「大岡(昇平)さんの文学」吉田秀和
昨年5月に亡くなった音楽評論家の吉田秀和が、大岡昇平について記しているのを見つけた。
大岡の文学的特徴をよくとらえた魅力的な文章だ。
以下、引用。
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大岡昇平さんは、小説家としても、人間としても、私の大好きな人の一人である。私は小説がよくわからず、従ってあんまり読まない方だし、大岡さんを個人的に少々存じあげているので、ここではその個人大岡さんについて感想めいたことを書くことを求められているのだろうと思う。しかし、考えてみると、私は大岡さん自身よりは氏の文章にふれる方が多いのだし、大岡さんが好きなのは、それと大いに関係があるのだから、一度は氏の作品のことを書かしてもらうことにした。
私は、最近大岡さんの《俘虜記》を読みかえしたところだが、この作品について作者が「不慮収容所の事実を借りて、占領下の社会を諷刺するのが、意図であった」とあとがきに書いてあるのを発見して、ちょっとびっくりした。そういうこととは知らなかった。なるほど作者は、たとえば「戦場には何も新しいものはなく、戦場から我々には何も残らなかったが、俘虜生活からは確かに残ったものがある。そのものは時に私に囁く。『お前は今でも俘虜ではないか』と。」といったような暗示的な文章をさしはさんでいたにせよ、私は、この本を専ら、その収容所にたしかにあったところの新しい事実を、作者が、男性的で緊密な文体と、精密な分析的思考と、何よりも細部に関するすばらしい造形的な記述力でもって、書き伝えたものとして読んできたからである。
そういえば、大岡さんは、別なところで、別な小説たちについて、「一つの時代の全体の姿を書こうとしたがうまくゆかなかった」といった意味のことを書いていた。失敗と断ずることの当否は私にはわからないが、大岡さんには、小説を書くについてそういう要求が深いところで、強く生きているらしい。たしかにスタンダールの小説などはそういうものだ。あれは十九世紀十年代に青春を送ったフランス人が、中年になってからこつこつ書いた小説である。しかし、それは、あの世代の一人の聡明で孤独狷介な男性が、自分の情熱と、十八世紀流の社会的自然哲学の流れを汲む思考とを洗いざらいぶちまけながら書いたからというだけでなくて、あそこに登場する人間たちとそれをとりまく社会と、それからー変な言い方だが、自然までが、一挙手一投足、全く時代の空気を吸い、というより発散させているからで、作者の時にさしはさむ哲学的感想だけでなく、作中のすべてのものの感じ方や考え方、そのたたずまいが、すべて「時代」の眼と照準で正確に規制され計測されている。ジュリアン・ソレルのたどる足跡、ソレルにふりかかってくる運命は、作者の異常な愛着によって、十九世紀初頭までもちこされたフランス式古典的庭園そのままの幾何学的分析的図型に則って、刻まれ、運行されている。《赤と黒》にしろ《パルムの僧院》にしろ、あれは全くフランス式な《情熱の幾何学》の最もすぐれた文学的表現にほかならない。
だが、小説というジャンルは、変なもので、そういう仕方でなくて、その作者の出現そのものが時代を象徴する出来事となるような具合にして、時代とつながり、時代を造型することもあるようだ。手近な例でいえば、三島由紀夫とか石原慎太郎とかいった作家の登場とその処女作から初期の創作の意味はそういう点にあった。この人たちの場合は、こういう人たちが出てきて、作品を発表したという事態、それからその内容文体、そういうものがそれ自体でもって、一つの社会に起こりつつあったある新しい事態を公衆に告げ知らせていたわけだし、逆にいえばその「新しいこと」とは、つまり彼らが考え、彼らが感じる、そのこととそれを書くその仕方そのものであるという事情があった。
大岡さんの場合は、今あげたどちらともちがうのではないか。たとえば《俘虜記》はたしかに新しい事実を告げる傑作である。それに私たち日本人にとって、軍隊と戦争と俘虜生活というものを、誇張も感傷も悲愴味もなしに、こんなに正確に、というのは率直な勇気と偏見のない観察で書いて示す人間が出たというのは、本当に新しいことだ。だが、これはー大岡さんのほかの小説もそうだがー「人間的真実」というもののゆえに新しく、素晴らしいのであって、それが新しい事態を書いているから、ではない。むしろ、大岡さんの小説家としてのメリットは、一人の人間、あるいは多数の人間たちが全面的に書かている点にある、と私は思う。そうしてこういう小説は、日本にはほかに類がないのではないか。川端康成とか井伏鱒二とかその他何人かの稀有な才能たちの作品を考えてみても、そこには、ほかの全く独自の、すばらしいものはいろいろあっても、人間を全身像としてあらゆる面からすっかり書きこみ、刻みつけようという要求は強くない。そこに登場する人々は人間のある面から把えられていて、彼らはもっと大きなものに包まれたトルソとして提出されている。
私の考えでは、大岡昇平をもって、日本の近代文学にはじめて、言葉の全的な意味での近代的市民が登場したのである。
(筑摩書房「現代文学大系」第59巻 月報 昭和41年10月)
大岡の文学的特徴をよくとらえた魅力的な文章だ。
以下、引用。
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大岡昇平さんは、小説家としても、人間としても、私の大好きな人の一人である。私は小説がよくわからず、従ってあんまり読まない方だし、大岡さんを個人的に少々存じあげているので、ここではその個人大岡さんについて感想めいたことを書くことを求められているのだろうと思う。しかし、考えてみると、私は大岡さん自身よりは氏の文章にふれる方が多いのだし、大岡さんが好きなのは、それと大いに関係があるのだから、一度は氏の作品のことを書かしてもらうことにした。
私は、最近大岡さんの《俘虜記》を読みかえしたところだが、この作品について作者が「不慮収容所の事実を借りて、占領下の社会を諷刺するのが、意図であった」とあとがきに書いてあるのを発見して、ちょっとびっくりした。そういうこととは知らなかった。なるほど作者は、たとえば「戦場には何も新しいものはなく、戦場から我々には何も残らなかったが、俘虜生活からは確かに残ったものがある。そのものは時に私に囁く。『お前は今でも俘虜ではないか』と。」といったような暗示的な文章をさしはさんでいたにせよ、私は、この本を専ら、その収容所にたしかにあったところの新しい事実を、作者が、男性的で緊密な文体と、精密な分析的思考と、何よりも細部に関するすばらしい造形的な記述力でもって、書き伝えたものとして読んできたからである。
そういえば、大岡さんは、別なところで、別な小説たちについて、「一つの時代の全体の姿を書こうとしたがうまくゆかなかった」といった意味のことを書いていた。失敗と断ずることの当否は私にはわからないが、大岡さんには、小説を書くについてそういう要求が深いところで、強く生きているらしい。たしかにスタンダールの小説などはそういうものだ。あれは十九世紀十年代に青春を送ったフランス人が、中年になってからこつこつ書いた小説である。しかし、それは、あの世代の一人の聡明で孤独狷介な男性が、自分の情熱と、十八世紀流の社会的自然哲学の流れを汲む思考とを洗いざらいぶちまけながら書いたからというだけでなくて、あそこに登場する人間たちとそれをとりまく社会と、それからー変な言い方だが、自然までが、一挙手一投足、全く時代の空気を吸い、というより発散させているからで、作者の時にさしはさむ哲学的感想だけでなく、作中のすべてのものの感じ方や考え方、そのたたずまいが、すべて「時代」の眼と照準で正確に規制され計測されている。ジュリアン・ソレルのたどる足跡、ソレルにふりかかってくる運命は、作者の異常な愛着によって、十九世紀初頭までもちこされたフランス式古典的庭園そのままの幾何学的分析的図型に則って、刻まれ、運行されている。《赤と黒》にしろ《パルムの僧院》にしろ、あれは全くフランス式な《情熱の幾何学》の最もすぐれた文学的表現にほかならない。
だが、小説というジャンルは、変なもので、そういう仕方でなくて、その作者の出現そのものが時代を象徴する出来事となるような具合にして、時代とつながり、時代を造型することもあるようだ。手近な例でいえば、三島由紀夫とか石原慎太郎とかいった作家の登場とその処女作から初期の創作の意味はそういう点にあった。この人たちの場合は、こういう人たちが出てきて、作品を発表したという事態、それからその内容文体、そういうものがそれ自体でもって、一つの社会に起こりつつあったある新しい事態を公衆に告げ知らせていたわけだし、逆にいえばその「新しいこと」とは、つまり彼らが考え、彼らが感じる、そのこととそれを書くその仕方そのものであるという事情があった。
大岡さんの場合は、今あげたどちらともちがうのではないか。たとえば《俘虜記》はたしかに新しい事実を告げる傑作である。それに私たち日本人にとって、軍隊と戦争と俘虜生活というものを、誇張も感傷も悲愴味もなしに、こんなに正確に、というのは率直な勇気と偏見のない観察で書いて示す人間が出たというのは、本当に新しいことだ。だが、これはー大岡さんのほかの小説もそうだがー「人間的真実」というもののゆえに新しく、素晴らしいのであって、それが新しい事態を書いているから、ではない。むしろ、大岡さんの小説家としてのメリットは、一人の人間、あるいは多数の人間たちが全面的に書かている点にある、と私は思う。そうしてこういう小説は、日本にはほかに類がないのではないか。川端康成とか井伏鱒二とかその他何人かの稀有な才能たちの作品を考えてみても、そこには、ほかの全く独自の、すばらしいものはいろいろあっても、人間を全身像としてあらゆる面からすっかり書きこみ、刻みつけようという要求は強くない。そこに登場する人々は人間のある面から把えられていて、彼らはもっと大きなものに包まれたトルソとして提出されている。
私の考えでは、大岡昇平をもって、日本の近代文学にはじめて、言葉の全的な意味での近代的市民が登場したのである。
(筑摩書房「現代文学大系」第59巻 月報 昭和41年10月)
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