SSブログ

『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』門田 隆将著 角川文庫 [自伝・伝記]


死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発 (角川文庫)

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発 (角川文庫)

  • 作者: 門田 隆将
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2016/10/25
  • メディア: 文庫


「死の渕を見た」人間たちのナマの声、ナマの姿

2012年11月にPHP研究所から刊行された単行本『死の渕を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五百日』を一部改題し、加筆・修正して文庫化したもの。文庫版解説は、福島県いわき市出身の社会学者・開沼博 立命館大学衣笠総合研究開発機構准教授。

2011・3・11の地震・大津波のあと、福島第一原発が「全電源喪失」「注水不能」「冷却不能」となって「水素爆発」を起こし、放射線を放出し猛威をふるっているさなか、その『現場』を離れなかった人々がいたという事実に圧倒される。千人近い人たちが、女性もふくめ、そこにはいたのだ。取り残されたのではない。逃げそびれたのではない。それは必ずしも「殉職」を望んでのことなどではないが、自らの意志でそうしたのだ。暴れる原発を手ずから押さえ込もうとしたのだ。吉田昌郎所長をはじめ、責任ある人々は、「注水し」「冷却」するため手動でバルブを開けることを繰り返し試みる。「決死隊」である。・・・その圧倒的な内容は、実際に『現場』にいたひとたちへのインタビューの積み重ねから来る。引用されているナマの声から来る。そこに披瀝されてあるのは、「死の渕を見た」人間のナマの姿だ。

本書を読みつつ、つねに思いに揺曳していたのは『現場』という言葉である。そして、『現場』と人との距離である。「決死隊」がソレへの至近距離にあるとして、関係する人々各自の配されたそれぞれの位置である。そして、そうした中でウゴメク人間模様。その中には、一国の首相も含まれる。そして、問いが突きつけられる。「お前は、その時、どのあたりに居た・・?」。そして、ある講演で聞いた言葉が重く響く。「どんなことであれ、それに参加しないものに、発言する権限はない」。

〈星の王子さま〉とは誰かーその1-
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-02-28

著者はいう。《本書は、原発の是非を問うものではない。あえて原発に賛成か、反対か、といった是非論に踏み込まない。なぜなら、原発に 「賛成」か「反対」か、というイデオロギーからの視点では、彼らが死を賭して闘った「人としての」意味が、逆に見えにくくなるからである。/ 私はあの時、ただ何が起き、現場が何を思い、どう闘ったか、その事実だけを描きたいと思う。原発に反対の人にも、逆に賛成の人にも、あの巨大地震と大津波の中で、「何があったのか」を是非、知っていただきたいと思う》。

評者にとって本書は、「遅れ馳せ」ながらも『現場』に参入する助けとなったように思う。

2017年2月2日にレビュー

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日

  • 作者: 門田 隆将
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2012/11/24
  • メディア: 単行本


「みんなまともに寝てないんだけれども、なんか自分では冷静だと思っているし、異様なほど元気なんですよ。たまたま宿直室にもテレビがあったので、みんなで偶然、テレビを見たてたら、こっちに来てくれた消防庁の方が東京に戻って現場の過酷さについて泣きながら記者会見をされていたんですね。それ見ながら、あれ、自分たちは、その現場にまだ何百人といるのに、っていう感覚です。もう人間として限界ですから、いろんなものが麻痺してたんだと思うんですよ。もとの自分に戻ることができたのは、いったい、いつ頃だったのか、自分でもわかりません」

そんな佐藤(眞理 防災安全グループ)がポロポロと涙をこぼしたのは、それから五ヶ月ほどが経過してからである。

「だんだん時間が経って、やっとこう、思い出したり振り返って見られるようになっていったんですね。私が本当に泣いたのは、あれは八月頃ですかね。私たちは、いろいろ復旧で誰もいない町の中を通って行くんですよ、川内村とか、いろんなところに行くんですけど、本当に牛とかが死んでいたり、キツネとかが出てきたり・・・、骨と皮だけになってね。私、しょっちゅう行ってましたから、キツネが恐る恐る寄って来たこともあります。あれ、あの尻尾、キツネだよね、って言いながら、その日持ってたあんぱんを車から降りていって、あげたんです。それを見てたら、あんまり痩せて、哀れで・・・。私、その時、もう本当に、バーっと涙が出てきたんですよ。人間だけじゃなく、なんの関係もない動物まで、こんな目に遭っているということが、この土地一帯をこんなことにしちゃったって・・・。動物までこんなになってしまうんだと。牛もだんだん、だんだん、骨がゴツゴツしてくるし、子どもが生まれてても、もう死んでたりとかね。本当に悲しかったですよね。そういう生き物が苦しんでいるのを見た時に、地元の人が事故で受けた被害の大きさがより胸に迫ってきて、本当に泣けました・・・」

「痩せさらばえて骨ばかりになった動物を見た時、申し訳なさと、こんなことをしてしまった自分たちへの怒りがこみ上げて、涙が止まらなくなってしまったんです」

以上 第20章「家族」p389-390
nice!(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 2

トラックバック 0