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『記憶の未来:伝統の解体と再生』フェルナン・デュモン著 白水社 [外交・国際関係]


記憶の未来:伝統の解体と再生

記憶の未来:伝統の解体と再生

  • 作者: フェルナン・デュモン
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2016/05/26
  • メディア: 単行本


「このような状況において、(本書を)翻訳して刊行することには一定の意義があるだろう」

カナダの「ケベック(州)でももはや古いという印象をしばしば与える」「これまで日本でほとんど知られていない」人物で、「旧弊的な教会権力やブルジョワを批判するカトリック左派として、静かな革命を担う旗手で」あり、「ナショナリストであった」フェルナン・デュモンの「記憶」「伝統」をめぐる著作である。原著発行は1995年。

グローバル時代の今日とはいえ、カナダ連邦の一地方においても「古い」と目されるローカルな著述家の20年も前の本を、今どき翻訳して世に出す意義について思案させられるところがあるが、翻訳者:伊達聖伸氏もソノ点じゅうじゅう承知しており、たいへん充実したソレだけでお腹いっぱいになりそうな解説をしている。ソンナ著者のソンナ本を世に出す意義を伊達氏は次のように記す。

《原書が出版されたのが1995年である。第二次世界大戦終結から半世紀という節目にあって、冷戦後の世界が形を取りはじめるなか、歴史認識や記憶をめぐるさまざまな問題が西洋でも日本でも議論された年である。その意味で時宜を得ていた本だったと言えよう。//それから20年、グローバル化がますます進展するなかでナショナリズムの巻き返しが文脈を異にしつつも世界各地で起こり、将来の先行きが不透明ななかで戦後70年を迎え、洋の東西を問わず記憶の問題が継続ないし再燃している。//このような状況において、(本書を)翻訳して刊行することには一定の意義があるだろう。デュモンが設定した中心的な問いは、集合的記憶が危機を迎えている現代社会において、「記憶の零度」をまぬがれ、新しいコンセンサスを作り出すにはどうすればよいのか、とまとめられるだろう。この問題に対する彼の回答を端的に言えば、伝統を再建して過去とのつながりをもう一度作り出すことだ、となるだろう (『訳者解説』)》。

『訳者解説』を読んで見えてきたのは、(と、言ってもあくまでも評者の霞んだ目にソノヨウニ見えてきたというに過ぎないが・・)「ケベックの抱えている問題は、どうも他人事(他国事)ではないぞ」という思いだ。イギリス連邦に属するカナダという一国家の一地方州であるケベックは、他の州と異なりフランス語文化圏にある。その関係で、ケベックでは、以前からカナダ(英語圏)からの独立の動きがあるという。独立にあたって、自分たちのアイデンティティを確立する必要があるが、その際、「記憶」の問題が立ちはだかる。《人びとを集めるにはやはり記憶の共有が必要である》。なんらかの共有できる記憶(伝統)を(再度)構築しなければならない。それをめぐる論議は知識人の間で、大きく三様に分かれるという。

視線を(国際連合に属しアメリカ合衆国の極東の一つの州であるカノヨウナ日本語を母語とする)わが国に向けると、故・大森実氏のように日本は本当の意味で米国からの独立を果さなければならないと言う方もいる。中韓等近隣諸国との関係で独立を保つ必要もある。オトナは、他者への敬意を示しつつ、かつ自尊の念を維持し、共存共栄を図るものである。そのためには、(自他共に)共有できる自分たちの「記憶」「集合的記憶」「歴史認識」を構築する必要がある。そういう意味で、ケベックの置かれた立場は参考になるように思った。全然大いにまったくの見当ハズレかもしらないが・・・。

この本は、サンドイッチ状になっている。デユモン全集の編者であるセルジュ・カンタン氏の『記憶の未来ー伝説の解体と再生』という長い序文がまずあって、お仕舞いにこれまた長い『訳者解説』(『記憶の未来』の読まれ方、あるいは、「ポスト・デュモン」の知の勢力図)に、デュモンの講演『記憶の未来』がはさまれるカタチだ。序文・解説と講演がほぼ同量である。カンタン氏は、デュモンの略歴と彼の思想を知るうえで役立つ他の思想家(アーレント、リクール、テイラーなど)との関係を記述している。

2016年7月20日にレビュー

大先輩・大森実さんの「遺言」
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2010-05-15
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