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『読書の価値』 森 博嗣著 NHK出版新書 [読書法・術]


読書の価値 (NHK出版新書 547)

読書の価値 (NHK出版新書 547)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2018/04/06
  • メディア: 新書


オモシロイ人の書く本はオモシロイ

人気作家であるから「読書」について語る資格は十分にあると言える。しかし、本書に示された著者の読書半生をみると、ちょっとどうかなと疑問符がつく。作家の中には、小学生時代に学校図書館の本を全部読んだなどという方もいる。あくまでも、そういう方と比較しての話だが、それでも、「文字がうまく書けなかった」「読書が苦手だった」「小説を毛嫌いしていた」という経歴はめずらしい。もっとも、そうなったのには理由がある。そうした理由が示されていく。

著者は、本との出会いを人との出会いに比している。「本と人は同じような存在である」という。そう考えると、著者はたいへんユニークである。「小学生のときに一番感動した本は、電磁気学の本」で、「6年生のときに、電波を発生する装置を作ることができた」。高校時代は「クラスから10人以上が東大に入る理系の集団」にいて、数学に夢中になる。しかし、「数学科を目指して、数学者にならなかったのは、既に自分には解けない問題を解くような大学院生がいることが大きかった。これは、漫画家にならなかった理由も同じである。」「僕は言葉で考えない」。「概念のような抽象的なものを示す言葉も、図形でイメージしている」と著者はいう。読者は、そういう人物と本書を通して出会うことになる。

そのような人物が、小説家になり、「現在、僕は1時間に6千文字を打つ作家として知られているけれど、平仮名入力だったら、1時間に1万文字は軽く打てるはずである」というまでになる。そのようにできる理由・秘密も示される。

そういう著者の「読書」にまつわる話は面白い。情報をインプットする面においてもアウトプットする面においても参考になる。オモシロイ人の書く本はオモシロイという事例ともなっている。

2018年6月22日にレビュー

以下「目次」

まえがき
僕は文字がうまく書けなかった / 読書嫌いだった理由 / 「人間の知恵」に触れる体験 / 小学生の僕が感動した本 / 活字でしか得られないもの / 読書の価値とは何か

第1書 僕の読書生活
どうすれば文章の意味が理解できるか / 速読は読書ではない / 翻訳小説の魅力 / 僕が初めて買った本 / 書いてあることが分からない / 1ヶ月もかかった読書 / 推理小説への傾倒 / 日本に小説好きが少ない理由 / 優れた小説の条件 / 専門書を読むためのセンス / 漫画という存在について / 「ポーの一族」の衝撃 / 小説なんか読んでいる場合ではない! / 萩尾望都という才能 / ある家庭教師の思い出 / 夢中になった数学の本 / 他者の思考を覗きこむ体験 / 読書から離れていた日々

第2章 自由な読書、本の選び方
どのように本を選ぶか / 本と人は同じような存在である / 本選びの極意 / 本はすすめられて読むものではない / 本選びのたった一つの原則 / 教養とは何か / 「つまらない本」の読み方 / 本と読者の未来 / 本を「賢い友人」とするために / 読書は本選びから始まっている / 僕の本の選び方 / 本が特別に優れている点 / ベストセラーを避けるべき理由 / 作家志望者へのアドバイス / 「自由な読書」の楽しさ

第3章 文字を読む生活
僕の研究者時代 / 世間に文章下手が多い理由 / 詩は小説よりもわかりやすい / 雑誌の創刊号はなんでも面白い / 研究にのめりこむ日々 / 「文字を書く」という苦痛 / キーボードという道具 / 僕は1時間に6千文字を書く / 文章は何のためにあるか / 上手な文章の条件 / 文章力を鍛える方法 / 社会人にこそ必要な文章術 / 悠々自適な読書生活 / 「広く読む」ことのメリット

第4章 インプットとアウトプット
僕は言葉で考えない / 知識を蓄える意味 / 読書の効用 / ただ文字を辿って読んではならない / メモに意味はあるのか / ネットに本の感想を上げる意味 / 読書感想文は無意味だ / 「本の価値」はどこから生まれるのか / 真に意味のあるアウトプット / 著者のたくらみ / 本はイメージを運ぶメディア

第5章 読書の未来
日本の特殊な出版事情 / 多種多様な版型 / 文章書下ろしが少ない理由 / 縦書きに拘る意味はあるのか / 紙の本には横書きが合う / 消えていく2段組み / 「読みやすさ」の罠 / 日本で電子書籍の普及が遅れる理由 / 本作りの「中間業者」が消えていく / 本の未来像 / 娯楽産業の限界 / 作家と編集者の関係 / 有名人の著作が増えた理由 / 自費出版ビジネスの幻想 / 出版社は読者集団のままで良いのか

あとがき


小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2010/06/17
  • メディア: 新書



作家の収支 (幻冬舎新書)

作家の収支 (幻冬舎新書)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2015/11/28
  • メディア: 新書


(以下、『第1章 僕の読書生活』-小説なんか読んでいる場合ではない-から抜粋)

小説を読むと、僕は必ずその舞台でキャラクタが動くシーンを思い描く、こういった「展開」をしているから、読むのが遅くなるのだ。のちに小説家になり、気づいたことだが、多くの読者は、そういった「展開」をしないそうだ。文字をそのまま読んでいる。ぼんやりと、ときどき「こんなふうかな」と思い浮かべることはあっても、その想像の中で、人々は生きていない。勝手に動いたりしない。

極端な例だが、ある場面でソファに座った、と書かれていて、その後、別の場所に立っている、と書かれていれば、その間に、ソファから立ち上がって、そこまで歩いたことになるだろう。それを、僕は頭の中で再現する。これが「展開」である。だから、自分が小説家になったときも、このとおりに書いた。ところが、編集者や校閲者から、あるときは読者から、「座っていたのではないですか、いつの間に立ち上がったのですか?」という質問が来るのである。

僕はこれで本当に驚いた。立っている、と書かれていれば、どこかで立ち上がったのだろう、と想像できる。そんな簡単な想像ができないのか、という不思議さなのだ。

文章からイメージを展開することが、小説を読むという行為だろう、と僕は認識していた。だからこそ、読むのには時間がかかる。逆に、頭の中のイメージを文章に書き写すことは比較的時間がかからない。だいいち、イメージは映像であり、文章はテキスト、つまりデジタルであるから、メモリ量的にも前者の方が桁違いに大きいはずだ。少ないものから多いものを構築するには、補わなければならないから、その作業に時間が当然かかる。一方、多いものを少なくするのは、切り捨てるだけのことで単純作業だ。

だから、作家になってからも、読むのは遅く、書くのは速い。自分の作品を執筆する時間と、編集者から送られてくるゲラを一通り読むのと、ほとんど同じ時間を要する、という状況だったのである。これが、最初は編集者になかなか理解してもらえなかった。

そんな僕であっても、萩尾望都の絵のように隅々までは想像していなかった。その緻密な再現力は、これまで僕が体験したことのないものだった。たぶん、作者の頭の記憶容量が大きくて、解像度が格段に高いのだろう。

小説なんか読んでいる場合ではない、とまで僕は思った。それくらいショックだったのだ。こんなに凄いものが出てきた、漫画はまだ歴史が浅い創作、芸術である、これからどんどん発展していくのにちがいない、と考えた。 p55~57
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