか得られない)恩「師」の像を思い描くことのできること。そして、もう一つは、「師」について語る「語り手」自身を知ることのできること。その語りには、深いかかわりならではの微妙な感情も揺曳している。語られたものを通して、読者は、「師」と「語り手」(弟子)との関係、そして「師」の仕事をどのように継承している(いく)のか吟味できる。その語りをとおして見えてくる恩「師」の像は、欠点と思われるものも、たいへん輝いてみえる。「語り手」たちの、ふかい敬愛の念のなせるわざであるように思う。

本書中、例外的存在は、靖国神社宮司:徳川康久氏。氏は、「わが先祖、慶喜様のひととなり」と題して曽祖父:徳川慶喜について語っている。

NHKラジオ第2の『文化講演会』で放送されたものもいくつかある。聞き逃した方は、必見。

2017年4月18日にレビュー


目次

濱田純一(東京大学前総長) ―『銀の匙』の国語教師・橋本武先生と私

久留島典子(東京大学附属図書館長) ―日本中世史研究の先達・石井進先生と私

平岩弓枝(作家) ―文学の師・長谷川伸先生と私

林望(作家、国文学者) ―対照的な二人の恩師、森武之助先生と阿部隆一先生

山極壽一(京都大学総長) ―二人の恩師の夢、今西錦司先生と伊谷純一郎先生

位田隆一(滋賀大学学長) ―日仏の恩師、田畑茂二郎先生とシャルル・ショーモン先生

徳川康久(靖国神社宮司) ―わが先祖、慶喜様の人となり

川淵三郎(日本サッカー協会最高顧問) ―少年期と青年期の師、吉岡たすく先生とクラマーさん

***********

(濱田純一・元東大総長が、本シリーズの特性をよく捉えた序文を記している。以下は、その引用)。

誰しも人生において、師として、あるいは先人として意識する人がいることであろう。それは、幸せなことである。そして、そうした人が身近に接してきた人であればあるほど、「わが師、先人を語る」機会を持つのは、ちょっとした誇りである。しかし同時に、「わが師・先人を語る」ということには、何やら気恥ずかしさのようなものが付きまとうのを感じることも事実である。それは、「わが師・先人を語る」ということが、ただ師の卓越した業績や人格の素晴らしさを語るだけではなく、同時に、語り手自身の内面や成長の過程、ときには自分の未熟さをさらけ出すという面も持つからであるように思う。

この「わが師・先人を語る」という講演シリーズは、「偉人伝」とは異なる。つまり、優れた人の業績や人格を客観的に(あえて言えば、第三者的に)評価しようというものではない。むしろ、その語り手が、対象となる人への思い入れや、その人からの教えを、気恥ずかしいまでに率直にさらけだす。そこにこそ、「わが師・先人を語る」ことの意義がある。その意味で、本書は、語られる人と語る人がともに奏でる協奏曲であると言ってもよい。

人は自然をはじめ、さまざまな事象や事物から学ぶことができるが、何より本質的であるのは、人と人との相互作用を通じての学びである。相互作用による学びは動物一般の属性として備わった本能ともいえるが、学びの相手を師あるいは先人として意識するというのは、すぐれて人間的な営みである。また、人間として、研究者として、あるいは作家などとしていかに優れた人であっても、「わが師・先人」として語られるときには、その人と共振できるだけの力が語り手の側になければならない。この講演シリーズでは師あるいは先人として取り上げられている人たち自身には、おそらく、師たろう、先人たらんと自ら意識した人はいないはずである。「わが師・先人」を生み出すのは、学び感じ取る側の力でもある。

こうした意味で、この書『わが師・先人を語る』に目を通して下さる読者には、その共振のプロセスにこそ面白さを感じ取っていただければと思う。もちろん、共振の仕方は実にさまざまである。一瞬の所作、一つの言葉にはっとすることもあれば、長い触れ合いの中で深い影響をじわりと感じることもある。「教えない」という教え方で学ばされることもあれば、手を取るようにして学びを受けることもある。また、出会いの初めからその人を師として意識することもあれば、時を経て後に師としての存在の重さに突然気づくこともある。

こうした師・先人には、どうやら共通する特徴があるように見える。それは、何よりも、自分が行っている研究にしろ執筆にしろ、あるいは組織の運営などにしろ、それを(やや妙な言い回しになるが)情熱的に楽しんでいる姿勢である。他方、語り手の中には誰も学びを強制された人はいない。むしろ、師・先人が自らすすんで楽しむ姿に接することで、周囲の人間が自然とそれにつられて自分も深く考え、その力や感性を磨きあげていく風景が、それぞれの語り手の言葉の中から浮かび上がってくる。それは、たんなる知識の継承や伝承といった平板な用語では表現し尽くせないものである。

この序文では、師や先人という言葉の意味にはことさらに触れなかった。その解釈は読者によってさまざまであって良いと思う。一つのヒントは、この「わが師・先人を語る」というテーマの下に一連の講演会を主催した上廣倫理財団が考える、「倫理」というものの捉え方にあるであろう。それは、「人々がよりよい人生を送るために役立つ叡智やその実践」とされているが、その指針をとりわけて与えてくれたと感じる人を師あるいは先人として受け止めるのかと思う。本書において師や先人について語る一人一人が、いかなる叡智をどのようにして学び、感じ取っていったのか、また、それをどのように実践していったのか、そのプロセスの読み解きを楽しんでいただければ幸いである。

2017年1月3日
濱田純一


わが師・先人を語る 1

わが師・先人を語る 1

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 弘文堂
  • 発売日: 2014/11/04
  • メディア: 単行本



わが師・先人を語る 2

わが師・先人を語る 2

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 弘文堂
  • 発売日: 2015/12/15
  • メディア: 単行本



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