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抜粋 岡潔の最終講義 (『 数学する人生 岡潔 』 森田真生編 から)


数学する人生

数学する人生

  • 作者: 岡 潔
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/02/18
  • メディア: 単行本



以下は、上記書籍中の岡潔の最終講義からの抜粋。

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自分の肉体も他の肉体も、よく似ていますね。だから、主宰性も似たり寄ったりのはずです。もし宇宙の主宰性がバラバラならば、我々が見るような、こんな調和のとれた自然などというものはありえないでしょう。一個の花を主宰するにしても、その操作は非常に複雑です。とても話し合いで調和をとるなどという、そういう種類の方法は成り立たないに決まっています。すると、宇宙の主宰性は一つでなければならないということになります。p30

人というのは、大宇宙という一本の木の、一枚の葉のようなものです。だいたいそう見当をつければよいでしょう。逆に、宇宙という一本の木の一枚の葉であるということをやめたなら、ただちに葉は枯れてしまいます。p31

幸福とか生き甲斐とかいうものは、生きている木から枝を伝わって葉に来る樹液のうちに含まれている。その木から来るものを断ち切って、葉だけで個人主義的にいろいろやっていこうとしても、できやしないのです。自我を主人公として生きていると、生命の根源から命の水が湧き出ることがなくなってしまう。p33

・・・共通の時の上に、一人一人の時が流れている。こういう意味です。大宇宙の主宰性という共通の中心の上に、一人一人みな違う中心がある。それが個人です。

うまくいえませんが、ともかく、大宇宙という全体の上の個体が人というものですね。全の個でなかったら、個というものはあり得ません。p34

大宇宙は一つの心なのです。情だといってもよろしい。その情の二つの元素は、懐かしさと喜びです。p35

情は常に働いていて、知とか意とかはときに現れる現象だから、情あっての知や意です。「わかる」というのも、普通は「知的にわかる」という意味ですが、その基礎には、「情的にわかる」ということがあるのです。

わたしは数学の研究を長くやっていました。研究中は、あるわからない「x」というものを、どこかにないかと捜し求めます。捜し求めるというより、そこにひたすら関心を集め続ける。そうすると、xの内容がだんだん明らかになってくる。ある研究の場合は、これに七年くらいかかりました。p37

xがどういうものかわかってやるのではありません。わかっていたらなにも捜し求めることはない。わからないから捜し求める。関心を集め続けるのです。

わからないものに関心を集めているときには既に、情的にはわかっているのです。発見というのは、その情的にわかっているものが知的にわかるということです。

数学に限らず、情的にわかっているものを、知的にいい表そうとすることで、文化はできていく。p38

情の働きがなければ、知的にわかるということはあり得ません。知や意は、情という水に立ついわば波のようなもの。現象なのです。

人生は現象界にあるのですが、現象界があるためには、非現象界がある。情の世界という非現象界の基礎があるからこそ、自然界、現象界というものが成り立つのです。p39


ものには生の一面と、死の一面があります。いつかは必ず死ぬというのが死。他方、生まれたり滅したりしない、不生不死というのが生です。この「生」を知りたければ、右の内耳に関心を集めることです。

その反対が「見る」ということです。見ると必ず意識を濁しますが、そのわかり方でわかるのは死だけです。

とにかく、余計なことをする前に、右の内耳に関心を集めて、聞こゆるを聞き、見ゆるを聞くこと。これをやりなさい。精神集中が、やがて努力感のない精神統一になりますから。「関心を集める」とはそういうことです。はじめは非常に重量的な精神集中をやる。そうすると、やがて深い精神統一へ入る。

だんだん上手になっていきますから、右の内耳に関心を集めて、自然の調べを聞いてみたらよろしい。蛙の鳴き声でも調べはあります。自動車の爆音には一向にありませんが、風のそよぎ、小川のせせらぎ、みなこうして聞いたらよい。そのうちに関心が集まってきます。目を閉じたり、開いたり。見るということをしないように。見るというのをやったら意識を濁しますし、ただちに死へと逆戻りです。

右の内耳に関心を集めると、情緒がわかるのです。やってごらんなさい。ぼくはそれを自分でやってみて、それでいっているのですから。七十一年かけてね。p46

内耳ですよ。内耳へ集めて、調べを聞く。そうすると、来る日も来る日も、生き甲斐が感じられるどころではない。日々新たにして、趣の違った生き甲斐が感じられるでしょう。p47

ともかく、何がなんだかまったくわからないというのが、人間の知の現状です。さっぱりよくわからない。しかし、こういうことだけはいえます。世界の常識は間違っている。

詳しくいえば、宇宙像および人間像が、まったく間違っているのです。ここを間違えたら、正しい評価ひとつできませんから、芸術にしても何にしても、価値判断を誤るに決まっている。

いまの常識は狂っています。その常識通りに世界が動いているのだから、人類の現状はまるで間違えた軌道を走る列車のようなものです。このままでは大変なことになる。これを正しい軌道へ乗せなければなりません。

仮に戦争で自滅しなくても、地球というところに住めなくなるのに、もうわずかの時間しかないでしょう。こんなひどい公害が出てきたのは第二次世界大戦後ですよ。二十数年でここまできた。・・

欧米の学問、思想は、物質が元で心が末。この流れを、逆向きに変えないことにはしようがない。それには正しい仕方で科学していかないといけません。p48

後略

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3:「市民」のあるべき姿とは(梅棹忠雄の場合)
http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2011-06-17


数学する身体

数学する身体

  • 作者: 森田 真生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/10/19
  • メディア: 単行本



現代の肖像 森田真生 eAERA

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  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/05/21
  • メディア: Kindle版



春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)

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  • 作者: 岡 潔
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2006/10/12
  • メディア: 文庫



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