SSブログ

『創世記と地質学―19世紀の科学思想とその神学的背景』 チャールズ・C. ギリスピー著  [人文・思想]


創世記と地質学―19世紀の科学思想とその神学的背景

創世記と地質学―19世紀の科学思想とその神学的背景

  • 作者: チャールズ・C. ギリスピー
  • 出版社/メーカー: 晃洋書房
  • 発売日: 2016/03
  • メディア: 単行本


「自然神学が表だった時代のイギリスの物語」(1790ー1850年間のイギリスにおける科学思想、自然神学および社会的見解の関係の研究)

学際的な(地球)科学史。読み物としてもおもしろい。

当初、聖書の『創世記』に記述されているノア、アブラハムといった人物たちにまつわる土地をめぐる論考で、「聖書考古学」に結びつくものか・・と予想したのだが、副題(原著)に「1790ー1850年間のイギリスにおける科学思想、自然神学および社会的見解の関係の研究」とあるように、実際の中身は、ダーウィンが『種の起源』を発表する以前、(つまり、基本的に、神:創造者の存在を人々が信じ、聖書の道徳基準にそって人々が生活し、神の存在を疑うなど罪悪とみなされていた頃)、翻訳者の言によれば「自然神学が表だった時代のイギリスの物語」で、「地質学、地球の歴史、科学と宗教とのかかわり、英国史、聖書の創世記との関わりを示してくれている」とある。

原著は、1951年、まだ「科学史が専門分野としてまだ十分に認知されていない」頃、発行され、1959年に「古典的名著しか入らないハーパー社のトーチブックス・シリーズとして」再販され、そして、1994年にルプケという科学史家から「科学史分野の名著と再評価され」た、「地球科学の歴史を始めて本格的な歴史記述とした先駆的業績」。翻訳した理由は「自然神学を紹介し」「われわれ日本には、馴染み薄い見地に接することで、科学とは何かを改めて考えて(「はじめに」)もらうためという

翻訳者は「本書の主題」について、それは「むしろ、宗教と科学、自然神学と近代科学とのかかわり」であると述べ、さらに、「当時のイギリスでは科学の教育と研究のほとんどすべてのアカデミックなポストは聖職者と科学者を兼ねた人々に限られていた。その神学的な見方は近代科学によって一歩一歩と後退し、ダーウィンに至って神学的な見地が消滅する。宗教と科学が一体となっていた自然神学から、無神論的な自然観への大転換だった。『すべての科学の揺り篭の傍らには、神学者が死屍累々と横たわっている』とはハックスリーの言葉であるが、この神学者とは聖職者=地質学者のことである。本書は、ダーウィン以前の時代の科学と神学と社会の交錯を複雑微妙に描いたユニークな著作である(訳者解題)」。

学際的な魅力をもつ本書だが、著者自身(自著が再評価されたとき、読み直して)次のように記している。「拙著もそうだが、・・論争に重点を置いている。同意よりも意見の不一致こそが、人々に議論をさせ、発展させ、正当化させ、究極的にかれらの見解を拡大するからである。拙著は主として地質学者たち自身の発見についてのかれらの発言、思考、および信念の神学的背景を扱った(今それを読み直してみると、その結論は、当時かれらの信念にかなう社会的、政治的現実の議論では、私の記憶にあるところよりさらに立ち入っている、と言わざるをえない)(1996年版 序文)」。

少し引用してみる。「カーワンは、自然神学の頑固な観念が科学的精神をどれほど腐敗させるかを示す、あまりにも古典的な例であることは確かである。ハットン学説へのかれの反論は何らかの証拠によるものでは決してなかった。ハットンの宗教上の罪は、『創世記』を文字どおりに信じることを支持しなかったことにあって、聖書の否定にはない。自分たちに賛成でないものは、自分たちに反対なのだ、とカーワンなら同意しただろう。もし科学が真実なら、それは聖書と一語一語、一致しなければならない。基本的に、この相互確認の解明が、科学研究の最も高貴な目的となり、その唯一の真の理由である。したがって地質学は、起源の問題にかかわり、理論にかかわらなければならない p40」。

たいへん真面目な本ではあるが、読み物としてもおもしろい。人類を支配してきた大きな考え方の移行期、その狭間における人間のモロモロを知ることができる。

2016年6月30日レビュー


大学のドンたち

大学のドンたち

  • 作者: ノエル・アナン
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2002/02/20
  • メディア: 単行本



nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 1

トラックバック 0