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『日本の英語、英文学』 外山 滋比古著 研究社 [日本語・国語学]


日本の英語、英文学

日本の英語、英文学

  • 作者: 外山 滋比古
  • 出版社/メーカー: 研究社
  • 発売日: 2017/10/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


著者は英語・英文学の危機に、人工知能の脅威に立ち向かう

「教養英語」より「実用英語」が重視され、大学から「英文科」が消えているという。ながらく英語教育に携わってきた著者は、英語・英文学の危機に立ち上がる。執筆の動機を次のように記す。「何としても、英語、英文学の伝統を消したくないが、できることは限られている。個人としてできることは、これまでの百年に、英語、英文学がなしとげたことをふり返ってみることであると考えるようになって、この本を書くことにした。(〈あとがきにかえて〉新生へ向けての回想)」

そして、さらに昨今「広く知的文化をおびやかすもの」となっている人工知能という強敵にも立ち向かう。「新しい英語、英文学は、案外、人工知能に対してつよいかもしれないということを証明すれば、語学は新しい時代の先頭に立つことができる」「新しい、おもしろい、創造的思考力を育むには、やはり、外国語の学習が、大きな力をもつのではないか。こういうことを本気で考えている。(〈あとがきにかえて〉新生へ向けての回想)」

当該書籍のなかで、著者は、外国語学習が「人工知能に対してつよい」ことを証明してみせた(と言っていいように思う)。また、英文科のないイギリスに渡って先進的な「文学論」を記した夏目漱石をはじめ、英語・英文学教育の歴史のなかで記憶に留めるべき名をおおく示している。南日恒太郎、小野圭次郎、山崎貞、I・A・リチャーズ、ウィリアム・エンプソン、福原麟太郎、山路太郎、岩崎宗治、ラフカディオ・ハーン、エドマンド・ブランデン、岡倉由三郎、岩崎民平、木原研三、石橋幸太郎、大塚高信、安井稔、荒木一雄、冨原芳明といった名である。さらに、その中には、「百年の歴史を誇り、日本でもっとも創刊の早かった雑誌の三つのうちの一つと言われた『英語青年』」の編集を担った著者の名:外山滋比古も含めることができるにちがいない。

2017年12月11日に日本でレビュー

「ε-δは苦にならなかった。トゥキュディデスの複文をほぐす作業に比べればおちゃのこさいさいだったのだ」
http://kankyodou.blog.so-net.ne.jp/2015-10-30-1

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実用英語が教養英語を攻撃するとき、まず英文法が槍玉に上がったこともあって、日本の文法は力を失った。しかし、それとともに、英語好きも減ったことに気づく人はすくなかった。



実用英語によって、文法教育の影がうすくなるとともに、英語に対する知的興味も下がったことは重大である。学校文法は間接的ながら、日本人の思考力を支えるものであったからである。この文法のもつ思考への影響力については、ドイツ語のほうが英語を上回っていた。ドイツ語を専攻した人たちは、一生、その名残をとどめることが多かった。

いずれにしても、学校文法は、それが学んだ人間の思考力を色濃く染めるということを、外国語教育にかかわるものは考えなくてはならない。

イギリスから伝えられた英文法はたいへんよく出来ていた。イギリスが植民地をひらき、そこをみな英語圏にしてしまったのは目ざましいことであったが、原動力のひとつに“英文法”があったことを認める人はすくない。
p50.51「文法」

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英文解釈法は、ただ、英語の参考書であっただけでなく、日本人の思考形成に深い影響を及ぼしている。そのことを知らない人がすくなくない。

「・・のみならず、・・もまた」「あまりにも・・で、・・ない」「・・にはあまりにも・・である」などという日常の言い回しは、英文解釈が教えたものである。その影響は思いのほか大きい。

p60「英文解釈」

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NI(Natural Intelligence「自然知能」の略、AI Artificial Intelligence「人工知能」に対する語)、自然知能を考えれば、外国語学習はまったく新しい可能性をおびることができるようになる。NIの不備を補完することである。頭のはたらきをよくする、ことばの学習である。

外国語によるNIの強化、伸長ということを中心に考えれば、会話ができる、手紙が書ける外国語力など問題にならない。母国語だけでは伸ばすことのできない能力を掘りおこし、知能を新しく伸ばす語学は、人間を変えることができる。

まず“解釈力”である。外国語を学ぶことで、解釈力が養われる。母国語では、わからないことがすくない。疑問をいだくことがすくない。解釈を必要とすることも、外国語に比べてはるかにすくない。

外国語を学ぶことで、解釈力は大きく伸びる。

解釈は複数の意味をもっていることに基づいている。意味はひとつ、という考えの母国語では深い思考活動が困難であるのは、すでに明らかになりつつある。

外国語教育における第一の問題は、この解釈力である。これをNIのなかへ入れている人と、そうでない人との頭のはたらきがまるで違うようである。

解釈力についで、外国語の習得によって得られるのが、“思考力”である。母国語は記憶力中心であるのに対して、解釈を要する外国語は思考によるところが多く、思考力を高める。

まったく外国語を知らない人は、思考に弱いことが多い。即物的思考はともかく、想像的思考は外国語によって強化されることが多い、と想像される。

思考力は数学などによって養われるというのは誤解である。案外、外国語能力によってすばらしい思考力がつく。

(2段落・省略)

そう言えば、寺田寅彦は生涯、つぎつぎいろいろな外国語を勉強していたことが知られている。もちろん実用が目的ではない。外国語の文法を学ぶことで思考力を磨いていたらしい。

つまり、外国語学習は母国語だけのNIの欠点を補うことができる、ということであり、知的活動の原動力になることができる。役に立たないどころか、たいへん有用であることがわかる。

外国語を学べば、もって生まれた(natural)言語能力を高めるだけではない。生まれつきの知能を伸ばすことができる。それとともに思考力全体が高められ、頭がよくなるのである。語学は“役に立つ”のである。

以上p141-144「知識・思考・創造」から抜粋

自分の頭で考える (中公文庫)

自分の頭で考える (中公文庫)

  • 作者: 外山 滋比古
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2013/02/23
  • メディア: 文庫



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