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『漢字廃止の思想史』 安田 敏朗著 平凡社 [人文・思想]


漢字廃止の思想史

漢字廃止の思想史

  • 作者: 安田 敏朗
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2016/04/18
  • メディア: 単行本


いま現在の漢字をふくめた日本語表記全般のあり方、そして日本語そのもののあり方を問いなおすことにもつながる

たいへん硬(固)そうなタイトルで、面倒くさい印象があるが、その実そうでもない。これはひとえに著者の人柄によるもののようである。ご本人に直接会ったことがないので、なんとも言えないが、文章から推してそう思う。

感覚的に漢字を用いる社会慣習にふれたあと、書籍『はじめに』部分に著者の執筆動機が示されている。《それならば、感覚的ではなく、ある理屈のもとで漢字をつかわないようにしようとした人びとの依拠した論拠をあきらかにしてみたい、というのが本書を書こうと思った動機である》。//《それに加えて、漢字廃止論が、いま現在漢字をつかっているというだけの理由で不当におとしめられているように感じるのも執筆動機のひとつである。漢字擁護の理論がただしいから漢字廃止論が不要というわけでもあるまい。漢字をつかう側とて、右にみたように確固たる理論にもとづいてつかっているわけではないのであるから、いってみれば、感覚的に漢字が選択されてきただけなのである。しかしながら、感覚的であるからこそ、それが批判されるとムキにならざるをえなくなるのではないか》。// 《一方で漢字廃止論も絶対的ただしさをもった理論とむすびついていたわけではない。おおまかな見通しを記しておけば、時代時代の先端的思想とむすびついて、ある場合には時局と迎合するような形で大きな力をえたときもあった。おなじ時代でも、政治的に好ましくないとされた思想と結びついて被害を被ったこともあった。さらには依拠した思想の賞味期限がくれば、あるいはそれが実現したら、漢字廃止の実現がなされないまま、空虚なスローガンと化してしまった場合もあった。本書ではカナモジカイの主張と能率(=日本語の機械化)がむすびついており、この能率の主張は産業化社会において有効でありつづけているからである。たとえばワードプロセッサにおけるかな漢字変換の技術が確立されなかったとしたら、情報化社会にあって、パソコンでうつ日本語のあり方はどうなっていただろうか》。// 《くわしくはこれから延々とつづく本文を読んでいただくほかはないのであるが、漢字を廃止しようとした人たちが何を考えていたのかをしることは、いま現在の漢字をふくめた日本語表記全般のあり方、そして日本語そのもののあり方を問いなおすことにもつながるであろう》。

こうして引用筆写(?)しながらも感じるのは、漢字で表記すべきところを著者は漢字で表記せず、かな文字を多用していることである。その点、書籍『おわりに』最末尾で著者は次のように弁解(?)している。《ここまで書いてきて最後にことわるのも気がひけるが、漢字がなくなればよい、と考えているわけではない。権威とか伝統とか、あるいは「日本人の心性」とか、よくわからないものにまどわされることなく、もっと気軽に、つかったり、つかわなかったりすればよいのだ、という拍子抜けしたことをいいたかっただけなのである》。

たいへん「拍子抜け」する結語ではあるが、中身は充実している。第1章『漢字廃止・制限論をどうとらえるか』で、『日本語が滅びるとき』(水村美苗 ちくま文庫2015)、『愛と暴力の戦後とその後』(赤坂真理 講談社現代新書2014)、『漢字論ー不可避の他者』(子安宣邦 岩波書店2003)、『漢字と日本人』(高島俊男 文春新書2001)を、次のように批判するだけのことはある。《水村にしても、赤坂にしてもそうなのだが(それをいえば、子安も高島も同様であるが)、不思議なことに漢字廃止を主張する側の論拠をきちんと把握したうえでの批判ではない。漢字廃止という目的に注目して批判するのみで(子安や高島はそうではない)、そうした主張の背景をふまえたものではない。・・略・・したがって、その分だけ漢字廃止・制限論はより対抗的で説得的な理由を探してこなければならなくなる》。

第2章『文明化の思想』、第3章『競争の思想ー国際競争と産業合理化のなかで』、第4章『動員の思想ー能率と精神のあいだ』、第5章『革命の思想ーマルクス主義という「応世」』、第6章『草の根の思想ー「昭和文字」の射程』、第7章『総力戦下の思想戦ー標準漢字表をめぐる攻防』、第8章『それぞれの敗戦後』と章はつづく。

「漢字リテラシー(読み書き能力)」を獲得することと「権力」との関係。「権力」と「伝統」さらには「日本人の心性」の関係の論議を興味ぶかく読んだ。読み書き能力だけでなく、知識全般に置き換え可能に思え、変えたくても変えられないもの(たとえば、原子力政策)を想起させられたりもした。なんでも許容するかのように振れ幅の大きな、説得の根拠をもとめて貪婪な(言い換えれば「硬(固)くない」)著者の論議の硬(固)い中身から得られるものは多いように感じている。

2016年7月5日レビュー
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