抜粋 『落語ー哲学』 中村昇著から(色川武大のこと) [エンターテインメント]
上記書籍中、『寄席放浪記』が取り上げられる。書いたのは、色川武大である。別名 阿佐田哲也として知られる人物である。
著者は、色川武大について次のように記す。
とてもまともで「本物」といいたい人物がいる。私にとって、色川武大がそうだ。学校で「道徳」なんて教えるくらいなら、高校で一年かけて、色川さんの比類なき名著『うらおもて人生録』(新潮文庫)をじっくり講義した方がずっといい。生きることの原理論が、著者の経験をまじえてわかりやすく説かれている。『いずれ我が身も』という珠玉のエッセイ(中公文庫)を読んでもそう思ったのだが、色川さんくらいキリストに近い(愛の本質を体得している)人物は、そうそういないのではないか。本気でそう思う。(p229)
たいへんな思い入れである。
もっとも、立川談志が唯一畏敬していた人物というから、また、伊集院静の『いねむり先生』のモデルであるというから、中村先生の思い入れは決して不思議ではないのだろう。
談志が「心底畏敬していたほとんど唯一の人」
https://bookend.blog.so-net.ne.jp/2011-11-28
それにしても「色川さんくらいキリストに近い(愛の本質を体得している)人物は、そうそういないのではないか」と、「本気で」思わせるだけの人物であったというのは、凄いことである。
ところで、残念ながら、色川武大の著作を当方はまだ読んでいない。