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新版-犬が星見た-ロシア旅行 (中公文庫) 武田 百合子著  [エッセイ]


新版-犬が星見た-ロシア旅行 (中公文庫)

新版-犬が星見た-ロシア旅行 (中公文庫)

  • 作者: 武田 百合子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2018/10/23
  • メディア: 文庫


ここには人間がいる。描かれている。

武田百合子のロシア旅行記。百合子は、武田泰淳の妻。とは言うものの武田泰淳を知る人は少なくなっているにちがいない。なにしろ、昭和51(1976)年に64歳で亡くなっている人物だ。しかし、昭和の作家としては、埴谷雄高、野間宏、椎名麟三らと並び称されるビッグネームである。埴谷雄高は、その対話する様子から、文学仲間のなかで、武田泰淳の頭の回転は最速で、三島由紀夫よりも速いと書いた。

野間宏について
https://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-04-03-1

本書タイトルは、10歳以上年の離れた夫から「やい、ポチ。わかるか。神妙な顔だな」と(仕事部屋の本を掃除の手を休めてものめずらしげに覗いている時に、おかしがって)言われたことから来ている。「ビクターの犬」さながら不思議そうに星空を見上げる犬を例にあげ、「まことに、犬が星見た旅であった」と百合子は『あとがき』に記している。

そもそも、この旅は夫・泰淳が「竹内(好)と百合子と俺で旅行しておきたいと思ってたんだ。それに三人で行けるなんてことは、これから先、まあないだろうからな」と言ったことにはじまる。本書には「巻末特別エッセイ」として、旅をともにした中国文学者竹内好の『交友四十年』も掲載されている。

記録されているのは、昭和44年6月10日から7月4日まで。行き先は、ハバロフスク、タシケント、サマルカンド、グルジア共和国の首都トビリシ、ヤルタ、レニングラード、モスクワ、コペンハーゲン、ストックホルムなど。当時の船、飛行機の旅の様子を知ることもできる。

「犬」呼ばわりされた著者の感性をとおして見た「星」の輝きが本書の醍醐味だ。星の中には、出向いた先の土地や人、共に旅行することになった人々、さらには夫・泰淳と竹内好も入る。本書にみる二人は酒好きのただのおっさんである。そのダークな面、ケッサクな面も知ることができる。一緒に旅行した人々の中では、とりわけ錢高老人が魅力的。

たいへん即物的で、うんこやゲロの話もでる。著者が好き嫌いのハッキリした方だったことも分かる。それと同時に、人生の深い考察も記される。読んでいて、感じるのは、ああ、ここには人間がいる。描かれているという思いだ。

2019年1月19日にレビュー

武田泰淳と竹内好――近代日本にとっての中国

武田泰淳と竹内好――近代日本にとっての中国

  • 作者: 渡邊 一民
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2010/02/25
  • メディア: 単行本



武田泰淳伝

武田泰淳伝

  • 作者: 川西 政明
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/12/15
  • メディア: 単行本



竹内好――ある方法の伝記 (岩波現代文庫)

竹内好――ある方法の伝記 (岩波現代文庫)

  • 作者: 鶴見 俊輔
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/09/17
  • メディア: 文庫


左の席がざわめく、私の窓に雪の大山脈があらわれはじめた。いく重にもいく重にも奥の奥までひしめき重なり合っている地球の波。その果ては、はるか空に霞んでいる。右窓の人たちは立ち上がって左窓に寄ってきた。天山山脈の東のはずれだという。ヒマラヤは空に霞んでいるあたりだという。窓硝子に額をぴったりつけて、さえぎる雲一つない大快晴の天空から、天山山脈を見つづける。まばたき一つしても惜しい。息を大きくしてもソン。頂に真白な雪をのせて、ゆっくりと少しずつ回りながら天山山脈は動き展がってゆく。大昔、煮えたぎっていた熱の玉が一個、まわりながら冷えていったとき、どうしたわけか、ここにばかり皺が偏って出来てしまったのだ。それからずっといままで、四季の移りかわりも人も獣も寄せつけず、死んだように眠っている。何の音もない世界。生きもののいない世界。ガランドウというかカラッポというかーーそういう大交響楽がとどろきわたっている。死後に私がゆくのは、こんなところだろうか。・・中略・・天山山脈がうしろになると私はお産をすませたあとのような気分になり、眼をつぶった。飛行機は下降しはじめた。十二時過ぎ、もうすぐアルマ・アタに着くという。(p86,87)

酒の手持ちなないと思うと、思っただけで、あたりの景色は黒白、酒の手持ちがあると思うと、あたりの景色は天然色ーー主人はそう言う。(p92)

(サマルカンドの博物館で)一人で見物している私のところへ、老人は思い出したように、ときどきやってくる。/「ご主人は気分がわるいだけですかな。病気ではありませんかな」/「朝からお酒を飲んで、陽にあたりつづけましたでしょう。それで気分がわるいのです。マホメット様の罰があたったのだと、自分で反省しております」/「暑気あたりのときは休むがええ。それがええ。そうじゃ。そういうもんじゃ。わしゃ、よう知っとる」/老人は肯いて離れる。また、やってくる。/「さっきのおにんぎょさん。わしらによう似てまんな」/中庭を横切って次の棟へ。緑色のベンチ。白い石畳。水飲み場の蛇口から水が滴り流れている。くっちゃくちゃにこぼれ溢れ咲いている真夏の花々。つきぬけるような青磁色の矩形の空。遅れまいと小走りに歩いていた老人がふっと立ちどまった。/「わし、なんでここにいんならんのやろ」老人のしんからのひとりごと。/私もそうだ。いま、どうしてここにいるのかなあ。東京の暮しは夢の中のことで、ずっと前から、生れる前から、ここにいたのではないか。(p110)

(ブハラ西郊の砂漠で)「あれへんだぞ、この写真機は、カシャッといわない」と言う。押してもシャッターが動かない。/「とうちゃん、こわしたな」/「俺、いま触っただけだよ。いままで百合子がずっといじってたろ」/「さっきまでカシャッといったんだから。いま、とうちゃんが触ったからこわれたの。いじくらなくても、触っただけでこわれたの」/「そうかなあ」/「うちにあるお中元や記念品のライター、みんな、とうちゃんが触ってこわれたんだから。とうちゃんが触ると、うちにある文明の利器はみんな腐ってこわれるの」/私の声は大きかったらしい。/「奥さん、砂漠でそんなことを言わんでも・・」江口さんが低い声で言った。写真機がこわれても、本当は私は平気なのだ。見ているだけの方がいいのだ。(p135,6)

(カザハ族の包(パオ)を見学して)「よかったですねえ。明日は包をたたんで、ほかへ移るところだったそうですよ。滅多に、こんな風に包をみることなんか出来ませんよ」バスの中では、うんとトクをした気分になろうと、確かめ合っている。運転手も得意そうだ。/うまくいったのだろうか。よかったのだろうか。こういう見物をしても、私にはそういう感じがしない。包の暮しは、ごく当り前のような、ちっとも珍しいものではないような、ずっと前から判っていたような気がしている。ずっと前に私もしていたような気がする。/錢高老人は、きっと、こんなとき言うのだ「わしゃ、よう知っとった」と。(p140)

ホテル中庭の屋外食堂は、今夕も地元の人たちで盛況。ビールなし、バダー(水)なし、売れ残っているのは蜂蜜水だけだという。笑いさざめく中につったって見回してみても、空いている席はない。/なかなか暮れてゆかない夕方だ。部屋に戻らず、蜂蜜水でもいいから飲みながら、テーブルを陣どって、ここにいたい。/「わし、いつからここにおるんやろ。なんでここにおるんやろ」錢高老人は正気に返ったように呟いている。(p125.6)

突然、椅子をひっくり返しそうに乱暴にひいて立ち上がった竹内さんは、大股で出て行く青年を追いかけた。/青年の鼻すれすれに、顔をつき出して話しかけている。青年の顔はパッと赤くなる。竹内さんはなおも覗き込んで話しかけている。深く肯いた青年が語りだす。竹内さんはパイプをくわえたまま、耳を傾けて、実に嬉しそうに肯いている。それから握手した。/「彼は、純粋の、この土地の人間だそうだよ。じいさんも父親も熱心な回教徒だそうだ。じいさんは、今も毎日五回祈るそうだ。コーランを知っているかと、俺が訊いたら、彼はコーランの一節をいま暗誦してくれたんだ」/席に戻ってきた竹内さんは言った。主人も私も黙ってきいていた。/「いい青年だねえ。ウズベク共和国の愛国者なんだな。コーランを久しぶりに聴いたよ。(p164)

「この歌は『ロシア人は平和を好む』という歌なんです」山口さんが囁いた。「何とかかんとか、ルースキー」くり返しのところを歌うとき、ことさらに声をはり上げ、体を浮かして調子をとり、私たちへ盃を向ける。/・・略・・/唸るような巻舌だ。そして、揃ってこっちをみつめて乗り出す。私はそのとき少し怖い気がする。平和を好む、とこれほど力唱されると怖い気がする。この間、チェコスロバキアに、この歌を歌いながら攻めていったのかしら。一緒に乾杯していて怖くなる。向いの女性は泣き上戸で、歌の合間にふいいッと泣いた。/「帰ろう」と主人が突然促す。立ち上がろうとする私の肩を、隣の女がすごい力で押さえつけるから、もう少しいようかなとも私は思う。「帰ろう」主人は私をチラッと睨む。女は私の肩を押さえつけたまま、イクラののったゆで卵を口におし込み、もう一個、イクラののったゆで卵を掌にのせてくれた。(p284,5)

(SAS航空機内で、竹内好が)「行ってみてこい。紙(トイレットペーパー)がちゃんとあるぞ。やわらかい紙だ。紫の水が出るぞ。色気のある便所だねえ。物が豊富というのは・・・ロシアにゃわるいけどな。言っちゃわるいけど、やっぱりいいなあ」/海上に出る。快晴。浮藻のごときものは島。/「この飛行機は高度が上がっても寒くならない」竹内さんはひとり感服したあと、「たいしたもんじゃ。たいしたもんじゃ」と、錢高老人の抑揚をそっくり真似してつけ加えた。いままで眠たげで、ろくに返事もしていなかった主人が顔を上げて、「わし、よう知っとった。前からよう知っとった」と負けずに言った。/ひとしきりはじめた会話がと絶えたとき、老人はいまごろ何をしているかな、と私は思った。一緒に旅行してきた昨日までのことを、夢の中のことか、ずい分以前のことのような懐しさで思った。(p328)

(モスクワ駐在商社員夫妻とストックホルム空港で、その妻とのやりとり)「北欧はおはじめてでいらっしゃいます?」/「はじめてです。ロシアもはじめてです。日本から外へ出たのもはじめてです」/「モスクワからいらっしゃいますと感動なさいましたでしょう。北欧は素晴らしゅうございましょう?」佐久間良子風の美人の奥さんは、しきりと感想を促す。/「はあ」 物が豊富で迅速に事が運ぶ文化都市にやってきたのだな。ロシアとはちがったところだな、と思っているだけだ。感動というのは、中央アジアの町へ着いたときにした。前世というものがあるなら、そのとき、ここで暮していたのではないかという気がしたのだから。/「同じ商社マンでもヨーロッパ駐在の方が羨ましいですわ。主人がたまにこうして出張するときは、三日でも四日でもいいからせがんで随いてきますの。流行のものも見たり買ったりして遅れをとり戻さなくてはねえ」/びんびん響く美声の奥さんである。奥さんの顔をぼんやりと私は眺めている。(p330)

(「あとがき」から、最終段落のみ) 綴り終わったいまは、こんな風に思えてならないーー帰国の折りの飛行機は、二人をのせてそのまま宇宙船と化して軌道にのり、無明の宇宙を永遠に回遊している。私の頭上はるかを訪れては消えている。白色光に充ちた船内で、二人は、何て楽しげに酒を飲みつづけているのだろう。その酒盛りにはもう一人、旅行後やはり世を去られた、私の大好きなあの錢高老人も加わっていて。/ 私だけ、いつ、どこで途中下車したのだろう。 / 昭和五十四年 春


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