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山県有朋と明治天皇 (堀雅昭著『靖国誕生』から)


靖国誕生 《幕末動乱から生まれた招魂社 》

靖国誕生 《幕末動乱から生まれた招魂社 》

  • 作者: 堀 雅昭
  • 出版社/メーカー: 弦書房
  • 発売日: 2014/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



以下、上記書籍中で示された山県有朋と明治天皇に関する部分の引用

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(「東京招魂社「棟上げ式」に際して)

青山上総介(清)が東京招魂社の「祭事係」になったのも明治5年1月である。つづいて2月5日に東京招魂社の本殿の棟上げ式が行われ、餅や銭がまかれた。このときの祭主は軍制改革でフランスやイギリスなどの欧米視察を終え、兵部大輔になっていた山県有朋である。//「祝詞ハ祭主ノ近傍ニ就テ、祭典掛青山一介勤ム」(6章 新生と滅亡 p159)

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(「天皇が臣下の霊を祭った神社に行幸、御拝あらせらる々といふことは絶えてなかった」大事件に際して)

明治7年の明け早々の1月27日、息子を失った青山は、皇居が焼け、皇子と皇女を亡くした不運つづきの21歳の明治天皇を東京招魂社に迎えた。『明治天皇紀 第三』によれば午前7時に皇居の門を出た天皇は、例祭日の供えものをして山県有朋が祭主となり祝辞を奏したという。天皇は神門内で馬を下り、殿内の玉座に進んで拝むと、その後は陸海軍の諸兵の参拝を殿上から叡覧した。

奇兵隊出身の山県は36歳で、明治6年6月に初代陸軍卿になっていた。山県は堂々と上座に陣取り、祭主として役目を果たす。 中間出身で蔑まれていた息子ほどの男が、明治維新を境に権力の座にのし上がった姿に、青山は時代の滑稽さを感じたに違いない。

顧みれば東京招魂社を誕生させた国家神道も、文久3(1863)年7月附で自らが奔走して起草した「神祇道建白書」にはじまっていた。久坂玄瑞に諭されて指導した花街で遊び惚けた志士たちも今はなく、山口では革命の烽火を上げる楠公祭を準備し、招魂祭の手始めとして錦小路頼徳を赤妻に祀り、禁門の変で自刃した福原越後を琴崎八幡宮に合祀して、奇兵隊士らと桜山招魂社で最初の大祭を行った。その帰結が明治天皇の東京招魂社への御親拝だったのである。(第7章 西洋式の招魂社 p164)


それから2ヶ月が過ぎた3月、明治天皇は東京招魂社で文明開化の洗礼を受けたかのように断髪する。つづいて1月に写真家の内田九一(上野彦馬の門下)が天皇にフランス式軍服を着せ、洋風椅子に座らせて、舟形帽子を横のテーブルに置いた洋風のポートレートを撮った。洋式神社の東京招魂社への参拝後に明治天皇はキリスト教文化に同化した強烈な匂いをまき散らすのだ。(第7章 西洋式の招魂社 p165)

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山県有朋―愚直な権力者の生涯 (文春新書)

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  • 作者: 伊藤 之雄
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2009/02
  • メディア: 新書



山県有朋 (ちくま文庫)

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  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/12/09
  • メディア: 文庫



山県有朋と明治国家 (NHKブックス No.1170)

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  • 作者: 井上 寿一
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2010/12/21
  • メディア: 単行本



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