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『メディアの展開』加藤秀俊著 中央公論新社


メディアの展開 - 情報社会学からみた「近代」

メディアの展開 - 情報社会学からみた「近代」

  • 作者: 加藤 秀俊
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2015/05/08
  • メディア: 単行本



江戸時代は、「近世」ではなく、「(初期)近代」:日本人も捨てたものではない

とても80歳を超えた方の著作とは思えません。膨大な資料から博引傍証するハツラツとした精神の躍動と、落語を好まれる方ならではのすこしも気取ったところのない叙述に引き込まれ、感心したり笑ったりしながら、5年の歳月をかけて記された書物を、そんなわけで、5日たらずで読みきってしまいました。

記されていることは、著者の「歴史認識、つまり『徳川四百年史観』とでもいうべきもの」を裏付けるモノといえようかと思います。「虚仮の一心」ともいうべき執念で「30代の青臭い大学助手時代から・・85歳の老書生になるまで、18世紀からこんにちまでをひとつの連続体としてとらえ、明治維新だの第二次世界大戦などはたいした時代区分ではないといいつづけて」きた著者が、これまで持論を展開するにあたって「江戸(徳川)時代」と“ひとくくり”にしてきたことを反省し、あらためて「およそ30の年号」におよぶ江戸時代に分け入るなか、「元号からいうと、どうやら享保から天明にかけてのおよそ1世紀、つまり18世紀にかなりおおきな社会変動と文化革命があったような気がするようになってき」「そのピークがたぶん宝暦(1750年代)のころ」と、「そのあたりに見当をつけて」知的な旅に出た、その旅の記録です。(はしがき-わが「徳川四百年史観」)。

読んでわかったのは、江戸時代は、われわれの現在の生活と連続しているということ。しかも、それだけでなく、江戸時代になされていた事どもは、アチラ西洋の「初期近代」を凌駕するもの(で)もあった・・・ということ。読んでいて、知的好奇心を満たされるのみならず、日本人も捨てたものではないぞ・・と、誇らしさをおぼえる本でもありました。

この書籍は、江戸時代に活躍した人々の人名事典として活用できそうです。また、それら個々人の連なり、つまり「人脈」を知る書籍ともなりそうです。それゆえにも、人名(および事項)索引のナイことが悔やまれてなりません。(それで星をひとつ減じました。)

どんな人びとが登場しているか列挙してみます。(いちぶ「事項」を含みます)

1章:地域文化へのまなざしー『諸国風俗問答状』再読//津村 淙庵・石川雅望・宿屋飯盛/大田南畝・蜀山人/朋誠堂 喜三二/人見蕉雨/平田篤胤/菅江真澄/那珂通博/明徳館/佐竹義和/平賀源内/屋代弘賢/曲亭馬琴/淀川盛品/「諸国風俗問答状」// 

2章:実証主義の時代ー日本科学史序説//牧野富太郎/小野蘭山/松岡恕庵/陶弘景/C・リンネ/ツェンベリー/稲生若水/貝原益軒/宮崎安貞/人見必大/武井周作/平賀源内/田村藍水/青木昆陽/大岡忠相/中井清太夫/徳川吉宗/植村政勝/「小石川植物園(小石川御薬園)」/「山林抖擻」/「華和異同」の原則//

3章:探検家の系譜ー北方領土をめぐって//本居宣長/吉村昭/大黒屋光太夫/桂川甫周/タタール・コサック・韃靼/工藤平助/杉田玄白/中川淳庵/林子平/田沼意次/只野真葛/最上徳内/北夷先生:本多利明/平秩(へずつ)東作/内山椿軒/古川古松軒/菅江真澄/渋田利右衛門/クルウゼンシュテルン/「露米会社」/間宮林蔵/近藤重蔵/伊能忠敬/プチャーチン/松浦武四郎//

4章:知識の整理学ー百科事典雑話//アン・ブレアー/リンネ/小野蘭山/ヴァンサン・ド・ボーヴェ(Vincent de Beauvais)/「大きな鏡」(Speculum Maius)/チェンバース(Ephraim Chambers)/「芸術と科学の普遍的辞書」/ジョン・ハリス/西周/「百学連環」/フランソワ・ル・ブルトン/ディドロ/「百科全書」/「物類品質」平賀源内編纂/「エンサイクロペディア・ブリタニカ」/「三才図会」/「和漢三才図会」/寺島良安/霊元天皇(仙洞院様)/大学頭藤原(林)信篤/和気伯雄(仲安)/伊藤良玄/岡田三郎右衛門/鳥飼市兵衛/渋川清右衛門/松村九兵衛/大野木市兵衛/大槻文彦/大槻玄沢/市川三喜/南方熊楠/柳田國男/三田村 鳶魚/三枝博音/江馬務/折口信夫/G・シュレッゲル/「節用集」/「和名類聚抄」/高井蘭山/山東京伝(岩瀬醒)「骨董集」/北尾重政/喜多武清/歌川豊広/喜多村信節「嬉遊笑覧」/江戸町年寄「御三家」奈良屋・樽屋・喜多村家/小山田与清/斎藤月岑/旦那の学問」/「町人の学問」/富永仲基/山片蟠桃/木村蒹葭堂/石田梅岩/「懐徳堂」/「日本百科事典」全十巻・齋藤精輔編纂/大隈重信//

5章:叢書と図書館ー『四庫全書』から『群書類従』まで//内藤湖南「文遡閣の四庫全書」/乾隆帝/「文淵閣」「文源閣」「文律閣」「文遡閣」/「清」「女真」/「文殊(マンジュシュリー)信仰」「マンシュウ」「満州」/ホンタイジ(太宗)/呉三桂/荻生徂徠/「韃靼漂流記」/「逆同化」/「明史館」/「博学鴻儒科」/「康煕字典」/「経」「史」「子」「集」/太宰春台「古文孝経氏伝」/「紅葉山文庫」/徳川家康/藤原惺窩/「孔子家語」/「駿府版」/「駿府文庫」/「書物奉行」/「御書物同心」/深見有隣/川口頼母/甘藷先生・青木昆陽/伊藤東涯/大岡越前/「吉宗のための読書コンサルタント」/近藤重蔵/高橋作左衛門景保/高橋至時/「シーボルト事件」/間宮林蔵の密告/「蓬左文庫」/屋代弘賢(輪池)・「不忍文庫」「18世紀後半日本の代表的文化人」/「古今要覧」/松平定信/塙保己一/「群書類従」/「レクラム文庫」/「エブリマンズ・ライブラリー」/「塙保己一資料館」/賀茂真淵/「検校」/「座頭金」/本居宣長/村田春海/大田南畝/「留守居役組合」「官官接待のような宴会」/朋誠堂喜三二/恋川春町/「和学講談所」/
「温故会」/「温故学会会館」/東大史料編纂所/国立公文書館//

6章:メディア・ビジネスのあけぼのー出版業と貸本屋//「竹苞書楼」/上田秋成/頼山陽/高芙蓉/富岡鉄斎/伴蒿蹊/「鳩居堂」/禅僧鉄眼道光/「一切経印房」「貝葉書院」/「法蔵館」/「文栄堂」/「京都の本屋七十二軒」/「十哲」/「経師屋」/「学術出版」/「商業出版」/井原西鶴/安楽庵策伝「醒酔笑」/朝山林庵「清水物語」/江島其磧/「八文字屋」/馬琴/山東京伝「御存知商売物」/「本についての本」「メタ・メディアの先駆」「メディアビジネスの成熟」/文化の併存「物の本」「草子」/琵琶法師/説教節/「遊行」/「文字文化」/「店」・職人集団・出版/「印刷革命」/グーテンベルク/隋・「彫版」/「古活字本」/本阿弥光悦/「嵯峨本」/「筆耕」職人/「版木」「版元」/「18c半ば、三都それぞれに本屋街」/「情報」所有するものではなく体験するモノ/「貸本」/「居つき」(店ウリ)「顧客回り」/庄屋など地方文化人が「ゆたかな蔵書」/日本の18c「書物の時代」「全国規模で本が浸透しはじめていた」/18c末「中流庶民生活にも浸透しはじめていた」/大規模な貸本屋・大野屋惣八「大惣」/店頭取引/馬琴の広告文/新設・京都帝国大学、廃業した「大惣本」を大量に購入/元貸本屋の吉川弘文館、青山堂書店も京大に寄贈/洋書や専門書をあつかう「新式貸本屋」/「せどり(瀬取り)」で資金稼ぎ広重、北斎、黙阿弥、為永春水/田山花袋/書物と遊里/花魁、教養求められ/インテリア/落語「品川心中」貸本屋の金蔵/貸本屋と湯治場/清水一嘉著「イギリスの貸本文化」/「エディンバラ貸本屋」1725(享保10)年開店/「文学と出版の東西並行進化説」//

7章:江戸の「社交力」-自由な「連中」//フランシス・シュー「比較文明社会論」/社会編成原理、日本は「家(元)」原理/しかし、ここ2世紀、「ゲゼルシャフト」的編成に気づく/「株仲間」(「株式会社」西洋のマネではない)/「冥加金」の上納(法人税)/18cに創業された「会社」7千社のうち3千は日本/文化面での集団編成の原理が大田南畝・蜀山人の狂歌の仲間に/内山賀邸(椿軒)・江戸の六歌仙/小島源之助(唐衣橘洲)/平秩東作/飛塵馬蹄/朱楽菅江/「浮世風呂」/「身分」「男女」「年齢・世代」障壁となることなく「仲間」として狂歌たのしむ/「夢水独言」勝小吉/元木網とその妻:知恵内侍/「ハンドル・ネーム」で「別人格」/「フロー」としての「よみ捨て」「きき捨て」/歌舞伎役者も/吉原の旦那衆も/蔦屋重三郎:蔦唐丸/「連」「連衆」「連中」/「自発的な結社」/「社会関係資本」「社交力」「人脈」/「顔のひろい」人、「顔役」/封建社会のなかの「解放区」/天明期:近代日本の黎明をつげる時代/評価の基準は「その歌」、「その人」ではない/「出自」ではなく「達成」による/社会的評価の「格付け」を後押ししたジャーナリズム/蔦屋重三郎/「吉原細見」;遊女の順位表(太夫、太夫格子、散茶、梅茶、五寸局、三寸局、並局)/幸田露伴「花街風俗志」に序文/吉原についてのニュースは江戸の、日本の「文化」の根幹/南畝と蔦重/天明年間、「メディア・ミックス」がおこなわれた時代/蔦重、情報プロデューサー/蔦重と本阿弥光悦/発行部数、現在の出版社と遜色ない/馬琴、蔦重で番頭経験、のちに執筆に専念/「細見」:人気、評判を容赦なく公表/「達成」原理=実力主義/文化のさまざまな領域で、歌舞伎役者、相撲力士/「有名病」「格付け」「点取り」/「点取俳諧」/川柳/「柳多留」/大衆的規模での文芸革命/中野三敏著「江戸名物評判記案内」/現代、ランキング流行、市場経済は「格付け」で機能/書評集の嚆矢「千石篩」/批評精神・野次馬根性、あれこれの「評判」は、つねに都市の活力の源泉/美人の評判/「評判娘名寄草」/「笠森おせん」/おせんと春信を記念する谷中・大円寺の碑文を永井荷風記す//

8章:文化としての公共事業ー「旅行の時代」をかんがえる//豊橋:吉田宿/菅江真澄/渡辺崋山/「浄瑠璃姫伝説」/三河地方の交通の要衝/池田輝政/松平家清/参勤交代/「戦争の良識的等価物(ウィリアム・ジェームズ)」/武装解除された武士集団によるパレード/日本の18cは「停滞社会」ではなかった・・/日本社会ぜんたいをみると確実に経済社会は進化成長していた/経済成長の中核に「公共事業」/江戸城の建設/大規模土木事業「宝暦の治水」/道路計画/一里塚/インフラ事業があって参勤交代も可能に/「道中奉行」/「農協ツアー」の伝統は江戸時代に/旅行大衆に浸透/八隅蘆庵「旅行用心集」/伊勢神宮参詣/「往来手形」(菩提寺、庄屋が発行)/旅行案内業「御師・先達」/「伊勢講」「富士講」「白山講」/落語「大山詣り」/「伊勢兄弟」/同族の祭祀集団としてはじまった「講」、ゲマインシャフトではなくゲゼルシャフトになっていた/人口移動、見知らぬ人間どうしが生活集団をつくり、「利益集団」化が進行/日本社会は、18世紀ころから、血縁・地縁をはなれた「結社縁」による「近代社会」をつくりはじめていた//

9章:学問の流行ーひろがる文字社会//落語「小言幸兵衛」/麻布の古川/麻布十番のあたり/服部南郭/「文化人村」/「服部長屋」/太宰春台と対照的に政治から距離/有名人であった/中途半端な物知りのご隠居、アヤシゲな知識を振り回す「亜インテリ」がもてはやされる/リチャード・ホーフスタッター「アメリカの反知性主義」/日本にはなかった「反知性主義」/文治主義、文字崇拝主義による・・/「文字」大陸渡来の無形文化財/統治技法を外来人に委任/いわゆる帰化人「お雇い外国人」の先駆/権力者・支配者にとって「文」は基本的能力/「文武両道」をスローガンとして標榜、松平定信/より重んじられたのは「文」/「政治主導」による「学問の流行」/「権現様」は「文字」文化の擁護者/歴代将軍によって伝統継続/林羅山、家康のブレイン/方広寺鐘銘問題でイイガカリの張本人/家光の侍講/朱子学は「家学」に/三代目林鳳岡、綱吉の信任あつく、私塾は昌平坂に移り「湯島聖堂」/「官学」のはじまり/東京大学/綱吉マニアックな学問好き/学んだことを「実践」/元禄時代、「文治主義」のあけぼの、「戦国の旧俗」は否定される/林家の塾で学んだ「学者大名」、藩主の2割/「藩儒」の任命、「学者」という職業の誕生/湯島聖堂、「学者派遣業」、享保期まで、「藩儒」の半数以上、林家卒業生/「東大」に近似/林家塾、一般庶民にも門戸解放、新井文山、桃白鹿、「藩儒」に/「徳川時代の「身分制」神話のまちがいを示すもの/知的失業者も現れる、儒者の供給過剰、典型・寺門静軒/「藩校」の設置、初期の代表、岡山藩池田光政、寛文9(1669)年設立「岡山学校」/それ以前、「花畠教場」のメンバーに、光政の小姓熊沢蕃山/中江藤樹門下で陽明学、のち(1645年)岡山に戻り「藩儒」/藩立で「手習所」という学校、藩領内120以上、一般庶民の教育に/光政、日本の「公立学校」創始者というべき/現存「閑谷学校」開校元禄14(1701)年/藩校各藩に普及、熊本「時習館」、細川重賢、延享4(1747)年藩主、藩の再建「宝暦の治」教育を重視/藩儒・秋山定政/向学心あれば武士階級でなくとも入校可、他藩からも留学生受け入れ/薩摩「造士館」、佐賀「講道館」/秋田藩「明徳館」(寛政元1789年設立)、藩儒・那珂通博/分校に「郷校」、明治以降「院内小学校」となる/貝原益軒「和俗童子訓」、普通教育の必要性を/秋田、「赤津寺子屋」/18c末~19c初め、全国に寺子屋、75千/教科書・「往来物」「庭訓往来」/算術書・吉田光由「塵劫記」/渓世尊(百年)「経典余師」、二宮金次郎像が手にする書籍の可能性高い/初版は天明6(1786)年、金次郎は文化9年26歳のとき、金二朱で購入した記録/学者ら批判、幕府の耳にはいり、「聖人の書にまめ仮名を付して刊行するは、聖賢を軽んずる」と受難/しかし、読みつがれ、明治42(1909)年版の「論語経典余師」附言にあるように「無名の儒者の功績は『他の儒者先生に勝」っていた/「ひとり読の間から師を得るが如」き「教養書」の普及から、「独学者」が多数出現/「氷川清話」で紹介、渋田利右衛門の如き/諭吉の「学問のすすめ」以前から、社会の文明化は始まっていた//

10章:隠者の手すさびー「随筆」にあそぶ//「水戸黄門」「水戸のご隠居」/「立川文庫」/『講談全集』/「国史教科書」/水戸光圀/明の亡命学者:朱舜水/楠木正成顕彰碑/『大日本史』/忠君愛国のモデル/寛永5(1626)年生まれ/「史記」を読んで人柄かわる/小野言員(ときかず)の諫言/学問志す/明暦3(1657江戸駒込に「彰考館」/公卿社会と接触多く/人見卜幽/辻端亭/妻・前関白近衛信尋の娘:泰姫/「皇国史観」不思議でない/61歳で隠居後、もっぱら文化事業に/「大日本史」編纂/完成、明治39(1906)年/西山荘/側近・安藤為章『年山紀聞』/「西山随筆」/「常山文集」/「士」中の文章、新渡戸「武士道」に引用/家光の孫「天下の副将軍」「文治主義」をかかげる/柳沢吉保/「六義園」/隠居して保山/側室に権大納言正親町実豊の娘/「松陰日記」/大名諸家、文化財保護育成・教育機関整備して「地域文化」の中核/知名度の高くない藩においても/延岡「内藤記念館」内藤正樹(沽城)能面コレクション/隠居後、趣味に耽溺/秋田藩・佐竹曙山の書/二本松藩・丹羽高寛の絵画/「隠居文化」の全盛、18c中ごろ/「柳営日次記」/「老衰御褒美」/「御番御免願い」/大名のばあい/「殿席」格付け/「大廊下席」「溜詰」「大広間席」「帝鑑間席」「柳間席」「雁間詰」「菊間詰」/18cの大名隠居の代表:松平定信/父は吉宗の次男、御三卿・田安家初代:田安宗武/「溜詰」「部屋住み料」10万石の勉強三昧、賀茂真淵、荷田在麿を師とし、著作「国歌八論余言」/大文化人を父とした定信、幼児期から才気煥発、13歳で最初の著作「自教鑑」、父から褒美に「史記」/「源氏」を愛読、7回筆写/和漢の書、年に400巻読む/安永4(1775)年、奥州白河・松平家に養子/天明3(1783)年、26歳で藩主/名君、天明の飢饉のとき、領民安堵/幕閣を糾合、クーデターのような策謀を成功させ、天明7(1787)年老中首座/「田沼時代」を転覆させ「緊縮財政」へ、「寛政の改革」/景気後退の責任者、寛政5(1793)年、職を追われる/多忙な政治生活のなか、200をこえる著作が/「論説」でも「詩歌」でも「日記」でも「旅行記」でもない、筆のまにまに書いた(いわゆる)「随筆」/著者中学時代の教科書冒頭に「東西遊記」橘南谿著、つづいて「常山紀談」/湯浅常山著、戦国時代以降の武将の故事逸話集/さらに「雲萍雑志」柳沢淇園著/20世紀初めの中学生、18世紀の文章にしたしんでいた/正岡子規「筆まかせ」/「随筆」という言葉初出、室町時代公卿学者一条兼良「東斎随筆」(内容から、今日とはチガウもの)/南宋・洪邁「容斎随筆」(百科事典的内容)/実質からいくなら「枕草子」/伴蒿蹊が「随筆」と/「方丈記」「徒然草」/18cなかば「書き手」、突如として発生/学者でも儒者でもない新しい執筆者群の書いたもの「随筆」/「隠居大名」による「隠居文学」/平戸藩主松浦静山「甲子夜話」(東洋文庫版で6冊)/林述斎にもちあげられ/本所の下屋敷に隠居/芸者を呼んで自作の舞を上演/町人らとも交わり/疑似的ストイシズムに捉われなかった/「メモ魔」の元祖のような/列挙主義/「かんかんのう」(落語『らくだ』)についての記載も/尾張藩士・横井也有/53歳で隠居/藩主宗春、吉宗の政策を無視、自由主義、文芸大好き、元文4(1739)年、隠居謹慎失脚、晩年幽閉生活/宗春失脚15年後、宝暦4(1754)年、隠居生活に/前津に隠居所「半掃庵」/和漢の教養、軽妙な文章/大田南畝、47歳年長の也有の文章に目を留め、蔦重に渡し、「鶉衣」に/この時代の「隠者」というにふさわしい/「現役」を離れ自由な立場で、世相を観、自己を内省し同時代の記録/三田村鳶魚「未刊随筆百種」全12巻/「燕石十種」など、おびただしい「随筆」残されて/18世紀以降の文章、活字であれば不自由なく読める/「随筆」という自由な文体で懇切丁寧な記録(都市、農山漁村、宮廷から遊郭の風俗)の蓄積、類例ない文化/「大隠は市に隠る」//

11章:タウン・ガイドを読むー都市生態学の系譜//菱川師宣、安房国からのお上りさん/「明暦の大火」から20年、延宝5(1677)年、「江戸雀」全12巻刊行/再建後の江戸に各地から流入してきた「新市民」の必要とした江戸のガイドブック/寛政9(1797)~天保7(1836)かけて完成した「江戸名所図会」神田の名主斎藤家の企画した江戸事典/文政期には村尾 嘉陵「嘉陵紀行」(「江戸近郊道しるべ」東洋文庫)/清水家家臣、ご隠居の気ままな私的散歩メモ/散歩趣味はかなり普及していたもよう/文政8(1825)年「東都近郊図」/江戸という都市と農村の境界を「郊外」としてとらえる地理的概念、19世紀はじめに/「嘉陵紀行」、「都市民俗学」の御先祖/「江戸っ子」初出、寛政9(1797)洒落本『廓通遊子』/移住者2、3世、江戸に育った生粋の都市民/江戸を「ふるさと」とする人間の書く江戸案内も生まれて/体験的に見た江戸の風俗(てぶり)を示す『都のてぶり』石川雅望著/雅望は、流行(浮世)絵師石川豊信五男/師匠:津村 淙庵/狂歌師匠:唐衣橘洲、大田南畝(四方赤良)の弟子、筆名「宿屋飯盛」/ドキュメンタリタッチの戯作文学(『都のてぶり』)に刺激を受けて、寺門静軒『江戸繁昌記』誕生/刊行天保3(1832)年、漢語の戯文による江戸観察記録/水戸藩士寺門弥八郎(勝春)次男/寛政8(1796年)生まれ、江戸育ち/学問好き、儒学、上野寛永寺勧学寮で仏典も/25歳駒込諏訪山吉祥寺門前に私塾/学僧、学識きわめて高く、力だめしに/しかし、経済的理由で失敗、谷中三浦坂に移転/「町儒者」当時500ほど/「知的失業者」というより「無職者」、ほとんど唯一の希望は「藩儒」になること/秀才ポスドクが大学正規雇用を狙って奔走するに似/ 時代の変化、朱子学でなく、蘭学、国学も/時代は新しい人材を/小浜大海、朱子学を忌むと公言、請われて鳥羽藩藩儒に/寺門静軒、水戸藩に就職活動/(水戸藩、学者を民間から登用/藤田幽谷、古着屋/会沢正志斎、下級武士)/水戸家に問題、8代徳川斉脩、家斉の娘を正室にむかえ、財政逼迫、文政12(1829)逝去/御家騒動、弟が9代斉昭「水戸烈公」/東湖、正志斎、武田耕雲斎を側近に/就職活動の時期が悪かった/鬱鬱たるなか『江戸繁昌記』執筆を思い立つ/落語「三軒長屋」で、剣術師匠が見得を切るオカシサ/どうでもいい小さなことも荘厳な漢文で/全5篇60項目、示されてある心境は「疎外感・脱落感・自己嫌悪」「無用の人」/『江戸繁昌記』天保年間のベストセラーに/発行元、静軒の私塾「克己塾」から丁字屋平兵衛「雁金屋」(馬琴「八犬伝」の発売元)に/文名ひろく知られるように/ルサンチマンを心中にかかえる不遇の学者をはじめ、読者全国に/戦後の「無頼派」を想起、特に安吾/「戯作者文学論」、権威に挑戦ズタズタに/社会と時代のもどかしさに応えてくれる魅力が/静軒は「無頼派」の元祖のような/韜晦に託した揶揄は権力への痛烈な批判/天保13(1842)年夏、逮捕/林大学頭:述斎、起訴状を奉行所へ/風俗取り締まりに当たっていたのは述斎の三男・江戸町奉行、「天保の改革」の指揮者鳥居耀蔵/「天保の改革」=時代錯誤の復古主義、ひたすら資本主義的芽生えを弾圧して倹約令を施行/芝居ダメ、寄席閉鎖/為永春水、手鎖の刑/柳亭種彦「田舎源氏」絶版/大衆の前から姿消す/軟硬とりまぜて発刊停止/やがて「蛮社」弾圧へ・崋山、長英受難/「江戸繁昌記」露骨な性描写、宮武外骨「筆禍史」で、好意的に記しながらも辟易/「武家奉公構」:永久浪人、武士の身分剥奪/「江戸構」:江戸追放処分、滞在は可、以後旅の生活、漢学者のネットワークに身を寄せる/65歳、武州妻沼の友人・堀越寛助、向学心ある人々に招かれ/「両宜塾」、「孟子」、「左伝」等教える/熊谷南部冑山に「終焉堂」、慶応4年3月、73歳逝去/明治に入っても余韻、旧体制の発禁本への関心高く/撫松(服部誠一)「東京(トウケイ)新繁昌記」、諭吉の著書に迫る売行き/撫松、二本松藩、藩儒の家に、天保12(1841)年生まれ/維新後、廃藩、失業/西洋化の波、旧士族の共感を得/洋学と文明開化を笑う/新知識の「みせびらかし」を揶揄/文名を上げ、大金を手にし、出版印刷の「九春社」設立、『東京新誌』発刊/『團團珍聞』とならんで評判/しかし、讒謗律等で弾圧され、新聞条例にふれて永久発刊停止/その後、不遇、宮城県仙台の中学で作文教師/中学校長・大槻文彦、生徒に吉野作造/撫松の塾生に、田中館愛橘、尾崎行雄/慕われる/明治41(1908)年、68歳で逝去/「最新東京繁昌記」伊藤銀月/明治4(1871)年、秋田生まれ/秋田中学を出て17歳で上京、『萬朝報』記者、小説評論、ユートピア的社会主義者/明治34(1901)年、『詩的東京』に幸徳秋水が序文、賛辞/明治36(1903)年『最新東京繁昌記』そこに住む人々の心理的地図をえがく/「江戸っ子」「東京っ子」「混血児の都府」「無用の人の集合体」全員が疎外された存在/明治30年代、日清戦争終結、新時代に突入/明治31、横山源之助『日本の下層社会』、明治35-6年、内田魯庵『社会百面相』/銀月・横山・内田(幸徳秋水ら初期社会主義者を通じて)面識あった可能性高い/敏感なジャーナリスト、同時代人で言論の中枢、硯友社同人に対抗する「社会派」の流れのなかにいたから/静軒、撫松ら失意のルサンチマンとちがい、銀月の『繁昌記』には、社会的「運動」への予兆を感じさせる姿勢が感じとられる/おびただしい「繁昌記」あるが、静軒の衝撃格別/「近代」がもたらしたあたらしい冷酷な都市社会へのタウン・ガイドの傑作/シカゴ学派の都市生態学に先立つこと1世紀、痛快な都市観察の系譜//

12章:「自由の季節」-「近代」文化史考//「維新」で新旧完全に入れ替わった?/明治22(1889)年、帝国大学国史科、初代教授重野安繹、久米邦武の影響関係/「封建暗黒史観」に疑問、「江戸時代」と現代の連続性を明確に論じた学者滝川政次郎/「暴力をもって徳川幕府を倒し、政権の座に座った明治の功臣」/薩長の学問としての「国史」/その伝統、マルクス主義史学に引き継がれる/明治維新を境界線に、「近代」とそれに先行する「近世」を分離する論法、日本思想史を支配してきた「歴史認識」の中核的課題/「伝統」とまったく反対の立場を同時代にとなえたのは梅棹忠夫/1960年の論考「福山誠之館」で「明治政府は、近代日本の建設を伝統からの断絶のうえに遂行しようとした」/しかし、梅棹の独創ではない/帝大国史科にはじまる「明治維新決定論」とは異なる史学の流れすでに/鼎軒田口卯吉、安政2(1855)年、徳川家の徒士の家に生まれ、12歳で江戸城に見習いとして出仕、徳川が静岡に封じられるとしたがい、沼津兵学校/横浜移住し、骨董屋等の小僧等、宣教師から英語を学ぶ/医学修行、大学予備門に一時籍、英語能力を買われ大蔵省翻訳局、文筆業と二足わらじで『日本開化小史』23歳から5年かけて書きあげる/在野の歴史学の古典となる/
2015年7月28日レビュー


独学のすすめ (ちくま文庫)

独学のすすめ (ちくま文庫)

  • 作者: 加藤 秀俊
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/11/10
  • メディア: 文庫



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