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*わが国の狩猟法制―殺生禁断と乱場」小柳泰治著 青林書院 [法律]


わが国の狩猟法制―殺生禁断と乱場

わが国の狩猟法制―殺生禁断と乱場

  • 作者: 小柳 泰治
  • 出版社/メーカー: 青林書院
  • 発売日: 2015/10
  • メディア: 単行本



〈わが国の「狩猟法制」を通観した比類なき大著!!〉

当該書籍は、表題に「狩猟法制」とあるとおり、法制度を扱う法律分野の著作です。「成文法である制定法(文書にしるしてある制定権者が発した法)」に限定して考察する立場を著者は採用しています。最初の狩猟法令として「天武天皇四年四月庚寅詔」があげられています。

しかし、著者はそこに止まりません。「わが国に狩猟法制が創始される以前・・、日本列島人の野生鳥獣に対する行動は、どんな意味をもつ人間行動であったのであろうか。『日本遊猟史』は・・」と、歴史・民俗関連の文献資料を引きつつ、後期旧石器時代にまで遡り、「狩猟」にまつわる日本人の(法)意識を照らし出してもいます。

章立ては、1章:世界の狩猟法制、2章:わが国最初の狩猟法制、3章:律令法の狩猟法制、4章:中世法の狩猟法制、5章:江戸幕藩法の狩猟法制、6章:明治太政官法の狩猟法制、7章:明治憲法の狩猟法制、8章:日本国憲法の狩猟法制 となっています。8章の最終節は「平成26年鳥獣の保護及び管理並びに狩猟適正化に関する法改正」となっており、その1:法改正の経過、その2:狩猟の現状とわが国の目指すもの となっています。

そのようにして、法令が発令された背景、どのように運用され、問題点は何であったか等々を、著者は示してまいります。論考の中核となる言葉は、「殺生禁断」と「乱場」です。『はじめに』末尾に著者は、こう記します。「明治34年から110年を経過した現在において、明治政府の為政者が構築した生業保護自由狩猟の『乱場(らんば)』により、大方の国民が狩猟と鳥獣への関心を失ったという現実がある。今は何よりも、世界の常識から乖離した狩猟の実態を知る必要がある。それには、『殺生禁断』と『乱場』を正確に知らなければならない」。

歴史、民俗史資料、旧約聖書・創世記、ローマ法、ゲルマン法など参考文献総数 600ちかくにのぼる本書は、法律関連書籍の枠をゆうに飛び越え、まさしく 〈わが国の「狩猟法制」を通観した比類なき大著!!〉 と言えましょう。

当然ながら、「無主物先占」「所有者狩猟権」等の法律用語も出てはまいりますが、日本の歴史・民俗・精神史などに関心のある方であれば、それらを障害とすることなく、たのしむことさえできる著作であるように思います。

2016年3月8日レビュー

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狩猟制度の概要(環境省)
https://www.env.go.jp/nature/choju/hunt/hunt2.html

鳥獣の保護及び狩猟の適正化につき講ずべき措置について
将来を見据えた今後の法制度に向けて
WWFジャパン事務局長付
草刈秀紀
https://www.env.go.jp/council/12nature/y124-02/mat07.pdf


日本人の宗教と動物観―殺生と肉食

日本人の宗教と動物観―殺生と肉食

  • 作者: 中村 生雄
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2010/08
  • メディア: 単行本


はじめに(『わが国の狩猟法制―殺生禁断と乱場』小柳泰治著)全文
 
時折、「日本の常識は世界の非常識」という言葉に出会う。わが国の法律制度の中に、その言葉どおりに世界の非常識な分野が存在しているようである。現在のわが国狩猟・鳥獣制度は、その意味での世界の非常識な法律制度といえる。「法治国家の日本でそんなことが……」と疑う人が多数派であろうが、それは紛れもなく「事実」である。

本書は、そのことについて、旧石器時代から現在までを「鳥瞰」して考察する試みである。
 
最初に、世界の「狩猟をする思想」とそれが法律制度へと昇華する過程を検証する。ここでは、古代の狩猟制度が現在の世界狩猟制度に展開した姿、すなわち狩猟における世界の常識の実情を点検する。これにより、わが国の狩猟制度を計測する世界狩猟の基準を確認できる。

そして本論に移る。

まず、日本列島人の狩猟を通しての鳥獣との関わりかたを検証する。先史時代から飛鳥時代までの永い時を経て、人間と自然との共生の自然観が産生されるとともにわが国の宗教観が生成され、これに外来した仏教の不殺生戒の教えが融合して、わが国独自の狩猟・漁撈を抑制する「不殺生の思想」が形成された。
 
次に、七世紀から八世紀のアジアの激動の中に「倭国」の為政者は、強力な中国の制度に学び、積極的かつ自覚的に唐の律令法制を継受してこの列島に「日本」を定礎した。その時わが国において、世界にはわが国にだけ存在した不殺生の思想に基づく狩猟法制が定められた。大宝律令雑令月六斎条が、「凡月六斎日。公私皆断殺生。」と定めたのが、それである。毎月、日数を限って公私の皆が殺生を行わない、つまり狩猟を差し控える「月六斎日皆断殺生」の狩猟法制が確立された。これは、日本が非常識であったのか。いや逆に、世界が非常識だったのではあるまいか。これこそは、現代世界において常識である「生物多様性」に通じる世界先進の狩猟の法制度であったのである。
 
次に、中世においては、法制度としての月六斎日皆断殺生は法律の適式な改正手続を経て、「殺生禁断」に拡大され、江戸時代には殺生禁断が広く展開された。
 
ところが、幕末には強大な武力を誇示する世界からの激変が押し寄せた。狩猟においては、法制度としての殺生禁断が終焉に至り、殺生解禁への道程を歩むことになった。明治六年の鳥獣猟規則制定から明治三四年の狩猟法改正までが殺生解禁への過渡期であった。明治三一年の民法施行により民法典に採用されたローマ法無主物先占は、西欧先進国では狩猟への適用・採用を阻止されていた。これが当時の世界の常識であった。しかし、明治三四年の狩猟法改正に当たり為政者は、狩猟にローマ法無主物先占を適用すべきでないと主張する意見を排斥し、近代国家としては最初に、イタリアにも先んじて全国土にローマ法無主物先占に基づく「自由狩猟」を適用した。その上、古代中国の君主による「猟者の生業保護」までも採用し、自由狩猟と一体化した「生業保護自由狩猟」を構築した。この明治三四年の法改正こそが、「日本の常識は世界の非常識の狩猟制度」の起点であった。
 
明治三四年から一一〇年余を経過した現在において、明治政府の為政者が構築した生業保護自由狩猟の「乱場(らんば)」により、大方の国民が狩猟と鳥獣への関心を失ったという現実がある。今は何よりも、世界の常識から乖離した狩猟の実態を知る必要がある。それには、「殺生禁断」と「乱場」を正確に知らなければならない。
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