*『朱子学入門』垣内景子著 ミネルヴァ書房刊 [人文・思想]
私たちの過去・現在・未来を見つめ直すために
上記イメージ書籍について、ミネルヴァ書房の8月新刊案内に「朱子学を知ることは、私たちの過去・現在・未来を見つめ直すことだ」とのコピー。さらに、「東アジアの思想原理である朱子学の世界観と基本概念を平易に解説」と、あった。
江戸徳川幕府の「正学」とされた朱子学ではあるが、その思想の具体的な中身は・・というと、わからない。ウィキペディア等の解説を読んでも、むずかしい。
朱子学(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6
それで、上記イメージ書籍を手にした。
『はしがき』で、著者(垣内)は、朱子学というと、「何やらお堅い封建道徳のイメージがとっさに浮かぶ人」、試験勉強のために「大義名分」や「理気二元論」といったことばを暗記したことを思い出す人がいるだろうが、「朱子学とは、ひと言で言えば、心の問題を解決し、より心安らかに生きるための思想である」と総括する。そして、「そう言うと、ほとんどの人は違和感を感じるにちがいない」が、「しかし、朱子学の、いや少なくとも朱熹という朱子学の祖の思想の核心は、心の問題であり、さらに言えば、自分自身のこの心と自分をとりまくこの世界の秩序との調和をめざすところにあったのだ。本書を通して、朱子学のイメージが一新されることを期待したい」と記す。
さらに、この本は、「朱子学に興味をもち、もう少し詳しく具体的に朱子学について知りたいと思った人が、様々な朱子学に関する書籍にあえなく撃沈しないための、いわば入門のための入門書」であると述べる。
そして、問いかけ、呼びかける。「私たちの考え方や感じ方を知らず知らずのうちに規定し(われわれの自由を奪っている)ものの一つに、朱子学は入っていないだろうか。少なくとも朱子学は、かつて中国だけでなく日本をも含む東アジアの広い地域で最大の影響を誇った思想である。それがはたして『かつて』だけなのか、今を生きる私たちには無関係の過去の遺物なのかどうか、本書を読んでしっかり見極めてほしい」。
実際、当該書籍を読んでみて、「気」や「理」といった、ふだん何気なくつかっている漢語のふかく意味するところをさぐることができた。また、今日「朱子学」と称する、いわば“閉”じられた思想学問と、朱熹・存命中に展”開”進展していた思想とは、別なものとして考慮しなければならないこと、さらには、朱子学を批判した陽明学との関係など、たいへん興味ぶかく読むこともできた。そして、なによりも、われわれの考え方(ひいては生き方)を「規制」しているであろうその影響力に目を向けることもできた。
これは余談だが、本当は、まっさきに記したい点。当該書籍を読みつつ常に思いにあったのは、身近なもののようで遠くにあり、わかっているようで難解なシロモノについて「入門のための入門書」を記すにあたって著者のしめした論述のするどさ、その点。まさに、感じ入ったといっていい。
2015年11月5日レビュー
**********
4:孔祥林著「図説孔子」から(孔子の思想の『日本への伝播と影響』)
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2015-07-13-3
『知識の社会史 2』(ピーター・バーク著 新曜社刊) [人文・思想]
広範にわたる「知識」の「近代後期(1750~)」の歴史をとり扱って興味深い
〈「われわれはどのような道をたどって、現在の知識全体を得たのか?」の問いに答えてみようとの好奇心〉が著者執筆の動機だそうです。著者の専門は、「近代前記(1450~1750)のヨーロッパ文化史」ですから、『百科全書』以降の「近代後期(1750~)」を取りあつかった当該著作は専門の範囲外にあるといえます。
しかし、著者は、自分が「専門外」であることを善しとします。「知識」に関する専門書、しかも傑出したものが既に刊行されてあることを認めたうえで、当該書籍は、「比較という手法」を用いて、「全般的な総合」を目指し、「全体的描写を含む描像を提供」するものであると述べます。また、そうすることによって、陥りがちな「国家的バイアス」「専門分野固有の偏向」を避けることもできるというわけです。
「比較という手法」は、当然ながらトピックを広範なものとします。「精神史において重要と思われる思想家たち」「800人ほど」について言及することになります。しかし、特にあつかわれているのは「知識生成機関(knowledge generating institutions)」です。知識が制度化されてゆく過程にも目配りがなされ、「知的な問題より知的な環境の方が重視」されます。知識の「社会史」たる所以です。
著者は、「さまざまな知識が相互作用することこそ、本書の中心的テーマである」とも述べています。著者は、「境界」を越えた知識の交流、交流のダイナミズムをたいへん面白がる方のようです。「序文」のおわりの方で、本書の狙いと執筆理由は、〈「境界」、つまり国家的、社会的、分野的な境界を横断することにあるのだ。E・M・フォスターの助言「ただ結びつけよ」を念頭におきつつ、諸知識の多重奏的歴史を、多元的視点から眺めた歴史を書きたいという希望から、アビイ・ワールブルクが知的な「国境警察」と呼んだものの網をかいくぐろうと思う」と記しています。
以上は、当該書籍の『序文』によるものですが、全体を通読しての率直な印象は、「すごいねえ、年寄りには思えん!!」というものです。当該書籍を著者は、75歳で上梓しています。トピックが広範であると、網羅的になり、浅薄になりがちですが、そうではありません。たいへん刺激に富むものです。おなじく日本の近代のはじまりを江戸時代であるとして、広範に論証している加藤秀俊著『メディアの展開』を読んでの印象と重なるところ大でした。まさに〈「年寄り」恐るべし〉です。
2015年10月5日レビュー
目次
第1部 知識の実践
1章:知識を集める (知識を集めること 第二の発見時代 科学的遠征調査 第三の発見時代? 過去の文化をもとめて 時間の発見 測量標本の蓄積 フィールドワークの多様性 観察のさまざま 話を聞くことと質問すること 質問票 録音 ノートとファイル 保存書庫 結論)
2章:知識を分析する (分類すること 解読すること 再建(復元)すること 評価年代決定 計数と測定 記述すること 比較すること 説明すること 解釈すること 物語ること 理論化すること)
3章:知識を広める (話すこと 展示すること 書くこと 定期刊行物 書物 視覚教材)
4章:知識を使う (検索すること 有用知識という考え 実業と産業のなかの知識 戦争における知識 政治における知識 帝国における知識 大学における知識 他の代替的教育機関 収束現象)
第2部 知識の代価
5章:知識を失う (知識を隠すこと 知識を破壊すること 知識を捨てること 図書館と百科事典 思想を捨てること 占星術 骨相学 超心理学 人種と優生学)
6章:知識を分割する (博識家の没落 科学者の出現 学会、専門誌、集会 学問分野 専門家と専門的技術 領域 学際的研究 共同作業 危険にさらされた種の生存)
第3部 三つの次元における社会史
7章:知識の地理学 (微視的空間 知識を固有化すること 学問の共和国 中心と周縁 辺境からの声 移民者と亡命者 非国有化する知識 知識を世界化すること)
8章:知識の社会学 (知識の経済学 知識の政治学 大国vs小国 圧力を受ける学者 中央集権化の始まり 知識と戦争 研究の後援者としてのアメリカ政府 知識労働者の多様性 労働者階級 知性ある女性たち 組織と革新 思想の学派)
9章:知識の年代学 (知識の爆発的増加 世俗化と反世俗化 短期間の動向 知識の改革、1750-1800 知識革命、1800-1850 学問分野の興隆、1850-1900 知識の危機、1900-1950 技術科する知識、1940-1990 再帰性の時代、1990-)
訳者あとがき p430/注 p460/参考文献 p507/事項索引 p526/人名索引 p534
「図説孔子 生涯と思想」孔祥林著(科学出版社 国書刊行会) [人文・思想]
既成のイメージとはまったく異なる孔子の姿が見えて・・
中国人研究者による労作です。日本人の既成のイメージとはまったく異なる孔子像を知ることができます。当該書籍の監修者:浅野裕一氏による「はしがき」の言葉をそのまま使うなら「日本人が抱く孔子像は、まるで西行法師か芭蕉のような、漂泊の哲人」ですが、中国人一般にとっては「天子の冠服を身にまと」い、「天子の宮殿を意味する大成殿」に祭られている人物ということになります。
そのような「中国人の孔子観の根底には、春秋公羊学があ」ることが指摘されています。司馬遷は、孔子の最古の伝記「史記(孔子世家)」を記すにあたって、春秋公羊学の大家であった董仲舒から大きな影響を受けて、伝記を記したとのことです。では、それが、日本で受け入れられなかったのはなぜでしょうか。そのことも記されています。
当該書籍の翻訳者:三浦吉明氏は、春秋公羊学について「あとがき」で次のように記しています。「この書物には何度も『春秋公羊伝』の名が出てくる。ほとんどの読者は『春秋公羊伝』の名前も初耳であろう。しかし、春秋公羊学は前漢儒教の主流であり、その後世に与えた影響も大きい。実は現在の日本で読まれる『論語』、そして儒教理解はそのような漢代の公羊学などを無視して、宋代の朱子学、明代の陽明学に飛んでいると言って良い。このように儒教理解についても我々は限られた範囲でしか理解していないのである。」
当該書籍には「論語」からの引用が出てきます。有名なものもあれば、さほどでないものもあるわけですが、いずれにしても、それらの言葉が、孔子の伝記(活動)のなかで取り上げられていくという叙述方法がとられています。ですから、ただ言葉のみが取り上げられ、注釈がほどこされている「論語の注釈書」より、はるかに生きた仕方で理解を得ることができると思います。
それは「忠」「孝」「仁」「義」「礼」「智」「信」「恕」「譲」「恭」「敬」などの徳目についての説明についても同じです。「説文解字」の説明なども引用されますが、「論語」等における実際の使用例から論証されていきます。ですから、それらの徳目について、アタマではなくカラダで理解できる印象があります。
たとえば「仁」については次のように記されてあります。「仁は孔子の思想の核心で、基本的意味は『人を愛す」、他人を愛す、すなわち『論語』の中に記載されている「樊遅(はんち)、仁を問う。子曰わく、『人を愛す』と」(顔淵)である。孔子の人を愛する思想は当時にあっては非常に得難く貴い思想である。なぜならば、奴隷社会においては、貴族と奴隷は共に人間ではあるが、奴隷はただ話のできる道具であり、貴族からは人間とは見なされていなかったからである。孔子の言う人とは奴隷主のことであって、奴隷を含まないと孔子を批判する人がいるが、本当に大嘘つきである。『論語』に「厩(うまや)焚けたり(やけたり)、子朝を退きて日わく、『人を傷つくるか?』と。馬をば問わず」(郷党)という記載がある。孔子の家が焼けて、奴隷主までケガをさせることができようか?馬に飼い葉をやる奴隷主がいようか?たとえ奴隷主が自分で馬に飼い葉をやらず、偶然厩に行っていたのだとしても、孔子の家に孔子以外にもう一人奴隷主がいるのか?孔子の言う「人」には当然奴隷も含んでいる、人を愛するとは当然あらゆる人を含むのである。」
2015年7月13日レビュー