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『あいまいさを引きうけて(日常を散策する 3)』 清水眞砂子著 かもがわ出版 [児童文学]


あいまいさを引きうけて (日常を散策する 3)

あいまいさを引きうけて (日常を散策する 3)

  • 作者: 清水 眞砂子
  • 出版社/メーカー: かもがわ出版
  • 発売日: 2018/05/27
  • メディア: 単行本


「壊される」経験をお勧めしたい

ル=グウィン著『ゲド戦記』の翻訳者:清水眞砂子によるエッセイ集。対談も収録されている。読後、沈思黙考である。清水さんの言葉を借りるなら、往復ビンタを食った感じである。

著者は、日常のなかで思考する。思考し続ける。何十年も、簡単安直に答えをださない。それでいいのだという。すぐの答えを求められ、すぐに回答(らしきもの)が手に入るインターネット時代にあって、清水さんのスタンスはそれである。日常の生活を潜ったたしかな言葉・思想を手にしようと奮闘してこられた様子が伝わってくる。「あいまいさを引きうけて」その中で転がり回ってこられたということで、それはあるにちがいない。

自身そうであるから、そういう歩みをしてきた作家に清水さんはシンパシーを感じる。そして、大切にしてきた。『ゲド戦記』翻訳も依頼がまずあって仕事として引き受けたというより、自分の切実なうちなる欲求から、他の仕事をなげうって取り掛かったものだという。ほかに、そうした作品を物した作家としてフィリッパ・ピアスや吉野せい、乙骨淑子について語られる。

清水さんは、「心ゆたかな」読書とは、壊されることだという。読書体験とは破壊されることである。たぶん評者も清水さん同様、「壊される」ことが好きなのにちがいない。鶴見俊輔さんとの対談もあり、そこで鶴見さんは、ル=グウィンと乙骨淑子理解の背景的知識を示す。とりわけ乙骨を個人的に知り、その父を知る鶴見さんの言葉に、清水さんは「壊される」。そして、清水さんは感動をもって応じる。要するに「豊かに」されたのだ。それを読む評者も「壊された」。しかし、「壊される」経験は、もっと深いところでの破壊を言うのであろう。単に知識が増えるなど、「壊される」うちに入らない。ユング心理学でいう〈自分の「影」〉と対峙するような怖さが関係してくるにちがいない。

鶴見さんとの対談について回想するにあたり、清水さんは「乙骨淑子と共に日本の子どもの本の作家では、私が最も信頼していた上野瞭が亡くなり、そのお通夜の会場の片隅に、鶴見さんがぽつねんとたたずんでおられるのを遠くから目にしたが、余りのお疲れのご様子に、お声掛けするのもためらわれて、私はひとり夜遅い京都駅に向かった」と記す。

上野瞭も凄い作家である。誰もが安住する家の土台をひっくり返すような作品を書いた。上野瞭を「最も信頼していた」清水さんは、やはり凄い人なのにちがいない。本書を読んで、「壊される」経験をお勧めしたい。むずかしい言葉は用いられていない。

2018年9月30日にレビュー

本の虫ではないのだけれど―日常を散策する〈1〉 (日常を散策する 1)

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  • 作者: 清水 眞砂子
  • 出版社/メーカー: かもがわ出版
  • 発売日: 2010/05/01
  • メディア: 単行本



不器用な日々―日常を散策する〈2〉 (日常を散策する 2)

不器用な日々―日常を散策する〈2〉 (日常を散策する 2)

  • 作者: 清水 眞砂子
  • 出版社/メーカー: かもがわ出版
  • 発売日: 2010/10/01
  • メディア: 単行本



児童文学はどこまで闇を描けるか―上野瞭の場所から

児童文学はどこまで闇を描けるか―上野瞭の場所から

  • 作者: 村瀬 学
  • 出版社/メーカー: JICC出版局
  • 発売日: 1992/02
  • メディア: ハードカバー


名古屋大・女子による殺人事件(エロトフォノフィリアによるものか・・)https://bookend.blog.so-net.ne.jp/2015-01-30
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