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『海を渡った日本書籍 ヨーロッパへ、そして幕末・明治のロンドンで』 ピーター・コーニツキー著 平凡社 [外交・国際関係]


海を渡った日本書籍: ヨーロッパへ、そして幕末・明治のロンドンで (ブックレット“書物をひらく”)

海を渡った日本書籍: ヨーロッパへ、そして幕末・明治のロンドンで (ブックレット“書物をひらく”)

  • 作者: ピーター コーニツキー
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2018/08/17
  • メディア: 単行本


日本書籍、海を渡る、どのように?

平凡社のブックレット「書物をひらく」シリーズの一冊。日本書籍の海外流出について記されている。内容は、書籍・扉に示されているとおり「イギリスやアイルランドに、江戸時代の始まり、17世紀初頭に到来した日本の書籍が残っている。それらは、いつ、誰によって、どんなルートで、そして、なぜ、持っていかれたのか。 幕末・明治に多く集められた海外の和書の集積のうちに、日本に対するどんな興味が、どんな本の選択を、どんな学知の蓄積を、もたらしたか、具体的な由緒を尋ねることを通して探る」といったものだ。

アーネスト・サトウ、バジル・ホール・チェンバレンら著名な人物たちの蒐集した蔵書や幕末イギリスに渡った留学生が「金欠病」で売り払った書籍などが、今日残って・・・という話など興味深い。以下、すこし引用してみる。

「幕末のロンドンには、驚くことに日本人の留学生がすでに数十人ほど生活していた。幕府の奨学金受容のものもいれば、江戸幕府に反対していた倒幕派のものもいた。すでに文久3年(1863)には、明治18年(1885)に日本の初代総理大臣となった伊藤博文や同年に初代外務大臣となった井上馨が、3人の同僚とともに、外国船に乗り込み、日本からイギリスへ密航した。いわゆる長州五傑の話だが、長州だけではなかった。慶応元年(1865)には、薩摩から15人もの学生がロンドン大学のユニヴァーシティ・カレッジへ派遣された。薩摩の英国留学生には、初代文部大臣を務め一橋大学を創設した森有礼、初代在英日本公使となった寺島宗則、2回ほど在仏公使を務めた鮫島尚信などがおり、のちに立身出世するものが多かった。その他、土佐、肥前など、諸藩から若い武士がイギリスへ派遣され留学生活を送っていた。幕府留学生のほうは慶応2年(1866)に14人もイギリスへ派遣された。日本の留学生はイギリスだけに派遣されたわけではないが、幕末期は、イギリスは特に多かったのである。 / 明治維新前夜の時期になると、インフレのため、幕府も諸藩も財政困難に陥っていたので、日本の留学生たちが経済的不安を抱いていたことは容易に想像できる。『餓死凍死』の可能性もあると訴えた幕府留学生もいた。その原因は、ほかならぬ『金欠病』・・・」とある。そして、彼等(特に佐幕派)の蔵書を買い取ったのが古書籍商バーナード・クォーリッチ。ついで、その本を買い取った蒐集家としてクロフォード伯爵第25代のリンゼー卿。そのリンゼー卿の古書購入を助けた人物として後に開成学校の教壇に立った箕作奎吾、帝国大学総長となった外山正一の名が挙げられている。

章立て目次は以下のようになる。1:日本書籍の海外流通史(元禄年間まで) 2:日本書籍の海外流通史(ペリー来航前夜まで) 3:日本書籍の海外流通史(明治初期まで) 4:ロンドンの日本書籍売買


2018年10月12日にレビュー
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