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「野間宏の使命」(作家・中村真一郎)

以下は、(筑摩書房「現代文学大系」第55巻 月報 昭和41年12月)からの引用。

「野間宏の使命」(作家・中村真一郎)

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私にとって小説の歴史とは、人間認識への新しい方法の発見者の連(つらな)りである。

これには二つの系列があるように、この頃の私は考えている。

第一の方向は、たとえばヴァレリーの『テスト氏』とか、ブランショの『同時忘却』とかいうような、徹底的に抽象的な、認識論的実験で、我国現代では埴谷雄高の短編が、この領域で独自の展開を見せている。

第二の方向は人間の全体的把握を目指すもので、それはトーマス・マンの『魔の山』のように、内的な時間の執拗な探求になったり、ジュール・ロマンの『善意の人々』のような社会的パノラマとなったりする。そして、この方向での我国の代表者は野間宏だろうと思う。

前者を「純粋小説」と名付けるとすれば、後者は「全体小説」と呼んでもいいだろう。

そして前者は大概、短い小説となり、後者は長いものとなるのは、事の性質上、当然だろう。

だから、長編小説家は、いつの時代でも、その時代の、また彼自身の資質の許すかぎりの手段を並用して、人間を、またその集団である社会を、全体的に表出しようとする。

野間宏においては、それは人間を「外部」と「内部」から描き出すと云う、二つの手段の組み合せとなっていることは、彼自身も説いているとおりである。

人間を外部から客観的に、他人の眼で見るように描写するのは、十九世紀西欧の写実主義の方法であった。そして、人間を内部から、その人物の主観性を通して、又、その人物の意識下の衝動をも汲み上げて描きだすのは西欧二十世紀の象徴主義的方法である。

野間宏は、この二つの方法の組み合せによって、はじめて人間の全体像が表現されるとする。

これは彼の主題の二つの大きなもの、政治と性、とに照応している。政治は人間を外から描くという方法の領域であろうし、性は内部から暗示するという方法の領域だろうからである。

 が、同時に、これは野間宏自身が分析しているかどうか知らないが、彼にはもうひと組の対応した方法がある。

それは社会の描出における二つの方法である。これを仮に、私は、「上から」の方法と、「下から」の方法と名付けよう。

「上から」の方法とは、西欧近代の発明した、社会科学的分析的方法であり、いわば普遍性の側からの照明である。

それに対して、「下から」の方法とは、日本の民衆生活の底辺にある、非合理な意識を、民衆独特な発想そのものを通して捉えようという努力である。

「上から」の方法はマルクス主義につながり、「下から」の方法は土俗的な宗教心理に結びついている。

彼の意識のなかの二つの大きな要素として、革命と在家仏教がある、と云われるのもこの二つの方法の組み合せと関係がある。

しかも、それは彼の文体そのものとまた密接な繋りがある。彼は西欧的な合理的な文体と、肌にまといつくような非合理が文体とを、重ね合すことで、独自の現実感覚を表現する手段を発明した。

このように彼のなかには、常に二つの対応するものがある。そしてその二つを、常に対立させ、その矛盾のなかで思考を進めることが、彼の小説を展開させることになる。だから、彼の作品は「弁証法的な小説」と云ってもいいだろう。彼の小説のなかでは、どんな単純な事柄でも、一方からだけの光を浴せられて終っていることはないのである。それは屡々作品を歪んだいびつなものにしてしまうくらいである。そして、その奇妙な歪みの部分で、読者は作者における精神の運動の激しさを感じて、感動することになる。

しかし、「全体小説家」野間宏は、未だ充分、現代の小説家として、過去と未来とを対比させながら、巨大な混沌とした現代社会の全体像と、人間の心の奥の深い秘密とをより合せた大作を書き終えていない。

私は、彼の一生の経歴にとって、『さいころの空』も『青年の環』も、その前奏にすぎないと思わせるような、一大交響曲的な作品に彼がとりかかることを期待している。ー

ところで、大いなる我が友よ、この小文は讃美の体裁をとった脅迫かも知れない。或いは自己呵責も含んでいるかも知れない。本当は全く他人事ではないのだから。

そういう訳で、この月報の編集者も、どうか今回は、文末の註は、「筆者は作家」として下さい。そうでないと、この文章のニュアンスは全く別のものとなってしまう。

(作家)

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「野間宏について 」
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-04-03-1


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