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*『インディオの気まぐれな魂』 エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ著 水声社 [文化人類学]


インディオの気まぐれな魂 (叢書 人類学の転回)

インディオの気まぐれな魂 (叢書 人類学の転回)

  • 作者: エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ カストロ
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2015/10/30
  • メディア: 単行本



16世紀、宣教師たちが、現地の人々に見たモノは

コロンブスによって新大陸が発見されたのが1492年。その後、イエズス会宣教師たちの布教がはじまる。

16世紀、宣教師たちが、現地の人々に見たのはその魂の「気まぐれ」さであった。ブラジル沿岸部を生活の場としていたインディオ・トゥピナンバは、イエズス会宣教師たちに対したいへん歓迎的であったが、その実、たいへん御しがたい、「気まぐれ」な民であった。近隣の部族との戦争にあけくれ、復讐・食人の習慣から離れず、悪習を改めようとしない。

著者は、当時の宣教師たちの残した数々の記録と、それらに対する先行研究への批判を当該書籍でおこなう。その態度は、「一貫してアメリカ大陸先住民の思考に寄り添い続けてきたブラジル出身の民俗誌家」としてのものである。当該書籍の最初の版は、前年(1991年)に発行されたレヴィ=ストロースの『大山猫の物語』に応答している点、注目される。レヴィ=ストロースが「提示したアメリカ大陸先住民の思考と存在の原理としての『他者への開かれ』」に対して、著者は肯定的ではあるが、レヴィ=ストロースが旧大陸からの視点、神話的視点から論議を展開するのに対し、著者は、そうではなく、個々の宣教師たちの目(記録)を借りる。

原著は、コロンブス新大陸発見500周年の年に発刊された。当時のインディオたちの置かれた複雑な状況については『解説』において言及されている。大雑把にまとめるなら、国家によって保護されると同時に、対策、管理される対象であることから生じる種々の問題といえる。そうしたなかで次の文章が印象的だ。

〈 (著者)が、宣教師と部分的に重なる位置にある以上、『気まぐれさ』を再考することは単に16世紀の宣教師の無理解を批判することではない。むしろこの取組は、自分自身にさえ逆らうようにして新しい思考を探究することのイメージを生み出す。気まぐれさにいらだちを覚え、嫌悪する感性に、そこから派生する差別意識に、その意識によって容認される不平等な扱いに決して一致することのない思考の道筋を示すこと。それはすなわち、インディオ社会を解体しかねない社会政策を支えてきた思考の条件に抗することであり、同時代社会において実現している差異を思考する条件を変えようと挑むことでもある。この思考のイメージは、後に現代的な人類学的思考として結実する。「人類学の役割とは、他者の世界を説明することではなく、われわれの世界を多元的にすることである〉

未開、野蛮、暴力的と思われる人々であっても、それなりの考え方に基づいて行動している。故・小室直樹氏のいう「日本教」で動いているご都合主義の日本社会と、当時のインディオたちの「気まぐれ」さが重なるように当方には思え、たいへん興味ぶかく読んだ。

2016年1月24日レビュー

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「トゥピナンバは、預言者と司祭たちが彼らに指図したことは何でも行ったーーただし、自らが望まないことを除いて」(16世紀ブラジルにおける不信仰の問題 p63)


食人の形而上学: ポスト構造主義的人類学への道

食人の形而上学: ポスト構造主義的人類学への道

  • 作者: エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ カストロ
  • 出版社/メーカー: 洛北出版
  • 発売日: 2015/10/26
  • メディア: 単行本



大山猫の物語

大山猫の物語

  • 作者: クロード・レヴィ=ストロース
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2016/02/20
  • メディア: 単行本



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