SSブログ

「プロの数学者」になるには・・(時枝正ケンブリッジ大Trinity Hall 数学主任) [数学]


数学まなびはじめ 第3集

数学まなびはじめ 第3集

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2015/07/23
  • メディア: 単行本



上記イメージ書籍の13人中、特異中特異な経歴の持ち主は、時枝正先生かもしれない。「プロの数学者」を志した経緯がそもそもフツウでない。「ひょんな」キッカケで数学の道を歩みだすのだが、フツウそんなことで、「プロの数学者」になぞなれるものではない。しかし、「プロの数学者」になってしまった。だから、時枝先生は、フツウでない。フツウでないから、フツウの人間には、フツウでない先生の経験は参考にならないかもしれない。それでも、参考になりそうなところを以下に抜き書きしてみる。「プロの数学者」の説く、プロになる秘訣?をまとめておく。

(以下、上記書籍『数学まなびはじめ 第3集』から引用)

******

遠山啓の算数教材をやらされるのがいやで、おそれおおくも「とおやまのばか」と表紙に落書きし、「遠山先生はばかじゃない」と叱られた。・・・
p190

**********

(小学校)高学年、ひどい先生にあたった。幾週間も授業放棄し、その間あらぬことか、授業を生徒の私にやらせる。極めつきは同級生の宿題、試験の採点まで私に下請けに出した。あわれ、子供は異常環境にも順応してしまう。学級の誰も親に異常を訴えず、したがって親の誰も教育委員会にねじこまなかった。p191

******

15歳早々フランスへ単身渡り、ボルドーのリセGrand Lebrunに就学した。よくまあ親が手放した、と感心する。画家の卵は渡仏し修行するのが紋切だが、私のばあいあべこべに、渡仏がきりで絵はお休みになった。言語という新世界に開眼したからである。憑かれたかの如く様々な言語を身につけてゆくのを目の当たりにしたリセの先生が「この子の頭の構造はどうなっているのだろう」と訝ったそうな。若くしてボルドーで暮らしたおかげで、フランス語は訛なし、母国語同格になった。私にとってボルドーは第2のふるさとである。//帰朝後、上智大学でギリシャ人J.Roussosに師事、古典語(ギリシャ、ラテン、ヘブライ)を専攻した。当時日本には18歳未満大学に入れるべからず、というきまりがあり、目をつぶってくれたのは上智だけだったのである。p192

******

卒論のめどがついた時分、ひょんなめぐりあわせからランダウ Л. Д. Ланда́у の伝記を繙いた。ランダウは53歳のとき自動車事故に遭い、ふた月も死境をさまよったが、やっと意識を回復した朝、息子がたまたまアカデミー病院に見舞いに来ていた。月並な偉人伝ならお涙頂戴場面。しかしこの伝記によればなんと、目覚めたランダウ先生、息子を相手に早速 「dx/sinxの積分はどうやって求める?」と口頭試問を始めた。そしてつまった息子に対し「どうしたんだ。こんなのがむずかしいのか」と笑ったという。(マイヤ・ベサラブ『ランダウの生涯』東京書籍をあらためたら、記憶と原文と微妙にくいちがっている。ここでは記憶のままにしておく。)

この一笑が私にはこたえた。文系では優等生で通してきたのに、「dx/sinxの積分」の題意からしてちんぷんかんぷんではないか。憤慨した私は、そこで、積分とやらの水準まで数学を独習しよう、と決心した。独習するにはどうしたらよいか?同伝記中、物理を志した若者にランダウが「数学を身につけるには、教科書ではなく、問題集ーどんなものでもよいが、ただし問題がたくさんのっているものーが主要な役割を演じます」と諭すくだりがあった。相談のつてとて他になし、ランダウの諭告を真に受け、なるべく大きな問題集を探して掘り出したのが・・・(ここに、ロシア語の著者名、問題集の表題が示されてあるのだが、引用不可。総問3084あるという。関心ある方は、本文にあたり確認されたし)。言語が商売のてまえ、ロシア語だっておどろかない。一冬投資、ロシア語を学びながら дпк に取り組んだ。毎日7、8時間がんばった。なぜあんなに熱中しえたか不思議である。約1/3進んだ一節で  ∫ dx/sinx=1ntg x/2 が求まるようになったが、勢いにのって進み(ロシア語と数学同時に進歩するので2乗に加速する)、余寒すぎにはいつしか問題数十を余すのみとなり、ロシア語もすらすら読めるようになっていた。

この期に及び私はふたつの事実に勘づいた。

ⅰ)自分はこの手の問題がけっこうできる。
ⅱ)しかしどうも数学にはこの手の問題があるらしい・・・

次の秋、私は数学の学部課程を正規に修むべく、British Councilの奨学金を懐に、オックスフォードに学士入学した。
p194
*******

(「読んだ本のうち、ためになった数冊」を紹介する部分で、時枝先生は4冊を紹介しているが、特に『曲線と曲面の微分幾何』小林昭七著・裳書房1977について「こんなに楽しい数学があるのか、と計算や証明を絵に直しながら読んだ。渡仏以来お休みになっていた絵が、数学を通して私の生活に戻ってきたのである」と記している。そして、さらに・・・)

ε-δは苦にならなかった。厳密な言語訓練を積んできた賜物、量子化の順を替えると意味が変わる、云々(例えばトゥキュディデスの複文をほぐす作業に比べれば)おちゃのこさいさいだったのだ。数学教育の難しさのかなりの部分は、学習者の言語的未熟が元凶ではなかろうか。もっとも教科書にも悪文が多い。苦になったのはむしろ組合せ論的技巧。10代の訓練が不十分だったせいであろう。
p196

******

往時のオックスフォードは (「個人指導を軸とした教育法」)turorial主義で、講義らしい講義とてなかった。前の上智では散発的聴講がせいぜい、後のプリンストンでも大学院の講義は皆無であった。いったい数学の講義はされる側よりする側が勉強になるもので、講義にかよって単位を取る、という体験がぬけたまま自分が講義する側になりおおせた私は、得をした、ともいえる。小学校の代理教員以来、される側に随分迷惑をかけたろう。今でもあちこちでさせてもらうたびに勉強になる。
p198

******

ここ数年、ケープタウン郊外の貧困地区で、HIV陽性の赤ちゃんの保育園運営に関わっている。(昨年日本の外務省すじより数百万円の寄付にあずかり、すっかり助かった。ちなみに戦闘機は平均単価百億円。)今年の正月、園児のお姉さんの算数の宿題をみてあげた。近所の浜辺の砂をビンに入れたり出したり、パズルを解きながら進む。(中略)

ふと気付いたら、自分の教え方はなんと、水が砂に代わっただけで、30年昔「とおやまのばか」に習った水道方式そのものではないか。幸いこの子には性があったらしく、あどけなく面白がり、宿題もひととおりでき、ごほうびのマンゴジュースを啜って満足の態であった。「おおきくなったらね。おいしゃさんになる」のだそうだ。南半球の真夏の太陽がぎらぎら照っていた。

こんな「数学まなびはじめ」もある。
p203

『日本評論社』の著者紹介ページ
http://www.nippyo.co.jp/writer/3393.html

Tadashi Tokiedaホームページ
https://www.dpmms.cam.ac.uk/~tokieda/

図書館をぶらぶら ・・どこにも天才はいる・・
https://bookend.blog.ss-blog.jp/2017-03-31

おもちゃの科学セレクション[第一巻]

おもちゃの科学セレクション[第一巻]

  • 作者: 戸田 盛和
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2011/11/15
  • メディア: 単行本



数学の学び方・教え方 (岩波新書 青版 822)

数学の学び方・教え方 (岩波新書 青版 822)

  • 作者: 遠山 啓
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1972/05/31
  • メディア: 新書



ランダウの生涯―ノーベル賞科学者の知と愛

ランダウの生涯―ノーベル賞科学者の知と愛

  • 作者: マイヤ・ベサラプ
  • 出版社/メーカー: 東京図書
  • 発売日: 1985/05
  • メディア: 単行本



トラックバック(1) 
共通テーマ:

トラックバック 1