『えた非人: 社会外の社会』柳瀬 勁介著・塩見鮮一郎訳 河出書房新社 [日本史]
本書は『社会外の社会 穢多非人(1901 明治34年 大学館)』の現代語訳。付録の解説と資料も充実
現にあるのに、見えないモノがある。それが、習慣、習俗として社会に定着している場合なおさらだ。
訳者:塩見鮮一郎は、戦後若かりし頃の自分の見聞を示しつつ、著者:柳瀬勁介の時代に思いを馳せて記す。「世間でランプが普及していても、ここでは油皿にちいさな炎が燃えていればいいほうだ。蚊帳もないし、火鉢もない。なにもない。なにもないのが当然のように、当の部落の人も、善良な市民も、それを疑わない。いまでは信じられないような時間が、開化の明治の暗流にあった(『解説 奇書誕生の異聞』)」。
そのような中で、著者「柳瀬勁介はある日、覚醒する」。「維新のスローガンとは無縁の社会」に気づく。「“明治の聖代”に、まずしく、悲惨な、まさに家畜のあつかいを受けている人間がい」る。そして、「壮絶な戦い」を始める。「『解放令』が出てから、四半世紀になろうとしているのに、「えた」と「非人」についての論述はな」い。「なければ、自分が書くまで」・・・。その志しのうちに筆を執り、本稿成ったものの、救済策のために渡った台湾の地で急逝する。本書の原著は、その遺志を継いで友人がまとめ出版した『社会外の社会 穢多非人(1901 明治34年)』。
読んでの「印象」。著者の文章は、(訳されたものを見ても)たいへんしなやかで勢いがある。勁介はみずから選んだ名ということだが、「疾風勁草」を想起させられた。また、その論考は、過去の文献等によく目を配り、法学を学んだ人ならではの論理性を感じる。また、解説されている原著成立過程(推薦文)からは、スローガンとその実践との乖離。分かっているつもりで、実は分かっていないもどかしさ。スローガンとして声高に語っても、なかなか実践に至らない難しさ。われわれの意識、認識が変わるのには、多大の時間を要するということ。逆をいえば、「時代精神」の強靭さ・・・。
以下、目次・章立て
第1章 「えた」の名称 第1節 「えた」という名称の意義 第2節 「えた」の異名(33種挙げられている)
第2章 「えた」の起源
第3章 「えた」の状態 第1節 「えた」の地位、第2節 「えた」の風俗、第3節 「えた」の信仰と道徳、第4節「えた」の人口と出生率
第4章 「えた」排斥の原因
第5章 救済策
付録
解説と資料/解説 奇書誕生の異聞 塩見鮮一郎 資料1 著者小伝(権藤震二) 資料2 本書引用書目 資料3 亡友遺稿刊行の始末 資料4 『社会外の社会 穢多非人』解題 柳瀬道雄 役者あとがき
2017年2月6日にレビュー
以下、「訳者あとがき」からの抜粋。
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しかし、夫子ともにまちがっていた。『救済策』など、帝国主義国の植民地政策でしかない。そもそも幕末から移住計画はたえず画策されていた。
この書の価値をあえていえば、柳瀬道雄(著者の息)がなんといおうと、部落の変遷の歴史のほうにある。廃仏毀釈という文化革命があったため、神道にかたぶいた叙述になるけれど、肉食タブーが社会に醸成されていく過程はよく描かれた。歴代の偽政者もそれを助長し、日本中にケガレ意識の蔓延を許した。皮革生産にたずさわる人や、人生の節目である、誕生や埋葬にかかわる人を貶めた。武士に代わって犯罪者を収獄して刑を執行し、そのあとかたづけまでする者を“四足動物”に見立てた。そのような日本史をつらぬく「賎視意識の構造」を、本書はしっかりと把握している。