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オックスフォードと「アラビアのロレンス」(ナショナルジオグラフィック1999年1月号) [教育・学び]


なぜオックスフォードが世界一の大学なのか

なぜオックスフォードが世界一の大学なのか

  • 作者: コリン・ジョイス
  • 出版社/メーカー: 三賢社
  • 発売日: 2018/03/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



上記書籍中に・・・

オックスフォードが名門大学とするなら、オール・ソウルズは名門中の名門。・・略・・オール・ソウルズへの合格はとてつもない誉れであり、稀有なことだ。年間に“フェローをたった2名”しか新たに受け入れないと言われていてーーこの説は正しいと言えば正しいのだが、ただし年間で“上限”2名まで。優秀な志願者が2名いると判断すればの話だ。新たに選ばれるフェローがひとりもいない年もある。 / このカレッジのフェローでいちばん有名なのは、クリストファー・レンではないだろうか(オール・ソウルズの主たる中庭の日時計は、レンの設計だ)。別の伝説の人物としては、軍人、外交官、作家の(アラビアのロレンスとして知られる)T・E・ロレンスがいて、著書の『知恵の七柱』はオール・ソウルズのフェロー時代の産物だ。(p197「カレッジの殿堂、オール・ソウルズ」)

・・・と、あるのを読んで、ロレンスを取り上げた『ナショナルジオグラフィック』1999年1月号を思い出した。そこから以下に引用してみる。記事のタイトルは「アラビアのロレンス 砂漠の英雄に学ぶ “困難な時代” の生き方」。


アラビアのロレンス【完全版】 デラックス・コレクターズ・エディション [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
  • メディア: DVD



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トーマス・エドワード・ロレンスは後に、アラビアのロレンスとして世界的に有名になる。文学、外交、軍事技術などで多才な能力を発揮した。ウィンストン・チャーチルでさえ彼を「現代で最も偉大な人物の一人」と呼んだ。だが、自分の欠点をよく知る英雄だったロレンスは、この戦争中の行動に死ぬまで悩みつづけた。

ロレンスは身長が1メートル66センチしかなかったが、落ち着いた青い目と力強いあご、ハンサムな容貌、そして堂々とした態度のせいで、実際より大柄な印象を与えた。人に紹介される時は、手を後ろで組み、軽く会釈をした。人の体に触れるのを毛嫌いした彼は、握手すら嫌がった。その穏やかな声にはわずかに上流階級の雰囲気が漂い、話し方には無駄がなかった。母親も含め多くの人々が不思議な人物だと評した彼の特徴は、英国オックスフォードでの子供の頃から変わらなかった。

8~9歳の頃、歴史、なかでも中世史に興味を持ち、やがてオックスフォードの遺跡を時間を長い時間をかけてほじくり返し、古い陶器やガラスのかけらを探したり、自転車で遠方の中世の城を調べに行ったりした。ほとんど眠らず、ろくに食べず、過酷な試練を自らに課して体を鍛えた。部屋中に騎士や英雄を自分で描いた肖像画を飾り、騎士道にあこがれた。騎士道は、おきてと英雄的行為が織りなすタペストリーのように、彼の豊かな想像力を包み込んだ。

1907年、ロレンスはオックスフォード大学ジーザーズ学寮に奨学金を得て入学。現在、この学寮で古文書官を務めるブリジッド・アレンは、1907年からの記録を引き出して見せてくれた。会計係が走り書きした細かい字で、ロレンスの奨学金の金額「年額50ポンド」と専攻「近代史」、父親の職業「無職」と記入されていた。学生たちの部屋に配達される昼食の請求額も記載されていた。ロレンスが食べていたのは、ほとんど毎日、パンと水だけだった。

「おそらくロレンスは、ものを食べることは時間の無駄か不道徳なことと考えていたのでしょう」と、アレンは言う。

卒業論文では、十字軍がヨーロッパの築城技術に及ぼした影響をテーマにした。すでに彼は、フランスと英国の城については専門家といえるほど詳しく、残る問題はシリアやパレスチナにある城塞を調べることだった。

こうして1909年の夏、カメラと拳銃、予備の靴下以外ろくな荷物も持たずに、彼はベイルートまで船で行き、そこから先は一人歩いて、秋の学期が始まる前に十字軍の城をたくさん訪れた。行程は入念に計画し、アラビア語を習得した。オスマン帝国の危険な辺境を一人で徒歩旅行するのは無謀だと、多くの人が警告したが、すべて無視した。

9月までに移動した距離は延べ1775キロ。ブーツはぼろぼろになり、4度もマラリアにかかった。シリア北部では、馬に乗って通りかかった男と銃で渡り合った。物を盗まれたり、殴られて置き去りにされたこともあった。それでも彼は十字軍の城を36ヵ所も訪れ、丹念にメモに取り、スケッチを描き、写真を撮った。こうした成果を盛り込んだ卒論によって、彼はオックスフォードを最優秀の成績で卒業した。

この旅行で、ロレンスは異文化を習得する才能も発揮し、アラブ人のものの考え方を熱心に身につけ、いくつもの村で歓待された。母親にあてた手紙の中で、彼は「今では、立ち居振る舞いはアラブ人になり、いつのまにか英語からフランス語やアラビア語に切り替えて話しています。英国人に戻るのにかなり手こずりそうです」と書いている。

ピーター・オトゥール主演の映画『アラビアのロレンス』が公開され、ロレンスの名声が米国中に広まった直後の1964年のある晩、一番下の弟だったアーノルドは、テレビ番組に出演した。英国ケンブリッジ大学で考古学教授を務めるアーノルドは、決して兄の思い出を美化するような人物ではなかったが、アカデミー賞を受賞したこの映画を毛嫌いし、「大げさで、でたらめだ」と評した。

「本当のロレンスは、私が出会った人間のなかでも飛びぬけて優しく親切で、明るい気持ちにしてくれる人物だった。不幸な時でもはた目には上機嫌に見えることが多かった」

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『ナショナル・ジオグラフィック』の記事内容をみると、(その部分は上記引用に含めていないのだが)、ロレンスの著書『知恵の七柱』には、アラブ人とともに砂漠の戦争を経験したことなど記されているようだ。

コリン・ジョイスの『なぜオックスフォードは世界一・・』には〈『知恵の七柱』はオール・ソウルズのフェロー時代の産物〉とあるが、実際のところ「フェロー時代」とはどの期間を指しているのか気になるところである。

トーマス・エドワード・ロレンス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9

アラビアのロレンス
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2006-08-13-1


「アラビアのロレンス」の真実: 『知恵の七柱』を読み直す

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  • 作者: 田隅 恒生
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2013/06/21
  • メディア: 単行本



完全版 知恵の七柱〈1〉 (東洋文庫)

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2008/08/01
  • メディア: 単行本



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