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『言葉から社会を考える:この時代に〈他者〉とどう向き合うか』 東京外国語大学言語文化学部編 白水社 [言語学(外国語)]


言葉から社会を考える:この時代に〈他者〉とどう向き合うか

言葉から社会を考える:この時代に〈他者〉とどう向き合うか

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2016/11/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


「東京外国語大学」というと、外国語しか学んでいないというイメージを与えてしまうことがあるが・・・

東京外国語大学で教授されている専攻言語27種について、それを取り巻く社会・人・文化を、「語学研究所」の先生方が(各言語について3~4ページで)エッセイ風に解説したものと、学長、言語文化学部長ら5人による座談会が掲載されている。座談会では、「蕃書調所」にまで遡ぼる東京外大の歴史・沿革、新渡戸稲造、二葉亭四迷、(東京外大の「中興の祖」とも呼ばれる)浅田栄次のこと、浅田が唱えた「通辯たるなかれ、西洋の文物を学び世界的人物と作れ・・」の意味、対談者各人が「それぞれの言葉との出会いについて」語るなどの内容。(以下、引用)

《二葉亭四迷は、北東アジアの利権を帝国日本と争っていたロシアを倒す一助になろうとし、敵を知るために露語科に入学したのに、学ぶうちに反対にロシア文学に魅せられてしまった。ミイラ取りがミイラになったしまうわけです。・・(中略)・・二葉亭も、ロシアを「敵」と見なす軍国主義的価値観から、ある種の平和主義に転じたと考えることもできます。ロシア語を学ばずにたとえば英語を通してだけロシアを学んでいたとしたら、あそこまでは行かなかったのではないかと思います》。(座談会「言語と文化の多様性を生きる」中の沼野恭子談から)

《外国語を学ぶ意義// ここまで挙げた「くる」と「いく」や、やりもらい、受身の表現の使い方から、中国語には外から全体を眺めた叙述をする傾向があり、日本語には人の内面から物事を見つめる叙述をする傾向がある、という違いがあることが見て取れる。同じアジアに隣り合って位置しながら、中国語と日本語とで、世界の捉え方が同じでないことを認めざるを得なくなる。/ ここで特筆すべきは、彼我の世界観がこのように異なるのを知ることができたのは、中国語を学び、日本語との違いに気づいたからに他ならない、という点である。中国語を学ばなければ、こうした気づきはなく、中国語で世界がどのように捉えられているかを知ることもなかったのである。/ ここに思い至れば、外国語学習を取り巻く構図が、母語を異にする者同士、互いに英語を学んで英語で意思疎通を図ればよい、といった単純なものでは済まなくなることが浮かび上がってくる。つまり、中国語を学んでみないと、中国人の世界の見方が日本人と異なることを体感することはできないのである。互いの感覚の違いを知った上でつきあうほうが、よりよい関係を結べるのは言うまでもない。/ 複数の言語を学ぶということの意義は、いろいろあろうが、こういったことも1つに数えられる。多くの異なる言語を学ぶにつれて、より多くの異なる世界の捉え方を知ることができるようになり、複眼的な見方、柔軟な感性を身につけることができるようになるのである》。(「同じ世界の異なる見方」加藤晴子筆から)

《「東京外国語大学」というと、外国語しか学んでいないというイメージを与えてしまうことがあるが、学ぶのは言語だけではない。学生は、言語文化学部では世界諸地域の言語と文化を、国際社会学部では世界著地域の社会の仕組みを専門的に学修する。ただ専門知のベースには必ずその地域の言語が礎としてある。それが最大の特徴なのだ」。「興味深いのは、それぞれの言語を学ぶうちに学生たちの発想や行動様式がだんだんその言語が話されている地域の人々のものに似ていくことだ」》。(武田知香言語文化学部長筆部分から)

2017年1月26日にレビュー


世界を食べよう! - 東京外国語大学の世界料理 -

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  • 出版社/メーカー: 東京外国語大学出版会
  • 発売日: 2015/10/30
  • メディア: 単行本



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