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『大菩薩峠』の魅力(谷崎潤一郎著作から引用)


ザ・大菩薩峠―『大菩薩峠』全編全一冊

ザ・大菩薩峠―『大菩薩峠』全編全一冊

  • 作者: 中里 介山
  • 出版社/メーカー: 第三書館
  • 発売日: 2004/08
  • メディア: 大型本



『大菩薩峠』の魅力について大谷崎が記している。

以下の引用部を読んで思い出すのは「ホビットの冒険」である。

ホビットの作者は、教え子の答案が白紙であったので、そこにホビットの冒頭の一文を書いたことがきっかけで、英文学史に残る作品を現出することになった。実際読んでいくと、最初は、こども向けのたわいのないオトギ話のような雰囲気なのであるが、徐々に、凄みが増して、しまいに、口に指をくわえ、成り行きを見守らざるをえなくなっていく。どうも、大菩薩峠も、そんな風にしてはじまり、物語が展開していったのではないかと想像される。

以下、ご覧になると、わかると思うが、世界文学上、登場人物が、実在の人物のようにみなされる場合がいくつかある。たとえば、「罪と罰」のラスコリーニコフ、やモンゴメリーの「赤毛のアン」などである。

先日、NHKラジオアーカイブスで、「吉川英治」が特集された際、司馬遼太郎の談話が引き合いに出され、ソノヨウナ人物の典型として日本人が残しえたのは、吉川英治の宮本武蔵と谷崎潤一郎の「痴人の愛」におけるナオミである、と司馬から聞いたと解説者が語っていた。

どうも、「大菩薩峠」における机龍之介も、一読者である谷崎にとってソノヨウナひとりとなっていたように思われる。

以下、(谷崎潤一郎全集〈第20巻〉1974年刊)
『直木君の歴史小説について』からの引用p501-4
(旧字旧かなを読みやすく直し、段落を適当に分けている)
***********

正直のところ、私はやはり大菩薩峠の方を上に置きたい。

その第一の理由は、大菩薩峠を読んだのはもうかれこれ7,8年も前だけれども、いまだに印象が残っていて、何かの折にしみじみ思い出すふしぶしがある。たとえば清姫の帯のくだり、伊勢の古市の宿屋で何とかいう女が自殺するくだり、龍之介はいうまでもなく、米友のこと、弁信のこと、お銀様のこと、お杉お玉のこと、七兵衛のこと、駒井能登守のことなど、読んだときにはそうまでにも感じなかったそれらの事件や人物の幻影が、今もときどき脳裡によみがえって来るのを見て、私はだんだんあの作品を高く評価するようになりつつある。

器用という点では、直木氏の方が器用であり、文章も達者であるが、しかしこういう力は器用や達者からは生まれてこない。南国太平記を読んだ時は面白く、直木氏一流の気迫、殊に、出世作というようなものには必ずその作家の旺盛な創作熱が溢れているもので、読者を征服せざればやまぬものがあるのが感ぜられるが、読後、ひとたびその熱がさめてしまうと、思いのほか頭に残るものが少ない。全然残らぬというのではないが、龍之介や米友が長く人々の記憶の中に生きて親しみを持たれるというような訳には行きにくい。

この違いはどこからくるかというのに、独創性という点で介山氏の方が優れているからではないか。机龍之介というような性格の創造、これは単なる思いつきや根のない空想では作れない。あの残酷で陰鬱な人柄に妙に実感がにじみ出ているのは、何かあれは、作者その人の性格と一脈相通ずるところがあるからではないか。介山氏に人を殺したり盲目になったりした経験はないであろうが、恐らく作者は空想のなかで幾度か龍之介のごとき境地を夢み、あのような生涯を生きたのであろう。そうしてああいう人物を作り出したのは、そうしなければいられない必至なものが作者を導いたのであろう。

大菩薩峠は書いているうちにだんだん手に入ってきたようで、最初の方は随分たどたどしい筆つきであるが、しかしじっくりと落ち着いて書いていて、無器用な中にそういう感じの出ているところが不思議である。

なおまたこの作者は、場面を江戸や、上方や、紀伊や、伊勢や、甲斐や、信濃や、武蔵や、方々へ移しているが、その時の都合で勝手な所へ持って行ったのではなく、それらも何か必然に作者の心を引き寄せる因縁があったかの如く、ほんとうにそれらの土地に愛着を抱き、忘がたいなつかしみを持って書いているのが感ぜられる。

想像するに、この人は旅行癖があって諸国の地誌や風俗人情に興味をもち、かっては机龍之介の如く放浪した時代があるのであろう。取り分け作者は「大菩薩峠」という標題が示すように、武州、甲州、信州あたりの高原や山脈の風物を好むらしく、実にたびたび、くどい程あの辺が使われているのである。私は、雪ちゃんとかお松とかいった娘が朝早く馬の背に乗って青梅街道を江戸へ出るところ、遠く秩父の連山を望むあたりの描写を今も忘れない。

別段叙景が神に入っているというのではないが、作者自身があの街道を何回も往復したことがあって、あの武蔵野の一角の情趣を愛惜する心持ちが現れているからであろう。伊勢の合の山にしても、龍神、白骨の温泉にしても、皆そうである。念を入れて叙景の筆を費やしている訳ではないが、何かしらその土地の匂い、土の色、空気の色といったものが出ている。

この作者がしばしば口にするカルマとか流転の相とかいうのはどういうことがよく分からないが、あれを読むと私なども龍之介や七兵衛あ米友の跡を追って果てしもない漂白の旅に上ってみたいような気になる。そして伊勢などへ旅行すると、なによりもあの小説中の人々の身の上が想い出されて、旅情を豊かにするのである。

ところで(直木の)南国太平記には、こういう風に作者を必至に駆り立てているものがない。書かずにいられないで書いた、という様子が見えない。直木君のいうように大菩薩峠はあまりにだらだら長くなり過ぎて収拾がつかないようになっているらしく、構造にも文章にもムラがあり、首尾照応せぬうらみがあるけれども、この重要な点において南国太平記を抜いている。


大菩薩峠(全巻)

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  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/12/30
  • メディア: Kindle版



新版 ホビット 上: ゆきてかえりし物語 第四版・注釈版

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  • メディア: 文庫



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