SSブログ

『読む力 現代の羅針盤となる150冊』 松岡正剛×佐藤優 中央公論新社 [読書法・術]


読む力 - 現代の羅針盤となる150冊 (中公新書ラクレ)

読む力 - 現代の羅針盤となる150冊 (中公新書ラクレ)

  • 作者: 松岡 正剛
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2018/04/09
  • メディア: 新書


「松岡正剛学」入門書

『千夜千冊』を読めば正剛さんの、凄さがよく分かる。ところが、テレビのインタビューや対談本(『多読術』など)に見る正剛さんは、なにかモソモソとした、分かったような分からないようなことを言うおじさんに思える。そんな感じをもっていた。ところが、本書はちがう。やはり、相手によって、本領が発揮されるようだ。水を得た魚ともいえる。丁々発止の雰囲気がある。

「読む力」について正剛さんは、『まえがき』で次のように記す。それは、〈たんなる読解力のことではない。国語の試験問題に答えられるようにすることではない。著者の「意図と意表のあいだに」どのくらい介入して、そのうえでそれなりの「傷」をもって帰ってこられるかということだ〉。〈傷を浴びて帰ってくるというのは、そこに「創」を感じるということである。「創」とは絆創膏という名称に見るようにもともとは「きず」のことをいう。「きず」を感じることが読書のもたらしてくれる最大の収穫なのである〉。〈というわけで、本書は二人が互いの「創」を持ち出しあったものになった。〉と、ある。

つまり、本書は、書物に打ちかかって返り血を浴びた、あるいは、自ら血を流して得た互いの「創」をなめあう本ともいえる。壮絶である。

その後、正剛さんは、こう続ける。〈ところで、「読む力」には三つの「A」がすこぶる有効である。アナロジー、アフォーダンス、アブダクションだ。その本から何を類推できるのか、何を連想したかということ(アナロジー)、その本によって何が制約されたのか、攻めこまれたのかということ(アフォーダンス)、その本によって何を前方に投げられるのか、どんな仮説がつくれるのかということ(アブダクション)、この三つのAが本を読むたびに立体交差をするように働けば、「読む力」は唸りをあげていく〉。〈読むとは、従属することではない。守って破って離れることだ。読むことによって、読者はもう一冊の本を編集できるのである〉。

そのような〈三つの「A」〉が実践される対話空間にあって、全体の印象としては、正剛が押し込み、佐藤が受けるという感じで対話は進む。どこまでも押し込まれる佐藤ではあるが、その懐の深さに正剛さんは感心する。一読者としても、ただただ感心せざるを得ない。

受けた佐藤は『あとがき』で、次のように記す。〈松岡正剛氏の頭の中には、独自の樹形図がある。中世神学に「博識に対立する体系知」という格言があるが、1980年代中葉から90年代にかけて、ポストモダンの嵐が(中途半端に)吹き荒れた後、体系知というアプローチに知識人が冷ややかになってしまった。その結果が、現在の閉塞した社会状況を作り出す大きな要因になったと思う。そのような状況で、松岡氏は、編集工学という、知恵と技法が綜合された方法論で、知のネットワークを再構築するという「不可能の可能性」に挑んでいる。私もこのネットワークの隅に位置する一人であると認識している。私は、「松岡正剛学」という学術分野が成立すると考えている。本書は読書術の指南書ではなく、「松岡正剛学」という、21世紀に日本の知的ネットワークを再構築する体系知に関する初めての入門書であると私は密かに誇っている。 / 私との対論に忍耐強く付き合ってくださった松岡正剛先生に深く感謝します〉。

正剛さんの『多読術』を読んで、氏の「編集工学」についての理解のモヤモヤしていた感じが、吹き払われたかの感がある。その方法が本書で補完されたように感じている。そういう意味でも、「松岡正剛学」入門書といっていいように思う。

2018年6月10日にレビュー

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

  • 作者: 佐藤 優
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2012/07/27
  • メディア: 単行本



松岡正剛千夜千冊

松岡正剛千夜千冊

  • 作者: 松岡 正剛
  • 出版社/メーカー: 求龍堂
  • 発売日: 2006/10
  • メディア: 大型本



多読術 (ちくまプリマー新書)

多読術 (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 松岡 正剛
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/04/08
  • メディア: 新書



nice!(2) 
共通テーマ:

nice! 2