「夏目先生の印象記」津田青楓
筑摩書房「現代文学大系」の月報からの引用。
津田青楓の「夏目先生の印象記」。文豪の素顔がわかっておもしろい。
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他人には分らぬことだが夏目先生はいつも胃癌に悩まされていた。いつ胃が痛み出すか分らないのだ、無論強弱はあるだろうが、時々薬包紙に包んだ白い粉くすりを飲んでいられた。
先生が気むつかし屋だ、ということは一般になっていたが、芯からの気むつかし屋ではなかったようだ、気むつかしいのは胃癌のせいだったのだ、誰でも病気のときは腹をたてたり理屈に合わぬようなことを云って人を困らせることは、よくあることだ、尤も先生をいじめていたのは病気だけではない、小説を書かれるのが職業みたようなものだから、一つの構想がまとまるまでは目に見えぬ鬼が現れて、ドウダドウダとせき立てる、鬼は自分自身だから追っ払う訳にはゆかぬ。なんとかしてコンポーセーをまとめなければ鬼は左用ならしてくれないのだから、こんなのは不機嫌の根本かもしれない。
そんな時一つのはけ口もあった、誰か画かきがきて画の話をすることだ、素人画をかかれることも一つのはけ口だったが。それともズウズウしい無頓着な人間が紙や絖(ぬめ)をどっさり持ってきて無理矢理に墨を磨ってかかせるのも鬼退治の方法だ。元来が書きたくて仕方がないのだからブツブツ云い乍らも筆を持たれる。一枚手をつければもうしめたものだ、最初の一枚が決して満足のものでないから、消しに、[×]点をつけてまた前の紙にかかれる、多少気に入ったものができると次から次へと我を忘れて何枚でも書かれる。こんな時こそ鬼はどこかへ身をひそめている。
先生の胡座(あぐら)姿と云うのは見なかった。いつでも端然と座っていられる。
木曜の面会日なんかに十人あまりのお弟子が先生をとりまいて、ずらりと円陣の中央に、桐の胴丸火鉢を膝の真中の置き股ではさまんばかりの姿勢で端然と座り、両臂(ひじ)を火鉢の縁について掌で顎をささえていられる。膝の方はお行儀がいいが首の方は横着な姿勢だ、背中も少々曲っていたようだ。
お弟子の話はよくきいていられた。決してにがり切った、不愉快な顔つきではなかった。寧ろ一人でいられる時の方が苦い顔をしていられたかも知れないが、それは書斎の壁だけが知っていることで、誰も知るよしもない。
夏冬なしに昼寝をされる、ある時縁側で起きてこられるのを待っていた。寝顔なんか見なかった、突然寝言がはじまった。夢でも見ていられたのかも知れん、不思議なことに其寝言がみんな英語なんだ、チンプンカンプンでさっぱり分らない。哲学の議論でもしていられたのか、それとも猫にでもからかっていられたのか全く分らない、夢とか寝言とかいうのは全く不思議なものだ。
文豪の寝言というのは珍品だ、然し内容が分らないのだから猫に小判だ。
夏目先生はいつどこででも取乱したようになられるようなことは滅多になかった。いつも重厚、鈍重という感だった。「吾輩は猫である」の文章の中では随分人を笑わせるようなことを書いていられるが、そう云う剽きんさ又は軽い行動は少しもなかった。
今一つ文章に出てくるのと先生の行動の矛盾している点がある。それは小説の中に豆腐屋の小僧を出したり、貧乏画家を出して粗衣粗食にあまんじて平然たる人間が好きのように読者に印象を与えておいて、ご自分は薩摩上布をきたり大島紬を着たり、しかも折目正しくなければお気に入らないのだから中々貴族趣味と云うかブルジョワー好みと云うのか、汽車も青切符(2等)でないのだ、私なんかに想像もしてみたことのない、一等車なんだ。
(筑摩書房「現代文学大系」第13巻 昭和39年2月)
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津田青楓の「夏目先生の印象記」。文豪の素顔がわかっておもしろい。
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他人には分らぬことだが夏目先生はいつも胃癌に悩まされていた。いつ胃が痛み出すか分らないのだ、無論強弱はあるだろうが、時々薬包紙に包んだ白い粉くすりを飲んでいられた。
先生が気むつかし屋だ、ということは一般になっていたが、芯からの気むつかし屋ではなかったようだ、気むつかしいのは胃癌のせいだったのだ、誰でも病気のときは腹をたてたり理屈に合わぬようなことを云って人を困らせることは、よくあることだ、尤も先生をいじめていたのは病気だけではない、小説を書かれるのが職業みたようなものだから、一つの構想がまとまるまでは目に見えぬ鬼が現れて、ドウダドウダとせき立てる、鬼は自分自身だから追っ払う訳にはゆかぬ。なんとかしてコンポーセーをまとめなければ鬼は左用ならしてくれないのだから、こんなのは不機嫌の根本かもしれない。
そんな時一つのはけ口もあった、誰か画かきがきて画の話をすることだ、素人画をかかれることも一つのはけ口だったが。それともズウズウしい無頓着な人間が紙や絖(ぬめ)をどっさり持ってきて無理矢理に墨を磨ってかかせるのも鬼退治の方法だ。元来が書きたくて仕方がないのだからブツブツ云い乍らも筆を持たれる。一枚手をつければもうしめたものだ、最初の一枚が決して満足のものでないから、消しに、[×]点をつけてまた前の紙にかかれる、多少気に入ったものができると次から次へと我を忘れて何枚でも書かれる。こんな時こそ鬼はどこかへ身をひそめている。
先生の胡座(あぐら)姿と云うのは見なかった。いつでも端然と座っていられる。
木曜の面会日なんかに十人あまりのお弟子が先生をとりまいて、ずらりと円陣の中央に、桐の胴丸火鉢を膝の真中の置き股ではさまんばかりの姿勢で端然と座り、両臂(ひじ)を火鉢の縁について掌で顎をささえていられる。膝の方はお行儀がいいが首の方は横着な姿勢だ、背中も少々曲っていたようだ。
お弟子の話はよくきいていられた。決してにがり切った、不愉快な顔つきではなかった。寧ろ一人でいられる時の方が苦い顔をしていられたかも知れないが、それは書斎の壁だけが知っていることで、誰も知るよしもない。
夏冬なしに昼寝をされる、ある時縁側で起きてこられるのを待っていた。寝顔なんか見なかった、突然寝言がはじまった。夢でも見ていられたのかも知れん、不思議なことに其寝言がみんな英語なんだ、チンプンカンプンでさっぱり分らない。哲学の議論でもしていられたのか、それとも猫にでもからかっていられたのか全く分らない、夢とか寝言とかいうのは全く不思議なものだ。
文豪の寝言というのは珍品だ、然し内容が分らないのだから猫に小判だ。
夏目先生はいつどこででも取乱したようになられるようなことは滅多になかった。いつも重厚、鈍重という感だった。「吾輩は猫である」の文章の中では随分人を笑わせるようなことを書いていられるが、そう云う剽きんさ又は軽い行動は少しもなかった。
今一つ文章に出てくるのと先生の行動の矛盾している点がある。それは小説の中に豆腐屋の小僧を出したり、貧乏画家を出して粗衣粗食にあまんじて平然たる人間が好きのように読者に印象を与えておいて、ご自分は薩摩上布をきたり大島紬を着たり、しかも折目正しくなければお気に入らないのだから中々貴族趣味と云うかブルジョワー好みと云うのか、汽車も青切符(2等)でないのだ、私なんかに想像もしてみたことのない、一等車なんだ。
(筑摩書房「現代文学大系」第13巻 昭和39年2月)
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