SSブログ

《 「怪異」の政治社会学 室町人の思考をさぐる 》高谷 知佳著 講談社選書メチエ [人文・思想]


「怪異」の政治社会学 室町人の思考をさぐる ()

「怪異」の政治社会学 室町人の思考をさぐる (講談社選書メチエ)

  • 作者: 高谷 知佳
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/06/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


中世のブラックボックスに手を突っ込み、中身を引き出して見せたチカラ技

評者だけのモノではないと思う。中世には、暗く、どろどろしたイメージがある。中身がよく分からないゆえの薄気味のわるさである。著者は、多くが敬遠する中世のブラックボックスに手を突っ込み、ソレを引き出して見せる。化け物屋敷に押し入って化け物をつかみだす。つかみ出されたモノは、実は、ただのタヌキでしたというわけにはいかない。なかなか、一筋縄ではいかないシロモノだ。それゆえにも、明るみに出して、晒した功績はおおきい。

著者の「専攻は法制史、都市法をほとんどもたない日本中世都市に関心をもつ」とある。まさに、本書は著者の関心の中心にあるものにちがいない。室町時代の京の都と支配者階級、支配者から実利と保護を願う寺社階級、そして、安寧秩序を求める庶民たち、著者はそうした三者の織り成す「思考」を明るみにだす。そして、その思考をさぐる中心にあるのが「怪異」である。

怪異出現のメカニズムが明らかにされる。《怪異のメカニズムの基本形は「収拾される怪異」すなわち「寺社が政権にたいして怪異を発信し、政権がそれを収拾する」というものであった。そこから、社会の存在感が大きくなった結果として「風聞としての怪異」すなわち「『怪異とはなにか』が社会の共通理解になり、寺社からの発信や政権からの収拾もないまま、社会の中で怪異の風聞が拡散される」という変化が生じた。// さらにその延長線上に、「寺社が、政権よりも、怪異の風聞を拡散するようになった都市社会に、信仰や寄進といった実利を求めて戦略的に怪異を発信する」という派生形があらわれてきたのである。これを「都市社会に宣伝される怪異」と呼びたい。// 収拾される怪異、風聞としての怪異、そこから派生した、都市社会に宣伝される怪異。室町期の京都には、互いに影響を与え合いながら、この三つが平行してあふれたのである》。そして、やがて、それは収束し、中世は終焉にいたる。その過程もつづられる。

応仁・文明の乱の頃のもようも記されている。馬琴の『南総里見八犬伝』における記述を思い出しながら読んだ。額絵から抜け出た虎を退治する話や小さな祠への庶民の信仰のことなど、伝奇的物語の舞台に中世はやはり似つかわしく感じた。まだ、よく消化できていない。咀嚼すらできていないが、中世に生きた先祖の思考の在り様から得られるものは、たいへん大きいと感じている。そして現在、今様の「怪異」譚がうごめいていないか警戒の必要性も・・・。

2016年9月1日にレビュー

南総里見八犬伝 全10冊 (岩波文庫)

南総里見八犬伝 全10冊 (岩波文庫)

  • 作者: 曲亭 馬琴
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1995/07
  • メディア: 文庫



日本法史から何がみえるか -- 法と秩序の歴史を学ぶ

日本法史から何がみえるか -- 法と秩序の歴史を学ぶ

  • 出版社/メーカー: 有斐閣
  • 発売日: 2018/03/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


『高谷知佳氏 怪談づくり、ヒントは室町期』

夏の風物詩の一つに、怪談がある。怪談は、もしかしたら本当に起きたことかもしれない、自分にも降りかかるかもしれないと思わせるからこそ、人をおびえさせ、ひきつける。
 
そのリアリティーは、どのようにして生み出されるのだろうか。多くの怪談のモチーフとして、一つは、遠い昔に凶事を起こした血筋や場所と関わったために呪(のろ)われるというもの、また一つは、鈴木光司『リング』に始まる、ビデオや携帯電話やメールなど、日常的なテクノロジーから正反対の非科学的な呪いが広がるというものが挙げられる。前者は過去から連綿と続くことで信憑性(しんぴょうせい)を高め、後者は身に迫る共感を生みだすのである。
 
実はこの二つのモチーフは、500年前にも、人々の恐怖心に訴えかけていた。室町時代、将軍義政の後継者争いに始まる応仁・文明の乱は10年に及び、荒廃した京都を、怪談めいた噂(うわさ)が飛び交っていた。「西院の地蔵は、平安時代の高僧の作であるが、最近、近隣の者が夢でお告げを受け、希異利生(きいりしょう)があった」「最近、小児を食う鬼が現れるという告(つ)げがあったが、巡礼の装いで清水寺の講堂に参詣すれば災いを逃れられる」
 
これらの怪しげな噂は、乱からの復興のままならぬ寺社が、人々の信仰や寄進を集めるために広めたものであった。西院地蔵では「平安時代の高僧の作」という由緒と「近隣住人の夢」という身近な出来事を、清水寺では平安時代に建立された寺自体の由緒と「鬼が現れる」という最近の告げを、つまり現代の怪談のモチーフのごとく、過去から続く霊験と今まさに起きた怪異をセットにしてアピールしたのである。そしてこの戦略は功を奏し、貴族から庶民まで多くの人々が、噂の的になった寺社へつめかけた。
 
しかし、こうした非日常的な信仰と興奮の場は、人々の不安を解消する一方、喧嘩(けんか)や闘乱、集まった寄進目当ての強盗など、重大な問題も引き起こした。しまいに「衆人が参詣すると、そこで戦乱が起きる先例がある」と、参詣そのものが不吉視されるに至る。「もしかしたら本当かもしれない」という恐れによって人々を集めた場は、「本当に」恐れを生み出す場と化したのである。人を恐れさせる怪談の技法はすでに生まれていたが、それが純粋な娯楽になり得るのはもう少し先、現実の戦乱を恐れる必要のない、近世の泰平の時代を待たねばならなかった。怪談はやはり、起こりそうでも起こらないからこそ楽しめるのである。

(京都大法学研究科准教授)


nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 1

トラックバック 0