抜粋『大江健三郎 柄谷行人 全対話 世界と日本と日本人』 講談社 [文学・評論]
以下は、上記書籍中の「戦後の文学の認識と方法(1996年5月21日収録)」からの抜粋。
柄谷
(前略) 想像力、つまり、カントがいう構想力とは、空想力とは違って、感性と知性の綜合をなしとげるものです。あらゆる矛盾を想像的に統合するものです。あの時期に、それをなしとげるのは小説以外になかったと思います。そして、それ以後には、小説そのものがそのような役割を持ちえなくなる。ある意味で、『万延元年のフットボール』に大江さんが思われた以上の意味の凝縮性と歴史性があったと思うんです。大江さんは山口昌男の学問をいろいろ研究なさったけれども、僕は「そんなことは 『万延元年のフットボール』に書いてあるじゃないですか」と思いましたね。多分それこそが想像力の仕事だったんじゃないか。我々には、それを改めて理論的に分析していくか、そのパロディを書くことしか残っていないんじゃないかという気がしたんです。
現実生活に無意味なものの意味
大江
僕にとってはね、自分で小説を書くということと、そこであつかったことをあらためてよく理解するということは違うことなんです。小説を書く、そこで自分が考えたこと、考えようとしたことを、ある新しい論文によって教えられるということは、将来自分が書こうとしていること、書けないかもしれないけれども、それを試みることについての意味を教えられることにむしろ似ているんです。ですから、「きみ、この問題はあの小説であつかったじゃないか」といわれたとしても、意味はない。文学の泥沼にいる人間は、哲学という空の高みをいつも見詰めている苦しみと喜びがありますが、単純化していえば、やはり哲学と文学はすっかり違ったものなんです。
p112.113
「話して考える(シンク・トーク)」と「書いて考える(シンク・ライト)」 (集英社文庫)
- 作者: 大江 健三郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/06/01
- メディア: 文庫