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敵を殺し、食う、理由 (水声社発行『インディオの気まぐれな魂』から) [文化人類学]


インディオの気まぐれな魂 (叢書 人類学の転回)

インディオの気まぐれな魂 (叢書 人類学の転回)

  • 作者: エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ カストロ
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2015/10/30
  • メディア: 単行本



未開人と笑うなかれ

現代人の方が野蛮に思える。

以下は、上記書籍中の
『トゥピナンバはいかにして戦争に負けたか/戦争を失ったか』からの引用

**********

男性にとって、初潮儀礼に相当する通過儀礼となっていたのは捕虜の儀礼的処刑であった。捕虜を殺し、初めて名前を変えることを経ていなければ、若者は結婚し子供をもつ資格がないとされていた。敵を一人か二人捕らえ、そうすることで子供の頃の名前を変えた男でなければ、母親たちは自分の娘をやろうとはしなかった。すなわち、集団の再生産は理念上、敵を捕らえ、儀礼的に処刑するという装置、戦争の原動機と結び付いていたのである。ひとたび結婚すれば、男たちは義理の父母や兄弟に捕虜を贈り、これらの姻戚が復讐を遂げ、新たな名前を得られるようにしなければならなかった。婚姻に基づくこのような給付は、男性が妻方での「奴隷状態」から抜け出すための要件の一つであったと思われる。

(宣教師たちによる報告、省略) 

このようないくつもの名前は、勇敢な功業を記憶にとどめるものであり、トゥピナンバにおける名誉の本質的な記号にしてその価値基準となっていた。それらはまた、儀礼的な瘢痕文身(エスカリフィカソン)や、顔に孔をあけ装飾物を挿入すること、あるいは人前で演説をする権利、幾人もの妻を抱え込むことなどからなる一揃いの一部をなしていた。贅沢としての一夫多妻は、首長や偉大な戦士にふさわしいこととされていたようである。捕虜を、記号を、女たちを、義理の息子たちを蓄積することーー戦士としての名声によって妻方への依存状態から脱することで、男性は、これと同じ従属形態を、自らの若い義理の息子、すなわち、自身の何人もの妻が産んだ娘たちの夫に押し付けられるようになった。「こうしてより多くの娘をもつ男が、この娘たちを通じて手にする義理の息子たちに敬われることになる。義理の息子たちは、自らの義理の父および兄弟たちにつねに従うのである・・・」(Anchieta 1584:329)

さらに、戦士としての功業が現世における名誉の条件であったとすれば、それはまた、〈彼岸〉における安逸のためにも必要なものであった。勇敢な者だけが楽園に行くことができるのであり、臆病者たちの魂は、アニャンと呼ばれる悪魔たちとともに、地上を惨めにうろつきまわらなければならない定めにあった。そればかりではない。敵を殺すことによって復讐を遂げることが勇敢で価値のある生き方の印であったとすれば、よき死(カロス・タナトス)とは戦いにおいて成就されるものであり、またその至上の形態は、集落中央の広場で儀礼的に処刑されることにあった。捕虜の状態に置かれ、「犠牲」にされることは、勇敢で気高い態度をもって受け止められるべきこととされていた。

彼らは敵の者たちを、これらのすべての儀式にわたり勇敢で決然としているようにと説得し、また、もし敵たちが死の恐怖からそうすることを拒むならば、彼らは敵たちを弱く臆病だと呼ぶ。結果として、彼らの見方では非常に悪いものであるそのような不名誉を避けるため、彼らは死の瞬間に、それを実際に見たことがない者には信じられないようなことを行う。というのも、彼らは飲み食いし、分別を失った者のように肉体的な楽しみにふけるのであり、その安逸な様子は、彼らは自分が死ぬことをまったく聞いていないのではないかと思われるほどである。(宣教者名略1557:Ⅱ,386)

ここには、相互に絡み合った二つのモチーフがある。一方は終末論的で個人的=人格的な水準に属しており、他方は社会学的で集合的な水準に属している。敵によってむさぼり食われることは、トゥピ=グアラニーの宇宙論に特徴的な一つの主題、すなわち埋葬と死体の腐敗に対する恐怖と結び付いていた。

捕虜たちでさえ、この状況において自らに起こりつつあること、彼らの考えでは栄光ある死がふりかかってくることを、高貴で威厳のあることとみなしている。というのも彼らによれば、墓のなかで、土の重みーー彼らの考えでは相当なーーを支えなければならないというのは、臆病な魂にふさわしいことなのであって、戦争での死にはふさわしくないからである。(同上1554:Ⅱ,113)

[そして]なかには、食べられるであろうことに満足している者たちもおり、彼らは、仕えるために助けられることには決して同意しない。というのも彼らによれば、死んで異臭を放ち、畜生どもに食べられるのは悲しいことだからである。(同上1584:114)

ジャコメ・モンテイロは、「異教徒の予兆」を思い起こしながら、遠征する戦士たちにその企てを思いとどめさせたものの一つに、運搬する食糧の腐敗があったと述べている。

調理された肉にうじ虫がわくとーーこの土地のひどい暑さでは、容易にそうなるのだがーー、彼らは、肉にうじ虫がついたのと同じように、敵も自分たちを食べることはできないだろう、代わりに敵たちを殺してうじ虫だらけにしてやろうと言う。そのようになることは、この野蛮人たちにおける最大の屈辱なのである。(同上1610:413)

捕虜にする側とされる側の間には共謀関係があったことがわかるだろう。この関係によって、一人のトゥピナンバは別のトゥピナンバにとって最良の敵とされていたのである。さらに、敵を捕虜とし処刑することのさまざまな様相が、捕虜をトゥピナンバのイメージに合致した存在に作り変えようとするーー彼がまだトゥピナンバでない場合にはーー努力を証拠立てている。ヨーロッパ人の場合、身体や顔の毛を取り除かれ、現地の様式で彩色された(ハンス・シュターデンの場合がそうだった)。捕虜は、自分たちを捕らえている人々とともに踊り、食事をし、酒を飲まなければならず、時には彼らの戦争に同行しなければならなかった。さらに、捕虜に妻をあてがうこと、すなわち彼を義理の兄弟に作り変えることは、敵を社会化するための企てとして、このような意味で解釈されるべきと私には思われる。トゥピナンバは、自らが殺し、食べようとする他者が、完全に一人の人間として定義されており、自らに起ころうとしていることを理解し、かつ望んでいるという確信をもちたかったのである。

敵によって殺され、食べられるという現象が、トゥピ系諸民族に共通する、人の腐敗しうる部分を昇華することによる不死性の達成という問題系(参照省略)の文脈で理解されなければならないこと、また、トゥピナンバの外ー食人が、直接に一つの葬送体系となっていたことは疑いない。しかしまた、トゥピナンバが敵をむさぼり食ったのが、哀れみからではなく復讐と名誉のためであったということも、同じように確かである。ここにおいてわれわれは、私には根本的と思われる社会学的モチーフに遭遇する。このモチーフは、腐敗することと腐敗しえないことに関する人格論的な主題よりも、さらに根本的であるかもしれない何かーー宣教師たちのよる教化と改宗の努力に対し、食人慣習以上に抵抗した何かに関わるものである。敵の死、および敵の手による死が可能にしていたものとは、復讐の永続化そのものであった。

[そして]彼らがそのように敵の肉を食べるに至った後では、敵の側の憎しみは永久に確固たるものとなる。というのも、彼らはそのことにとても強い侮辱を感じるからであり、このため互いに仇を討つことを必ず求めるようになるからである・・・。(同上1576:139)

他人の手による死がすばらしい死であったのは、それが報復されうる死、すなわち正当であり、それに対して復讐を遂げることが可能な死であったからである。それは意味のある死であり、価値や人格を生み出すことができる死であった。アンドレ・テヴェは、いかにして自然の宿命としての死が社会的な必然性に転換され、さらには後者が個人の徳へと転換されるかを、巧みに表現している。

捕虜が、[自分が間もなく処刑され、食べられるという]この知らせに衝撃を受けるなどと考えてはいけない。というのも彼らは、自らの死は名誉なことであり、またそのように死ぬことは、故郷にいて何かの伝染病で死ぬよりもはるかによい、という考えをもっているからである。というのも(彼らのよれば)、人々を傷付け命を奪う死なるものに対して復讐することはできないが、戦争において虐殺された者の仇を討つことは十分にできるからである。(Thevet 1575:196)

そうだとすれば復讐は、決して単に、インディオの攻撃的な気性や、過去の受けた侮辱を許し、忘れる能力が彼らに病的なまでに欠けている、ということの産物ではない。まったく逆に、復讐はまさしく記憶をつくり出す制度であった。記憶とはまた、それを通して個人の死が社会体の長寿のために役立てられるような、敵に対する関係以外の何ものでもなかった。個人の分け前と集団のそれとの分離、名誉と侮辱の奇妙な弁証法は、ここから生じていたのである。すなわち、他人の手によって死ぬことは、戦士にとっては名誉であったが、彼が属する集団の名誉にとっては侮辱であり、同等の返礼をする必要を課すものであった。結局のところ、名誉は、復讐への動機となりうること、それ自体の生成(デヴイール)における社会の存続のための担保となりうることに基礎を置いていた。敵同士をつなぐ死に至る憎悪は、彼らが互いにとって不可欠であることの印であった。外ー食人というこのシミュラークルは、個人を食い、消費することによって、その集団がある本質的なことを維持しうるようにしていた。すなわち、これらの集団の他者への関係、絶対不可欠なコナトゥス(自己保存の努力・傾向)としての復讐をである。不死性は復讐を通じて得られ、また不死性の探究が復讐を生み出していた。敵の死と自身の不死性の間に、あらゆる個人が歩むべき軌跡、すべての人の運命が位置していたのである。p79-p88

食人の形而上学: ポスト構造主義的人類学への道

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  • 作者: エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ カストロ
  • 出版社/メーカー: 洛北出版
  • 発売日: 2015/10/26
  • メディア: 単行本



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